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降りかかる火の粉は払わねばならぬ―泣く子と地頭は諸悪の根源―(人か、組織か⑶ 拝啓、新生銀行殿)

 まさか、ひとかどの銀行たる新生銀行が、顧客に対してかくも常軌を逸した対応を次々為してくるとは…!
 新生銀行によって引き起こされたトラブルについては、その問題を取り上げる意義に触れながらすでに2回(①泣く子と地頭には勝てぬ? 「新生銀行、お前もか」、②拝啓、金融庁殿&総務省「情報公開・個人情報保護審査会」殿)、本ブログ欄で取り上げてきたが、この度、遂にやむにやまれず東京地方裁判所に提訴するに至った。その経緯は長いが、簡略に示せば以下の如くである。

 <提訴までの経緯>
・10年程前、新生銀行で投資信託証券(グロソブ)を購入。
・一昨年3月、それを他の金融機関(SBI証券)に移管(振替)しようとしたところ、「弊社は約款に従い、投資信託証券の移管及び移入はかつて一度も行ったことがない」との回答。しかし、約款の振替規定は、各社のそれとひとり異なり、振替の諾否は銀行が随意に行えるとした違法な、かつまた無法な内容。
・その後、約款の違法性も指摘しながら、何度か振替を迫ったが、いずれも拒否。
・そこで、H29.01.13 提訴を前提の最後通達として、振替依頼書の送付を求める振替申請書を新生銀行宛に書留便で送達。事前に相談した弁護士は、相手側は自らの非に気づいて早速にも振替申請書を送ってくるとの見通しを立てていたが…、
・以後10日間、何らの回答も無し。(謝罪の有無に関わりなく、振替を申請するための振替依頼書を送付してくれば、過去の経緯を水に流すつもりだったが)、やむなく、
・H29.01.24 東京地方裁判所に提訴(平成29年(ワ)第2148号振替請求事件:担当裁判官 井出弘隆) 。

 <提訴の内容>
(1)被告は社債、株式等の振替に関する法律70条に基づき、原告所有の本件受益権について、訴外株式会社SBI証券に存在する原告名義の振替口座への振替を行うべく、手続きを開始せよ。
(2)訴訟費用は被告の負担とする。

 <裁判の過程1・新生銀行の応訴の内容> これに対し、新生銀行は応訴してきた(被告代理人弁護士・露木琢磨、小林聡)。以下(1)(2)(3)がその答弁書の要旨である。
(1)当社一般口座における原告所有のグロソブについて、「当初、被告は、原告による本件受益権の振替の申請を承諾しないこととしたが、その後、これを承諾することとし、原告が希望する振替先である訴外SBI証券に対し、振替手続を行う旨を連絡した」ところ、SBI証券には同一銘柄を一般口座と特定口座に分けて所有することは出来ないという内部規定があり、すでに特定口座に同じグロソブを所有している原告の証券(グロソブ)を一般口座に受け入れることはその規定に抵触し、そのため、「原告の振替申請を受け付けることはできない」旨の回答が戻ってきた。よって、
(2)被告が「社振法70条による措置を執る必要は無い」。
(3)訴訟費用は原告の負担とする。
  唖然とした。また、あくまで振替拒否を貫こうとする形振り構わぬその姿勢に、思わず背筋が寒くなった。本訴は、原告の振替要請を被告新生銀行が「約款に従って移管(振替)も移入も行ったことがない」と頑強に拒否し続けて来たが為に、原告の正当な要請である「振替手続」を行わせるべく(換言すれば、被告の違法性を認めさせるべく)起こされたものである。それ故、応訴して被告が行うことは、これまでの対応の法的正当性を(粛々と)論じればよいだけである。もしそれが(裁判所によって)認められれば、原告(私)が敗訴し、もし認められなければ勝訴し、次いで振替手続の申請・受理となる。本件の処理はそれで終わる。従って、振替要請の最後通達まで無視した被告が、どこでどのようにして得た情報(SBI証券における私のグロソブ所有)か不明だが、提訴された後に振替を行おうとして得られたとする情報に基づく主張は全く論外、応える必要も無いはずである。それにしてもしかし、被告は何故、「当初、…振替の申請を承諾しないこととしたが、その後、これを承諾することとし、SBI証券に向けて振替手続を行おうとし」た、と言うのか。だとすれば、その行為は即ち、被告が振替拒否の根拠としていた振替規定をして「振替の許諾は当行の随意」だとする違法規定そのものであることを自ら証明したことにもになるのである。さらに、私からのSBI証券に対するその後の問い合わせで判明したが、SBI証券から「原告の振替申請を受け付けることはできない」旨の回答があったとする件も偽りであったことが判明した。

 <裁判の過程2・答弁書への反論-準備書面>  かくして私は、第2回公判時には、これらの材料も加えて、(素人ながら)数多の証拠資料を挙げて、約款その他の違法性や無法性さらには証拠偽装性を立証する資料(第2回公判:準備書面)を作成して提出した。が、裁判という土俵の場は私の常識のレベルを超えた。裁判官からは「違法性云々は、この際は関わりが無い」「重要なのは、振替が可能であるか否かの状況確認」だとする、やんわかなコメント(お小言?)を頂戴した。まさに然り(?) 後刻、被告側から裁判所に対して、振替の可否を確かめるための、SBI証券の特定口座における原告のグロソブ保有の有無を調べる調査嘱託が申し立てられた。「保有は無し、振替は可能」という回答が来たのは、当然のことである。

 <裁判の過程3・H29.5.30 第3回口頭弁論>
 提訴内容がそのまま判決されると思い込んでいた。が、裁判というものが、よく分からない。裁判官から、要請が出た。
 〝振替が出来ることが分かったから、訴えを取り下げたらどうか〟と、和解(?)の意に取れる発言から始まった。しかし、訴訟費用はどうなるかの私の質問に対し、裁判官は口を濁し、結局、それは新生銀行が訴訟費用を持つか持たないかの問題として、裁判(口頭弁論)を次回に持ち越すことになった。
 私の主張は、最初から最後まで、和解は無し、判決を求める、であった。それを裁判官の意向を斟酌して、裁判を円満に解決するのもよしとしたのが、失敗だったようである。その後、新生銀行から、別添文書に見るように、通常「収入印紙代+出頭交通費+α」とする訴訟費用を、印紙代のみとして了解し合ったかの如く装った和解条件を送ってきた。
 いかなる意図があるのか、分からない。もし原告に裁判所出頭旅費を出させない和解を成立させれば、約款の違法規定、様々な原告に対する非道な対応など一切無かったと主張し、また正当化することが出来る、とでも考えているのだろうか。

 謝罪心など、片鱗も見られない。私が正面から取り組んで話し合う相手ではないやに思われる。このまま、判決を所望し、高裁で、改めて審議してもらうのが、最善の道、また、約款の違法性についても、法的にどこぞに検討させるのが良策かもしれぬ。提訴の前、訴状の中身が正直すぎる、弱すぎる、損害賠償や慰謝料も加えなくてはなめられる、裁判とはそうしたものだと進言してくれた人もいた。損害賠償はともかく、私は慰謝料に関しては、被告の答弁書を読んだ直後に、怒りがこみ上げ、もし裁判事項を増やすことができるものなら、慰謝料請求を加えたいと、一瞬、別紙の如く書き綴った。ご笑覧の程。

 何が何でも振替阻止を図ろうとし、裁判に入ってもなお平然と無法な言述を重ね、圧力を加えてくる新生銀行。まさに泣く子と地頭の無法と無体。一体何のために? 元は筆者を老齢者と侮ってのことか。これは、高齢者を巧みに騙す振込詐欺よりさらに悪質である。弱者と思えばどこまでも相手を不当な力で圧倒しようとする、こうした〝小権力(権威)主義〟は、まさに世に蔓延る諸悪の根源である。
  無法な力に押し迫られたとき、受ける苦しみは個々人の個性、価値観、環境等、様々な違いによって多様、またそれへの反応も人様々である。闘う者、退避する者、心身を病んで苦しみあがき、非行・犯罪、精神疾患に陥る者…,、そうして、やがては、頼るところ逃れる所を失い、連綿と続く苦痛の果てに、いわゆる〝電通「過労死」問題〟や〝原発避難いじめ事件〟、国際的には、自爆テロへの参加等々などにも見られるように、自死をもって解決を図る人さえ出るようになる。此度、私に偶々降りかかった無法の火の粉は、世のため、人のためにも、如何に苦しく、また労力・経費を費やそうとも、きっと打ち払って、世の中を浄化する一石としたい。もって、提訴した所以であった。
 世に言う公序良俗、そして良識や常識に基づく正義なる判決を待ち望んで、取り敢えずの筆を擱くが、本件に関して、とりわけ金融機関に関与する方々のご意見を、是非にも頂戴したいものである。(H17.6.6 加筆)

 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。
                                                                      
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死刑廃止は人類究極の平和理念―日弁連の「死刑制度の廃止を求める宣言」に因んで―

 
 何という醜態。民主主義を守る世界一の超大国・アメリカ合衆国の第45代大統領選は、二大候補のヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏の、低劣極まる攻撃・非難合戦の末、劣勢を伝えられていたトランプ氏の勝利で幕を閉じた。
 愚考するに、優勢を伝えられていたクリントン氏が有名歌手などを招いて駄目押しをするために行った投票日直前のお祭り騒ぎ(演説会)が、いつかは高邁な政治理念を聴いてアメリカの未来に希望を持たんと期待していた心ある人々を落胆させ、また離反させ、逆に、本音の部分で密かに国民の共感を培っていたトランプ氏への支持を高める皮肉な結果を招いてしまった。
 昨年の大国イギリスのEU離脱、そして此度の超大国アメリカにおけるトランプ政権の出現。どちらも、ある意味平和の源泉たり得る国際グローバル化に反する偏狭なナショナリズムに基づいている。それは、第二次世界大戦を起こしたドイツ・ナチズムの再来をも、ふと危惧させる。大国における、この相次ぐナショナリズムの台頭―。地球の未来はどうなるのか。蛇が出るか仏が出るか……。と、それはさておき。

 過日(10/7)、日本弁護士連合会〈日弁連〉が「人権擁護大会」を開いて「死刑制度の廃止を求める宣言」を採択した。思うにこれは、2007年以降、①国連総会が死刑存続国を対象に繰り返し死刑廃止を求める決議案を採択する背景の中で、死刑廃止国が着実に増加している、②死刑確定事件の再審無罪(免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件など、いわゆる四大死刑冤罪事件)が象徴するように、冤罪による死刑判決の存在が少なからずあるのではないか、といった内外の状況に鑑み、万一「冤罪で死刑が執行されれば取り返しがつかない」(日弁連声明)との危機感から導かれたものである。
 冤罪による死刑判決、そして死刑の執行。主権在民にあらざる過去の暗黒時代ならいざ知らず、現代諸国家・国民の大半が隈無く基本的人権と平和を求めている時代に、こうした事態が起これば、それはまさしく“取り返しのつかない”大事件、否、大犯罪である。こうした〝大犯罪〟を契機に死刑廃止国に転じた一つの例が、厳罰の国として知られていたイギリスであった。
  1949年11月30日、イギリス・ロンドン市内のとあるアパートの裏庭で、そのアパートに住む若い母親と幼い娘の二人が絞殺死体となって発見された。容疑者として、その母子の夫であり父である25歳のティモシー・ジョン・エヴァンスが逮捕され、翌年1月、公判に付されて死刑判決が下された。事件については、同じアパート内に住む男(ジョン・クリスティ)が「ティモシーが母と娘を殺すのを見た」といった証言をなし、ティモシーはジョン・クリスティこそが真犯人であると訴えていたが、ティモシーの主張は容れられず、3月9日に処刑された。それから3年後、他の殺人事件をきっかけに、証言者のジョン・クリスティが真犯人であったことが判明し、当該妻子殺害事件は国中を湧かす冤罪事件として大騒ぎになった。-そして、このエヴァンス事件を踏み台に、国内には止みがたく死刑廃止論が浮上し、1969年、イギリスは死刑廃止国の一員となった。

 「冤罪で死刑が執行されれば取り返しがつかない」。理の当然である。こうした理不尽な〝犯罪〟を防ぐために死刑制度を廃止せよ!。一見、筋が通っている。しかしながら、ちょっと待て。この冤罪死刑を避ける道(死刑廃止)は、他方、有罪死刑の道をも同時に絶つ事になり、いかなる残虐な殺人行為も、加害者の死をもって贖わせることを不可能にしてしまう。だとすれば、殺害された被害者およびその遺族の無念は一体どのように晴らされるのか。
 筆者はかつて、ご子息を無惨な暴力によって命を絶たれた「少年犯罪被害当事者の会」代表・武るり子氏に関わる報道に触発され、一文を草した(「被害者感情・犯罪者処遇」)。内容は、殺人事件の加害者裁判において最も尊重されるべきは、たとえ加害者が少年法で保護される未成年者や責任能力が云々される精神障害者であっても、被害者遺族の感情・意見であるとするものであった。日弁連の「死刑廃止宣言」を機にネット上を検索してみたところ、激情的な論調で知られるジャーナリストの長谷川豊氏による『「死刑反対」の人権派は「死刑」の根本的な意味を分かっていないんじゃないか?』に出会った。そこでは、とりわけ無念極まる被害者遺族の立場を代弁する形で、きりりと「死刑廃止」反対の論が進む。これに対して此度の日弁連の論理は、果たして太刀打ちできるものなのか―。
  凶悪な殺人事件において加害者に死をもって報いるというのは、いわば〝因果応報、仇討ち〟の理念である。それは古今東西、古(いにしえ)から今日まで、いかなる人にとってもその胸の中にある。「忠臣蔵」が持て囃される我が国では殊更であり、本邦で死刑廃止論が容易に根付かない心理・社会文化的な基盤ともなっている。1999年4月、山口県光市で当時18歳の少年が犯したいわゆる光市母子殺害事件は、2012年2月20日最高裁判所第一小法廷で死刑判決が確定した。が、そこに至るまでの過程で、死刑廃止論者とも推測可能な弁護士団が、死刑回避のために形振り(なりふり)構わぬ珍妙な弁護論を立てて死者(被害者)および遺族を限りなく愚弄しかつ侮辱し、故にこそ、遺族に対する同情と加害者の死刑判決を望む世間の声は極度に高まった。
 こうした背景の中で、「冤罪で死刑が執行されれば取り返しがつかない」として死刑制度廃止を唱える日弁連の有り様は、どこか司法界の至らなさを自ら代弁して言い訳するが如き、いかにも便宜的で安易なプラグマティズムのような印象を受ける。私だけの感覚だろうか。まずは、冤罪などけっして惹起しないよう、未熟・専横的な警察・司法制度を改めるべきであり、その行き着いた〝冤罪のない〟世界でもなお死刑廃止が唱えられるとするなら、それは真の死刑廃止論となり得る。だがその折には、被害者および被害者遺族の報復理念を斟酌する現行の死刑制度の妥当性を認めながら、なおかつそれを超えて死刑廃止を正義とする論理を立てなくてはならない。そのような道筋、一体どこにあるのであろう。
 結論的に言って、それは本来、あり得ようはずがない。例えば、死刑廃止を訴え続ける‘アムネスティ’は言う。たとえ殺人者であっても、「生きる権利は、誰もが有する基本的な人権です。人為的に生命を奪う権利は、何人にも、どのような理由によってもありえない。国家さえもそれを奪うことはできない。これが、生きる権利を保障する『人権思想』というものであり、アムネスティが抱いている理念です」(死刑廃止-なぜ、アムネスティは死刑に反対するのか?)。まさしく、正論であろう。これに対して、かけがえのない命を奪われた被害者側は、言わざるを得ない。「その基本的人権を根底から奪い取られた無念は、どのようにしたら晴らされるのか。せめても加害者に死が与えられる以外にそれはない」。人が情意の総体たるひとであるが故に抱く怨念、即ち情念の極み-、これを一体、誰が非難し得ようか。これもまた正論なのである。
 しかし、これに対してなお、‘アムネスティ’は言う。「米国では、9.11に触発された犯罪が多発しましたが、その被害者の一人であるバングラデシュ移民のレイス・ブイヤンさんは、自分を撃った犯人の減刑を求めました。〝私が信仰する宗教には、いつでも寛容は復讐に勝るという教えがあるのです〟と、彼は述べています。また、娘を殺害された米国の犯罪被害者の遺族マリエッタ・イェーガーさんは、“自分の娘の名において、もう一つの殺人が行われることを、娘が望んでいるとは思えない”とおっしゃっています。このように、死刑が解決につながると考えない被害者遺族も、多くおられるのです」。 
  一見、説得力を持つ論旨である。しかし、この冷(ひ)やかな言葉の投げかけほど、悲憤にのたうつ被害者遺族を逆なでし、傷つけ侮辱する言葉も無いだろう。ここで誤解を恐れずに極言すれば、もし私が光市母子殺害事件の如き事件の被害者遺族であり、もし誰ぞにこのような言葉を投げかけられたら、加害者のみならず、言葉を投げた相手をも許せず、その者の死さえも望むかもしれぬ。
                ―未完
(お詫び: 本稿は初め、昨年11月20日に未完のまま投稿しました。その未完の文章を完成させるべく行っていた編集作業中、投稿を終えた部分を誤って全文削除してしまったようです。同時に、有難くも頂戴していた拍手4件の記録と、貴重なコメントをお寄せ下さった方のそれも消えてしまいました。深くお詫び申し上げます。本稿は、至急完成させます。ご海容下さい。17/1/2)。

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小池新知事の「築地市場の豊洲移転延期」賛成―家庭果樹園のささやかな薬害体験を通して

 小池東京都新知事が都政査察第一弾として、土壌・水質問題に懸念がある「築地市場の豊洲移転」の延期を決めた。これによって多大な迷惑・損害を受けるだろう関係者各位が少なからず居ることは百も承知の上で、最近被った小さな小さな薬害体験にも鑑み、無力ながらも大きな賛意を表したい。

  このお正月、15年ぶりにわが家の屋根・壁塗装を施した。依頼先は、わが家を建築させた大手住宅建築会社のS社である。現場主任が細かいところに目の行き届く人物で、仕上がり具合は良好、特に問題も無く、無事に終わった。ところが、数ヶ月経って、塗装工事の仕上がりとは関係の無い、しかし私にとっては極めて重大な場所に、大きな問題が発生した。それは、この欄でも幾度か登場させているわが家の庭の果樹園、名付けて「彩光果樹園」の果樹の中に、ほとんど花芽の出ない、かつまたその少ない花芽がほとんど開花しない不良樹が、何本も出たことである。
 わが家の庭は、たかが庭面積50坪ほどしかないが、南側と西側は除いて、建物の直近から庭の隅々まで、初夏から晩冬にかけて折々の果実を豊かに恵んでくれる自慢の果樹でぎっしり埋め尽くされている。例えば桃で言えば、6月下旬の「千代姫」、7月中旬の「白鳳」、9月下旬の「黄金桃」・「秋空」、梨では8月上旬「愛甘水」、8月中旬「幸水」、9月上旬「長十郎」、9月中旬~11月中旬「王秋」・「ラ・フランス」・「清麻呂」・「愛宕」、みかんでは9月下旬「日南の姫」、10月下旬「琅」、12月~3月「はるみ」・「青島」・「デコボン」・「津の香り」・「瀬戸香」、「甘夏」、さらに柿では9月~10月「西村早生」・「次郎」・「富有」・「太秋」・「甘百目」、そしてそのほか、5月のビワ、9月のブドウと無花果、10月のキュウイ、リンゴ(津軽・王林・ふじ)……。
 語るだけでは、なかなか信じてはもらえまい。たった50坪の庭の中に、そんなに多種多様な果樹を植えられるわけがない、と。さもありなん、これらの木々のほとんどが接ぎ木同族種で出来上がっており、梨5種とリンゴ3種を一本に纏めた愛称「梨檎(りりん)」を初め、純粋に一種だけの樹はほとんど無いのである。それは少しずつでも、年間切れ目無く(無農薬で安全な)おいしい果実を食べ続けたいという無邪気な欲望の基に、思案の末に行き着いた夢の果樹園なのであった。その夢はここ数年、かなり満たされるようになり、時には親しい方々に気持ちだけでもお裾分けできるようになってきていた。
 そんな矢先、突然の、今年の“大凶作”である。花芽は出ない、出ても咲かない樹が続出し、梨では愛甘水、ラ・フランス、玉秋、ミカン類では「琅」・「日南の姫」を除いて、ほとんど全滅に近い有様となった。特に、冬場に採れる柑橘類が無くなったことは、無念の限り。見れば瞭然、花芽が出ない(併せて新葉の出も不良)樹は、すべて建物周囲の壁に近い木木である。これを思うに、壁を塗布する際に用いられた塗料、薬剤が影響した、即ち薬害そのものであったと考えざるを得ない。しかし、壁から多少離れた所に植わっていた木では、被害の程度にそれぞれに差があった。ミカンでは、晩柑種(「はるみ」・「青島」・「デコボン」・「津の香り」・「瀬戸香」、「甘夏」)はほぼ全滅状態だったが(当初、花芽がいくつか出ただけ)、早生種(日南の姫)にはあまり被害(薬害)が見られなかった。また、桃では、極早生(千代姫)には影響は無かったものの、晩生種の着果が悪く、盛夏に向かうにつれて、たった一本しかなかった秋空の主枝が枯れ果ててしまった。もうその大枝を切断する以外に道はない。ただ、リンゴの枝だけは被害は比較的小さく、それなりに今、旬の時を迎えようとしている。
  塗装業者には、慎重の上にも慎重に足場を組んでもらい、果樹の枝一本も傷つけることのないように、作業をしてもらった。だが、上記した如く、わが家の果樹は家屋の壁、即ち作業現場に近接する場所で生育不全が顕わになり、大きな被害が発生した。思うにこれは、家屋塗装の際に使用された塗装剤等に含まれる薬剤に起因する薬害と断定せざるを得ない。
 以上を総括すると―、家屋塗装工事に際して、家庭果樹園に大きな薬害が生じた。果樹の種類によって多少被害態様が異なるが、塗装現場に近いほど、枝枯れも目立つなど被害は甚大、来期がどうなるか、不安は尽きない。予想もしなかったこの無惨な結果に、今や、茫然自失と言ったところである。とは言え、よくよく振り返れば、こうした事象を青天の霹靂と言えば嘘になる。実は、前回の塗り替え当時、「彩光果樹園」はまだ造園初期で、家屋直近には果樹は1本もなく、植わっていたのは、毎年麗しいピンクの花を咲かせるハナミズキの樹1本だけであった。そのハナミズキが、今回と全く同じ1月の塗装を終えた後、春になっても芽吹きが悪く、それどころか、4月、5月と経つにつれて枝葉を枯らし、盛夏を迎える前には遂に枯死してしまった。よもや薬害?と思いつつも、その後植え始めて盛んに生育する果樹の群れに目を奪われ、いつかこの事実を忘れる中で、此度の〝惨禍〟が生じた。これを昨今決まり文句の「想定外」だったと言って済ませられるか。幸せそうに、咲いて実って大きな至福を与え続けてくれた果樹たちに対して、申し訳ない気持ちで一杯である。

 さて、公害の原点は、工業水の垂れ流しに起因する水俣病にあると言われている。その後、環境汚染の恐ろしさは誰しも知るところとなったが、実際の被害体験の有無、また同じ環境下でも様々な条件の違いによって様々に異なる個々の被害状況などから、公害問題に関する問題意識は国民各自によってかなり異なる。ちょうど第二次世界大戦時の被害体験の有無や深刻度の違いによって生じるそれとよく似ている。それは近年起きた東北大震災時における原発事故の生起後でも、それほど変わるところではなかった。そうした状況下、築地市場の豊洲移転問題における水質等汚染問題に関わる環境問題は当初大いに関心を集めていたが、昨今、どこか浮かれて、万一の事態など考慮することなく、移転は順調に進行形になっていた。折も折、またしても列島は「想定外」の地震や台風に襲われ、国や自治体は甚大かつ悲惨な被害や被害者を前にして、それを救う良策とてなく、その対処に右往左往している。そして発せられるのが、「想定外だった」、「想像を超える惨禍だった」などという無責任な為政者達の声である。顧みればしかし、どのような惨禍も、それを懸念し予期し得る貴重な教訓は必ずどこかにあったはず、責任逃れのこうした戯れ言は、もうこれ以上聞きたくはない。折も折、新たに安全が確認できるまで移転を延期するという、頼もしき為政者が現れたと実感させる、小池百合子新都知事の登場ではあった。
 政治権力というもの、己の利益や権勢欲から離れ、国家・国民の将来に関わるこういう問題にこそ、遠慮なく大いにその権能を発揮してもらいたいものである。と、このところ長く、小さな国家権力の地頭的権威主義に苦しめられている小国民は声を挙げる。

 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。

人か、組織か(2)―〈拝啓、金融庁殿&総務省「情報公開・個人情報保護審査会」殿〉

 「不適切だが違法ではない」。
 法律的、あるいは行政的な場では、常套句なのだろうか。政治資金の不正使用問題を追及されて苦境に陥った東京都知事・舛添要一氏。そのご本人の要請によって諸々の疑惑行動を評価するいわゆる第三者委員会的な役割を委ねられた二名の元検察官弁護士が、記者会見(16.6.10)の場で多用した、弁護的な、巧みな言い回しである。しかしながら、その論理の立て方は、それが通用する特定の場を離れた一般市民の爛漫な常識や良識に向かっては屁理屈、詭弁の類(たぐ)いとしか映らない。さらに、やや法的ニュアンスで説明されるべき概念(ヒヤリング)について質問したマスコミ記者に対する〝素人が何を言うか〟的な侮蔑・嘲笑を含んだ弁護士の応答態度も禍し、舛添都知事に対する非難・攻撃は火に油を注ぐが如き勢いとなり、終には孤立無援、辞職勧告決議が都議会全員一致で可決されるに至った。無惨にも、舛添氏は都庁から追い払われる結果とはなった。
 拍手喝采する者多し。しかし、忸怩たる思い、誰の胸にも宿っていよう。この知事を選んだのは私(たち)都民だったのだ…、まだまだやってもらえる人ではなかったのか……。
 それにしても、人は何故、ある種の役割や権能の座に就くと、いつか正義に背を向け、それを悪事や不義に向けて濫用するようになるのだろう。見渡せば、重き役割を果たすには相応しからざる誠なき人物が、まさに此処彼処に蔓延っている。これが世の常なのか。
 悄然たる思いと共に、「至福の回遊路」(前回ブログ)を巡って折に利用する公園内の東屋に憩いを求めて立ち寄った夕べ、心ほのぼのとする美(うるわ)しい一齣に出会う幸せを得た。
 ひと組の先客、カンカン帽を軽く頭に乗せた半袖ワイシャツ姿の高齢者とイエロー色の大きな犬が戯れていた。犬は盲導犬として知られるラブラドール・レトリバー。「彼」が椅子に座ったままの飼い主に向かって、まるで子犬のように何度も尾を振り前脚を挙げては、大小響きの異なる甘え声で、何やら求めていた。求めるものは何?、と覗き込むと、「彼」が気づいて、私の方へ向き直ろうとした。その一瞬、「彼」はよろめいた。何と、「彼」の右前脚は、折れ曲がっていて、三つ脚でしか立てないのだ。それでも「彼」は、余程飼い主に可愛がられて人を疑う事がないのだろう、私に向けて一層強く尾を振り、「ワンワン」と挨拶をする。それに応えて「彼」の頭を軽くなでた時、「お騒がせして申しわけありません」と言いながら、飼い主が立ち上がってきた。
「ご覧のように、治らない大けがをしても、もっと行こうもっと行こう、っていつもこうなのです。私はもっともっと休ませてやりたいのですが…」
 ここから始まるしばしの会話、「彼」はすっと腹ばいになると、今度はじっと二人を見上げたまま、ひたすら話の終わりを待ちに待つ。
「ついこの前までは、どこに行っても駆けずり回って元気だったのに…。犬の加齢は本当に早い。あっという間に私の歳に近づいて……。まるで自分を見ているように、愛おしい。もっともっと、大切にしてやりたいと思っています」
 時が来たのが分かるのか、別れの挨拶が始まろうとする瞬間、「彼」はたちまち起き上がって、「ワンワン、ワンワン」と歓喜の甘え声を挙げ、さても飼い主を急かすかのように、不自由な3本脚で東屋を雀躍り出た。嗚呼、何らの打算もないこの「親子」、どれほどの愛と誠と深い信頼で結ばれているのか。胸打たれて私は、深々とお辞儀をして見送った。

 〈閑話休題〉
 さて、昨年本ブログ欄で取り上げた私と新生銀行との間で生じたトラブル(15.6.8「新生銀行、お前もか」)、ほぼ1年を経るうちに思わぬ展開を見せ、なにやら大事になりつつある。これは当事者の一方たる私の受け止め方であるが、かいつまんで言えば、約款違反とも思われる新生銀行の証券移管拒否行為を監督官庁たる金融庁がかばい立てしたのか、新生銀行が移管拒否を行った理由等が記載されているべき新生銀行による金融庁宛文書の開示請求(請求者:宗内敦)に対して不開示処分を為し、さらに、不開示を行った金融庁からその可否について諮問を受けた総務省「情報公開・個人情報保護審査会」が一方的に金融庁を支持するという、極めて遺憾な成り行きとなった。
 ここまで来ると、さすがに私個人の手には負えなくなった感がある。そこで、まずは本事案の経緯を広く世間に開くことにした。もしここで、①お読み下さった方々からさまざまなご意見・感想が得られたら、この問題に対する次なる対応に資することができる、また、②官公庁も絡んだ此度の一連の「出来事」は、私同様、金融・証券会社に金融資産を預ける国民一般にとっても普遍的に生じ得る、いわば公益に関する問題であり、これを貴重な資料として世間に伝えることは体験者の義務でもある、と考えたからである。
 だが、高齢の身がこのような問題に人生残り少なの貴重な時間を割くことの意味は何処にあるのか。時には慨嘆しつつも、関係資料を除いた本文だけで400字詰原稿用紙16枚分に至る本件経緯を以下に綴った。ご意見、ご感想をお聞かせ頂ければ、誠に有難く存じます。

 メーンバンクとして利用していた新生銀行で、「グロソブ」なる投資信託証券を他証券会社へ移管するよう申し出たところ、拒否された。これが発端である。私は当初、これは顧客を留めたいという、担当行員の場当たり的独断行為だと受け止めたが、そうではなかった。ちょうど1年ほど前、別の銀行(みずほ銀行)で、今回と全く同じように、購入した投資信託を他の証券会社に移管しようとしたところ、初めすげなく拒絶され、しかし、しばしのやり取りの後、担当者の謝罪とともに、移管が実現した。ところが此度の相手はまさに頑な。まずは担当行員らが、移管の規定はない、内部規定で移管はできないなどと理由にならない理由を挙げ、揚げ句に八王子支店長名の文書をもって、約款同封の上、約款第3章29に基づく行為である、と組織そのものの対応として正式に応えてきた。
 そこで、この約款を開き、第3章「振替決済」29「他の口座管理機関への振替」を見て驚いた。そこには、
 「(1)当行は、お客様からお申し出があり、当行が承諾した場合には、他の口座管理機関へ振替を行います。ただし、当該他の口座管理機関において、お客様から振替の申し出があった銘柄の取扱いをしていない等の理由により、振替を受け付けない場合、当行は振り替えの申し出を受け付けないことがあります。(2)前項に於いて、他の口座管理機関へ振替を行う場合には、あらかじめ当行所定の振替依頼書によりお申し込み下さい。」
 とある。はて、この規定のどこに、本事案に係わる移管拒否の根拠があるのだろうか。移管先証券会社は「グロソブ」を取扱っており、すでに移管の承諾も受けている。よもや、「お客様からお申し出があり、当行が承諾した場合には、……」の〝当行が承諾した場合には〟の部分が裏返し的に〝当行が承諾しない場合には移管できない〟といった、即ち、移管をするもしないも銀行側の随意という文意を含むとでも言うのか。そうでもなければ、この約款をもって移管拒否の理由とすることは到底できないはずであるが、もしそうだとすれば、理由を問わず移管の可否は新生銀行の顧客に対する勝手気ままな思い次第ということになり、人権侵害も甚だしく、無効な約款である。
 そこで、やむなく、この問題に関して、三つの機関に連絡し、また相談した。一つ目は、ある意味では法的な機関でもあり、国民が各所金融機関で購入した株式等の証券類を組織的に一括管理する「証券保管振替機構」(通称、ほふり)。しかし、移管拒否問題については〝遺憾ながら関与する権限・機能が無い〟とのこと。次いで、株式や投資信託などの金融商品取引に関するトラブルを公正・中立な立場で解決を図るとする「証券・金融商品あっせん相談センター」。電話で斡旋を申し込んだところ、極めて共感的で、即座に新生銀行本部に対して電話で斡旋行為に及んでくれた。が、〝銀行側が約款に従い移管はできないの一点張りで手に負えない〟とやむなく匙を投げた。そこで、三つ目に選んだのが、金融機関の監督機関たる「金融庁」であるが、ここからが、まさによもやの展開なのであった。詳細は別紙資料に譲るとして、なるべく簡略に、事実関係だけを述べていきたい。
 まずは、金融庁の「金融サービス利用者相談室」に、新生銀行の不法について訴え、善処を願ってみた(2015.3.27)。ところが、相談員の回答は〝民事不介入で、両当事者の当否についても言及できない。しかし、かくかくしかじかの相談があったことは新生銀行に伝える〟とのこと。そこで、金融庁が当方の訴えを正しく把握していたか、また新生銀行がいかなる移管拒否理由を金融庁に伝えているかを確かめることを主眼に、金融庁-新生銀行間の往来文書を見るべく、金融庁宛に「保有個人情報開示請求書」を送った(2015.4.13)。それに対する金融庁回答(2015.5.12)は部分開示(しかも、部分開示部分の文書の同封はなく、実質的に、全部不開示)、かつ「新生銀行からの回答は保有せず」という内容だった。
 とりわけ、新生銀行からの回答を保有していないとは、全く解せない内容である。まるで、問答無用といった感すらある。そこで、2015.7.9全部開示、かつ回答不保持の理由を求めて、異議申し立てを行ったところ、2015.9.18「情報公開・個人情報保護審査会」に諮問したとの返書が届く。そういう第三者委員会的役割を持つ行政機関があることを初めて知ったが、さてさて、ここからが、なお一層理解に苦しむ展開とはなった。
  2015.10.20「情報公開・個人情報保護審査会」(以下、審査会と略称)から金融庁の諮問文書(理由説明書)の「写し」を受領。同日、情報公開・個人情報保護審査会へTel。諮問文書内容へのコメントを求められたが、〝簡単でもよい〟との付言があり、何か当方が軽んじられ、すでにして審査会の結論がきまっているやの感触さえあって、不快であった。その後、金融庁の理由説明書を読んで、不快は怒りに変わり、審査会の期待に反する簡単ならざる反論的コメントを書いた(2015.10.26)。
 異議申立の趣旨は、①金融庁から新生銀行に向けての回付書面の内容開示、②新生銀行からの回答保有せずの理由開示の2点であった。これについての金融庁説明と私の反論コメントは以下の通りである。
 ①についての金融庁説明
「1 本件回付書面のうち一部不開示とした部分の不開示事由該当性について
 ……そして、本件を含む回付書面には、金融サービス利用者からの相談・苦情を受けた際の当庁の対応が記載されるところ、本件回付書面の不開示部分は、そのような本件の異議申立人からの相談に関する当庁の具体的対応が記載された部分である。
 このような当庁の具体的対応が記載された部分が開示された場合、例えば、開示を受けた者が改めて金融サービス利用者相談室に相談を行い、その具体的対応について開示を求めることによって、どの程度の相談内容であればどのような対応が行われるのか分析することが可能となり、金融サービス利用者相談制度を濫用するなど、監督行政の適正な遂行に支障を及ぼすおそれが認められる。
 よって、回付書面の不開示部分については、監督行政の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるため、法第14条第7号柱書きに該当する。(筆者註:原文のまま。一部省略。詳細は別添文書参照)」
 相変わらず、法第14条第7号柱書きに該当する、とは何やら分からぬ文言であるが、驚くべきは、この結論が、申立人をして「金融サービス利用者相談制度を濫用するなど、監督行政の適正な遂行に支障を及ぼすおそれ」が認められることを根因として導き出されている。即ち、私をして、かくなる人物として同定・ラベリングした上での結論である。
 この項についての私の反論コメントは下記の通り(原文のまま)。
 「恐るべし。ここでは、私をして謂われなく「監督行政の適正な遂行に支障を及ぼすおそれが認められる」人物として同定、ラベリングし、それに基づき、「よって、回付書面の不開示部分については、監督行政の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるため、法第14条第7号柱書きに該当する」と結論づけている。ここで「法」とは「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」を指し、その第14条第7号柱書きは「国の機関、独立行政法人等、地方公共団体又は地方独立行政法人が行う事務又は事業に関する情報であって、開示することにより、次ぎに掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるもの」となっている。この論理に立てば、申立人がかかる不埒な人物であるか否かで、情報の開示あるいは不開示が決定される。それ故、まず、金融庁は申立人に対して、いかなる事実から、かくなる同定・ラベリングを為したのか、説明する義務があるだろう。私もここで、それを強く要求する。
 私有財産を自らの手中に正しく取り戻そうと苦悩する申立人に対して公的官庁が公的文書内で示したかかる同定・ラベリング、甚だしい名誉毀損と受け止めた。もし、これについて明白な説明あるいは謝罪無き場合には、別途慎重に検討して適切に対処することとなる。」
 ②についての金融庁説明
「2 新生銀行からの回答等を保有していない理由について
 当該保有個人情報が存在しないことを理由として不開示処分をする場合には、同情報が存在しないとの理由を示せば、行政手続法第8条第1項の要請する理由の提示として許容されると解されるし、仮に当該保有個人情報が存在しないことの要因を理由に付記した場合、当庁の具体的対応が推測される可能性があるため、保有していないことのみを理由に不開示としたものである。」(筆者註:原文のまま、全文)
 一言で言えば、本エッセイ冒頭で引用した「不適切だが違法ではない」を超える名迷文であり、万一、官公庁・司法の場は、こうした言い回しで議論をするところなのか、と背筋が凍る思いがした。この項についての私の反論コメントは下記の通り(筆者註:原文のまま)。
 新生銀行からの回答が無かったはずはない。この有無については答えず、なに故、「新生銀行からの回答等を保有していない理由について」にすり替え、かつまた、上掲の如き意味不明な記述をするのか。私の文章理解力では、全く了解できない。
 保有していないとは、本来、回答が無かったことを意味する。しかしながら、それ(回答書)を受け取っている、即ち、それを所有していることが理の当然であるにも拘わらず、「保有していないことのみを理由に不開示とした」とは、全く分からぬ論理である。回答が無かったならば無かったと述べ、回答が有ったならば、有ったとした上で、その不開示理由を論理的に示せば済むことである。」(原文のまま、全文)

 さて、金融庁説明書に対するコメントを「情報公開・個人情報保護審査会」へ送付して半年、審査会から2016.4.22付けで、諮問に対する金融庁長官宛への審査会答申書の写しが送られてきた。予想していた通り、金融庁の処分が正しいとする内容である。本事案を審査したのは第4部会、委員は元東京高等裁判所判事部総括、学習院大学法学部教授、國學院大學大学院法務研究科教授の3名、各自良識あるメンバーと思われる。がしかし、この委員会が、ひたすら金融庁の見解をそのまま披見・引用・踏襲して金融庁に同調し、私の提出したコメント・意見については論評の対象として採り上げることなく、何らの検討もしていない。これが、事の当否を論議する〝第三者委員会〟のあり方と言えるのか。驚くほかはない。
 私(異議申立人)が求める開示情報は、新生銀行によって未だ明快に示されていない移管拒否理由、それにつきる。その情報(拒否理由)は当然、新生銀行が送付した金融庁への回答文書に明らかにされているはず、否、明らかにされていなければならないはずのものである。それを開示することが何故できないのか。金融庁は「金融サービス利用者相談制度を濫用するなど、監督行政の適正な遂行に支障を及ぼすおそれ」がある人物だと私を貶めるまでして開示拒否の論を立て、此度委員会は、この辺りを名誉毀損に該当しないよう巧みに曖昧模糊たる文言に書き換えこそすれ、文意は変わらず、同じ結論に導いている。また、金融庁に対する新生銀行からの回答文書があったかなかったかを問う素朴な質問についても、申立人の問いに何ら触れる(応える)ことなく、金融庁の説明をそのまま踏襲し追認して、金融庁意見を妥当と結論づけている。
 下種(げす)の勘繰りかもしれぬ。初め新生銀行が犯した不当行為を監督官庁の金融庁がかばい立てし、さらにその金融庁のかばい立て論理を委員会が正当化して事実関係を隠蔽する。新生銀行が証券移管を拒否した理由は何なのか。先述を繰り返すが、その拒否理由は当然金融庁への回付文書で明らかにされているはず、否、明らかにされていなければならないはずである。その内容を私が知り、もしそれが新生銀行が当初私に示した拒否理由とは異なるものであっても、納得できるものであれば、事はそれですべて終了する。それをここまで隠蔽されるとなれば、遺憾ながら、新生銀行とのトラブルは、もはや、法治国家ではある意味最終的な第三者委員会とも言うべき司法の手に判断を委ねる以外に道はない。
  だがしかし、冒頭に述べた如く、万一、司法の場が「不適切だが違法ではない」式の論法がまかり通るところであれば、問題である。因みに、本事案(新生銀行の移管拒否)を仄聞して、投資信託購入時には移管項目は存在していない、また「お客様からお申し出があり、当行が承諾した場合には、……」は承諾しないことがあり得ることを前提にしているといった理由で、論理的には移管拒否しても違法ではない、と感想を述べた司法関係者もなくはなかった。
 そこで、しばし立ち止まって、まずは世間一般のご意見を聞いてみるに如くはない、と考えた。心情を披瀝し、客観的な資料をそのまま披露して長々と綴ったのはその故である。いじめ・意地悪文化の元凶となる〝泣く子と地頭〟を打ち払うの思いと共に、いつか大きくなったトラブル。ご意見、ご感想をお聞かせ頂ければ、誠に有難く存じます。

 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。

〈追記〉 2016.7.5
 本ブログを書き終えて、ふっと情報公開に係わるネット情報を見てみた。何と無知であったことか、今や各地〈各自治体)に隈無く「情報公開・個人情報保護審査会(審議会)」なるものが置かれているではないか。その様々なページやサイトを流し見ていたところ、興味深いケース、興味深い事柄を見出した。家畜保健衛生所によって強制的に立ち入り検査を受けた開業獣医師が、立ち入り検査が行われるに至ったいきさつを把握するために、当該家畜保健衛生所に対して関連する行政文書の開示請求を行った事例であるが、この情報開示の可否を茨城県情報公開・個人情報保護審査会が当該家畜保健衛生所からの諮問を受けて検討、このプロセス・内容が、私の場合と極めて類似しているのである。
①まず、家畜保健衛生所は、
「当該文書の存否を答えること自体が,当該事業を営む個人の利益を害することとなり,条例第7条第3号アの規定により,不開示とすべき情報を開示することになるので,存否を答えることはできないが,仮に当該文書が存在するとしても,条例第7条第3号アの規定により不開示になる文書である。」
 と、条例第10条の規定により,その存否を明らかにしないで不開示決定を行ったとしている。
②これに対し、開業獣医師は、
「開示をしない理由の“条例第7条第3号アの規定により,不開示とすべき情報を開示することになるので,存否を答えることはできないが,仮に当該文書が存在するとしても,第7条第3号アの規定により不開示になる文書である。”は不可解な記述である。不開示とされる行政文書が存在する場合,存在の有無を明確にできない理由はなく,文書は存在するが一定の理由により開示できないとすればよいはずである。なぜ,文書の存在すら不明確としなければならないのか明確な説明を求める。」
 と、文書の存在を前提として、不開示理由の説明を求めるなど、情報開示へ向けて異議申立を行った。
③しかる後、諮問を受けた茨城県情報公開・個人情報保護審査会は、
「実施機関が行った不開示決定は,妥当である。」
 と、文書存否についての申立人の問いには全く応えることなく、家畜保健衛生所の見解をそのまま受ける形で結論を出している。

 感想を言えば、唖然とした。私の場合との驚くべき類似性に驚いた。有るはずの文書を何が何でも無いとするための、こじつけ・詭弁。そこにはあたかも、問題別に(例えば、開示を拒否する正当な理由が見出せない場合)特定の回答フォーマットが用意されているのではないかと疑わせるほど似通った論法が用いられている。こうした詭弁と論法は、権能の笠を着た傲慢さが無ければとてもできない業ではないか。これはもはや、民主社会における「第三者委員会」とは到底呼べるものではないだろう。
 上例がその後どのように展開していったかは不明である。が、此処までの仔細は、茨城県がネット上に情報公開しているから妙である。

「至福の回遊路」─私の健康三原則:「笑顔で楽しく、歌って歩く」─

 我が国は、世界有数の医療先進国である。それかあらぬか、日本人の平均寿命は、男性80.5歳、女性86.8歳となって、世界に冠たる長寿国になった。これはこれで真に喜ばしい……。が、平均寿命の延びこそよけれ、介護を必要としない「健康寿命」は一向に伸びず、他方で、さしたる病因も分からぬまま、心と体が一体化して機能低下し、その行動に責任能力の無い高齢の認知症患者が増え続け、深刻な問題となっている。認知症者が生まれることによってもたらされる家庭崩壊、引き起こされる交通事故、その他もろもろのトラブル・犯罪、また、認知症者が被介護者となることによって受ける虐待、あるいは殺傷事件……。厚労省によれば、2012年の時点で65歳以上の高齢者7人に1人が認知症で推計462万人、それが年々増え続けて、2025年には高齢者の5人に1人が認知症に罹患し、その数700万人を超えるという。
 かくなる情勢下、ある意味必然なのか、高齢者≒認知症≒社会的危険者、とする憂うべき風潮が世の中に広まりつつある。過日、公共放送のNHK総合テレビでさえ、その人気番組<あさいち>で「いつやめる? 高齢者の運転」のもと、隠されたこの主題を世にアピールしていた。恐ろしや、高齢者をいわば「役立たず者」として社会的に排除しようとする動きは、末は「姥捨て山」へと繋がる思想であり、認知症患者への虐待、殺傷行為もこれを心理的基盤として生まれていよう。スローガンとして唱えられる高齢者福祉とは裏腹に、高齢者を取り巻く心理社会的環境はますます厳しい。かつて、『子どもの世話にならずに死ぬ方法』を書いた俵萠子氏が「幸せな老後などない」と断言したが、まさしく然り。看取る者乏しき老人・介護施設で悲憤・諦観の中で人生終焉を迎える老齢者の如何に多いことか-。
 一時(いつとき)でもよい、人生終盤こそ、せめて健康で幸せの時を過ごしたい。古今東西、誰もが願う切実な思いである。しかし、何事も求めて容易に得られるものではないのがこの世の通理。苦難の人生を歩んできた人ほど、よく弁えている。だからといって、諦めてはなるまい。人それぞれ、それぞれのその人生道の中で、それはひょんなきっかけから与えられることもあるからである。

 どうにも胸痛が治らず、病院で診てもらったのが2010年3月、東日本大震災のちょうど1年前のことである。見事に冠動脈が1本閉塞、心筋梗塞に見舞われていた。カテーテル検査を行った若い医師が、冠動脈にステントを埋めて血流を図らねばやがてもう一本の冠動脈も閉塞して命が危ない、と手術を勧める。それは断って退院したが、その後、薬服用の身になった。かなりの重篤患者だったのか、医師から与えられた薬は何とバイアスピリン、バリエット、アイトロール(朝夕2回)、エースコール、アーチスト(朝夕2回)、リピトール、シグマート(朝夕2回)の1日10錠。しかし、当初こそ胸痛が減じたが、すぐに薬効は失せ、それどころか、その副作用なのか、胸痛はかえって激しくなった。74と言う高齢が、嫌でも死を意識させるようになる。〝このまま死んでたまるか〟。この思いが、ライフワークとしてきた「カラー・ピラミッド・テスト」研究の集大成としての『カラー・ピラミッド・テスト入門』へと一挙に走らせた。
 教員生活を退いてから4年、まだ先があるとばかり、のらりくらりとしていた執筆意欲が猛然と昂ぶる。爾来半年、共同研究者の妻と二人、寝る間も惜しんで談論風発、年明ける頃には草稿を書き上げた。だが、その後が全く想定外だった。それまで私との関わりの中でカラー・ピラミッド・テスト関係の書籍とテスト用具を一手に販売してきた図書文化社に出版依頼をしたところ、まさかの辞退があり、立ち往生した。致し方なく、テスト関係の出版社にいくつか当たったが、どこからも色よい返事は来ない。さもありなん。「ロールシャッハテスト」や「TAT」などと異なり、このテストの利用者は、国内外ともに少なく、営業ベースの採算にはとんと乗らないからである。だからといって、もちろん、出版を諦めるなどできるわけがない。あれこれ思案の末に行き着いたのが、自費出版計画、そして出版元となる出版社の設立。こうして、「書肆彩光」を起ち上げた。
 自費出版と言えば、古くは島崎藤村の「緑陰叢書」が有名である。藤村は叢書第一篇として『破戒』を刊行。これが大成果を得た後、『春』、『家』、『微風』(短編小説集)と次々続刊して、いずれも成功している。当世で言えば、私と同年、太宰治賞作家の秦恒平氏の「湖の本」が知られている。ここで氏は、すでに絶版となった自著を毎年何冊も復刊して、すでに127冊を数え、なお留まることのない状況である。こうした、言わば大物の自費出版とは異なる私の「書肆彩光」がはたして成功するのか否か-。しかしそれは、全くの杞憂に過ぎなかった。
 序(ついで)である。私の「書肆彩光」も『カラー・ピラミッド・テスト入門』の他に、絶版となっている数少ない自著、そして新刊を加えることにした。発行部数は、真の読者を対象に常に限定100とし、2011年5月、まずは『カラー・ピラミッド・テスト入門』と『教師の権威と指導力』(文庫本)を刊行、インターネットのアマゾンを介して販売を始めた。定価は、前者2000円、後者600円。印刷費用に送料とアマゾンの仲介料を足し合わせると、実費用の半分ほどの値段である。しかし、金銭的な採算は、初めから問題外である。要は、私の刊したものを是非にも必要としている人に届けたい-、これに尽きる。この心意気が通じたのか、名も無き出版社とは言え、両書とも、真の専門性を追求する方々に、毎月着実に求められ、出版を続ける意欲が支えられた。同年12月にエッセイ集二冊、『歌は心の帰り船』・『二言・三言・世迷い言』を彩光文庫シリーズとして続刊、そして12年7月『カラー・ピラミッド・テスト入門』第2刷、13年5月『ソーシャルケースワークと権威』(編訳)、14年5月『教師の権威と指導力』第2刷を刊行した。
 恃みとしていた出版社から全霊を傾けて成した書の刊行を断られた時、目の前が真っ暗になり、一瞬、道を失った。けれども、道はあった。しかも「禍転じて福」とばかりに、「健康」という,思いも寄らぬ大きな恵みをも与えてくれる道だった。
 一昨日、久しぶりに、『歌は心の帰り船』に注文が入り、いつものことながら、早速に注文品を「スマートレター」に入れて外に出た。途中、近くのコンビニ前に郵便ポストがあるが、終点はそこからさらに歩いて約20分の郵便局。1日2回の回収しかない郵便ポストに入れるより、郵便局のカウンターで出せば、半日、あるいは1日早く読者に届く。雨が降ろうと、風が吹こうと、はたまた槍が降ろうと、配送手順はいつしか地元郵便局への道行きとなっていた。そして投函した後は、気分のままに、近くを流れる北浅川まで出て川岸を辿り、あるいはまた、川岸沿いの公園内に咲く四季折々の花々を一回り楽しんで帰る。この間、万歩計で約6000~8000歩、往復時間50~60分。このひと時、この一回りが、私にとってまさにかけがえのない心身養生の健康道,名付けて「至福の回遊路」とはなった。
 読者を得た喜びと感謝。躰は和やかにぬくもり、軽やかに、またゆるやかに前に進む。この時、心の中の何者が選ぶのか、胸元には都度に懐かしい歌が浮かんで、時には思い入れよろしくいつか口ずさんでいる。
 *雪の白樺並木 夕日が走る 
   走れトロイカ ほがらかに 鈴の音高く
 *ひびけ若人の歌 高鳴れバイヤン
   走れトロイカ かろやかに 粉雪けって
                  (トロイカ)
 唄えばたちまち、目前の景色がたなびいて、その彼方から懐かしいあの人,かの人、あの出来事が待つ雪の草原地帯が見えてくる。
 歌つれづれに書き紡いだ『歌は心の帰り船』。「リンゴの歌」「啼くな小鳩よ」「炭坑節」「白い花の咲く頃」「雪の降る街を」「かあさんの歌」「トロイカ」「人生劇場」「人生の並木路」「赤いハンカチ」「夜のプラットホーム」「有楽町で逢いましょう」「バラが咲いた」……「月の沙漠」。新しい読者が生まれる度に、この懐かしい歌の数々が浮かび出て、ひたすら真心をもって私の人生を支えてくれた父・母・きょうだい・恩師・友人・初恋の人……、銘じて忘れがたき人たちが蘇り、あたかも昨日の如く、再び三度(みたび)、在りし日のあれこれが胸裡を巡る。歌こそまさに、珠玉の如き愛と誠の玉手箱。これを開ける至福の鍵を授けてくれたのが、誰あろう、今や我が分身の「書肆彩光」であり、その読者の方々なのである。
  〈閑話休題〉
 「至福の回遊路」を巡り始めて程なく、ふっと気がついた。襲われるたびにいつ心筋梗塞の発作が起きるかと我が身を不安と怖れで苛んでいた胸の痛みが、いつしか和らぎ、めったなことでは生じなくなっている。これに纏わるエピソードはすでに別の文章の中で明かしたが(「過ぎたるは及ばざるが如し―教育・しつけ・指導における副作用―」14・10・30)、万一関心のある方はそれを見て頂くとして、いずれにしろ、まるで天から恩寵が下されたかの如く、私はここしばらく、ほとんど薬無用で過ごせるようになっている。
 病を得てからのあれやこれやの推移が、私をして信じさせた。不幸や禍ばかりが続くはずはない。何かが機縁となり転機となって生まれる新しい道が、誰にもきっと来るはずである。顧みれば、40年むかし、職場で苦しむ私を見兼ねて、二人の恩師が「研究者への道」を拓いてくれた(『歌は心の帰り船』・22話「恩寵(船頭小唄)」)。そして人生終盤の此度、様々な読者が礎石となって、幸せと健康をもたらす「至福の回遊路」を与えてくれた。これもまた恩寵と言わずして何と言おうか。今、私は、しみじみとこの幸せを噛みしめ、折角のこの回遊路から、以下の如き、自己流私説「健康3原則」を得た。

  〈私の健康3原則〉
① まずは、歩くこと 2本足動物となった人間の、健康保持の最も基本的な運動である。歩き方、時間や距離にいろいろバリエーションはあろうけれど、要は、次の食事がおいしく摂れるように、なるべく毎日、自在に歩き回ればよい。血行促進、筋力鍛錬等々、難しく考えることはない。身体を鍛える運動・スポーツは別次元の問題である。
② 日々、笑顔でいられること 歩くことが健康の源とは、実は誰もが知っている事柄である。だがしかし、何(なに)某(がし)かでも幸・楽の気分が基(もとい)になければ、外に出て歩こうという気持ちには中々なれないのが人情、そのためにこそ、日々を楽しめる何かを持たねばならない。心やさしい伴侶や子ども・孫たちと一緒に居れば、それ以上望むものとてない贅沢であるが、せめて老後には、思い入れて一心同体となるほどの趣味の世界を持つことが肝要である。何のために、といった目的意識など無用、ひたすら楽しみを味わうために、継続的に楽しめる目標を身近に置く。動物飼育であれ、楽器演奏であれ、囲碁・将棋のゲームであれ、対象が何であろうと、それと愛しくふれ合うならば、相手は必ず、笑顔の日々を手向けてくれる。因みに私の笑顔の元は、「書肆彩光」の他にも、庭で楽しむ果樹栽培と文芸同人誌『琅』の編集・発行がある。果樹栽培では、ラ・フランスの樹に長十郎ほか4種の梨、王林ほか3種のリンゴを接いで、名付けて「梨(り)りん」が自慢である。
③ 歌を聴くこと、口ずさむこと 恐らく、歌ほど簡明・率直に心の琴線に響くものはない。民謡、童謡、歌謡曲、歌曲、宗教歌等々、人はそれぞれ、長い人生の中で様々な歌に魅せられ、感動してきた。思い出の歌ならどれでもよい。折にふれて引き寄せ、聴いて、歌って、弾いてみればたちまち分かる。歌に結びつくあの人、かの人、あの出来事が蘇り、往時そのまま、喜怒哀楽の情が立ちのぼる。私にとっては、巡り来るこの情感世界への回帰が人間(性)への関心、人とのふれ合い、情意の交わりに向かわせる源となる。昨今、各所で「音楽療法」なる心理的療法が唱えられるが、原理はなべてここにあろう。否、なくてはならぬ。もちろん、これもまた「幸・楽」の基あってこそ生まれる道筋である。

 「至福の回遊路」から得た「笑顔で楽しく、歌って歩く」我が健康法。蛇足だが、健康を第一と考えるならば、美食や過食、飲酒・喫煙などをほどほどに抑えることは、元より当然のこと。「姥捨て山」行きは、今少し後のことになるのではなかろうか-、ふと思う、昨今である。

 死に臨む親の介護に尽くしてきた幾人もの友人が、かつて本音を述懐した。「もう見ていられない、やっていられない、いっそ死んでくれたら…と何度思ったことか」。親の病苦を見るつらさ、介護のつらさ、その葛藤の末に絞り出される声である。
  「生・老・病・死」は天の定め。老いて、病んで、死にゆく道は、誰にも分け隔てなくやってくる。いつか来る道、いつか行く道である。この道から抜け出す方策が、一体、どこにあるのだろう。「姥捨て山」よろしく、どこぞの施設へ自ら望み、あるいは泣く泣く送り出す向きがあったとしても、だれが責めることができようか。
 しかし、「姥捨て山」に捨てられる姥は、その悲嘆の最中でも、自分を捨てる領主や子どもに様々な知恵を授け、終には国を救い、子どもを痛苦から助けたという。思うに、病苦のつらさ、介護の辛さから抜け出す道は、老後を可能な限り健康に過ごし、その分だけ介護を授受する期間を短くして、己(おのれ)を、また介護者を楽にする以外にはない。
 多くの老齢者が、独立独歩、人の世話をなるべく受けぬよう、老後の暮らし方を独自考案しては実行している。もしその中に、本人およびその次世代の苦労を軽減させるに役立つエッセンスがあるならば、それこそまさに、「姥捨て山」民話に叶う現代版訓話ではなかろうか。本稿「健康3原則」が、そのせめてもの例話の一つになり得るなら、大いなる「幸・楽」である。-妄言多謝。

〈追記〉
① 前回ブログにあるように、昨年11月、国際日本文化研究センター(日文研)において、日文研初代所長・梅原猛氏の記念講演(「戦後70年を迎えて」―現在、未来へのメッセージ)を聴いた。氏はその折、「同世代の多くが認知症に陥るなか、齢90になっても己は健康、さらに10年生きて100歳に達した際には、再度記念講演に呼んでもらいたいもの」と述べてますます壮ん、旬日で傘寿を迎えようとしていた筆者にとっては,とりわけ感動的だった。10年後、是非とも、京都・日文研での再会を得たいものである。
② 本稿を終えるに当たって、お目にかかったことはないが、五・七・五の俳句形式でなければ到底表すことのできない、逝く人送る人の鮮烈な交情の世界を描いた、市井の女流俳人・溜谷哲子氏の句を二つ挙げたくなった。
    おぼろ夜の介護の夫(つま)の便を褒め
    もういゝと残し逝きけり花菜漬
  介護福祉に携わるすべての方々に捧げたい。

 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。

稀勢の里、「一日、四股百遍」で横綱へ-礼節の日本文化を守る-


 フィギュアスケートの羽生結弦選手が、バルセロナ(スペイン)におけるグランプリ(GP)ファイナルで、男女の性(さが)を超えた神業ともおぼしき華麗な氷上舞踏の美を演じ、恐るべき史上最高スコアを出した(15.12.12)。これを神とも讃える内外の声が上がり、それを凱旋帰国とも言うべき成田空港で聞かされた際の同選手の感想がまた麗しい。簡約すれば、「光栄です。でも、そのように応援して下さる方々こそ、私にとってはなによりの応援、神様です」。
 これが二十歳そこそこのアスリートの咄嗟の述懐かと驚嘆し、また、これぞまさしく芯からよき日本文化(日本の心)に育まれ来た人物だと、感銘した。

 過日、国際日本文化研究センター(日文研)における梅原猛先生の講演(「戦後70年を迎えて」私の戦後・京都の戦後―現在、未来へのメッセージ)を聴く機会を持った。その講演の終盤で先生が語ったところを不遜にも要約すれば、「平安時代340年、江戸時代250年という世界史的にもまれに見る平穏社会の中で培われた日本民族の平和文化を、闘いを好む欧米の戦争文化に代えて、世界の“周辺文化”から世界の“中心文化”にしていくこと、それが人類を破滅の道から救う唯一の道程である」。まさしく然り。そして、世界を救うべき日本文化を最もよく象徴するのが相撲と柔道、我が国古来の伝統スポーツではなかろうか。
 平和文化が産み落とした日本伝統の相撲と柔道。どちらも必ず、「礼」に始まり「礼」に終わる。もちろんこの「礼」なるものは、単なる形式的な儀式ではなく、勝って驕らず負けて動じず、而して敗者を労り勝者を讃える礼節の精神、ひいては勝敗の後なお大きな和の世界に戻るべしという世界観を具現化し、体現化したものである。これを言い換えれば、日本人の美学、さらには「日本の心」である。しかしながら、この日本の心が、近年、競争や闘争を旨とし勝敗にこだわる欧米異文化に侵され、その根底から損なわれつつある。
 野球、サッカー、ラグビー、バレーボール、陸上競技・・・等々、様々なスポーツの世界で勝者がこれ見よがしに顕示するあのガッツポーズ。勝てば官軍の驕りの極み、敗者を慮る礼節などかけらも見られない。これが外来スポーツの世界に限られるならばまだ許せるが、今や最も礼節を重んずるべき日本柔道の世界でもすでに一般化しつつあるとなれば、もはや何をか言わんや。柔道が初めて取り上げられた1964年の東京オリンピックで、オランダのアントン・ヘーシングは、日本選手を破って金メダルを奪った瞬間、歓喜して畳の上に駆け上ろうとした同国関係者等を咄嗟に手を上げて阻止した。この勝者ヘーシングが学び取った日本文化の粋、礼節の世界も今はむかしの話となった。オリンピック、世界選手権等で優勝を決めた瞬間に見せる日本人選手とコーチ陣の狂喜乱舞のあの様(ざま)は、一体、どうしたことか。敗者を尻目にひたすら歓喜する異文化選手たちと全く同じ、真にまことに嘆かわしい。日本柔道は、すでに「日本の心」を失った日本文化である。思うに、日本の柔道は国際化が過ぎて、梅原先生が言うところの「周辺文化(日本文化)を世界の中心文化へ」とは真逆に、むしろ異文化を我が国に導入する窓口にさえなっている。
 これに比べ、相撲道の世界にはまだ救いがある。斯界のトップに立つ二人の外国人横綱を見れば、一瞬、慨嘆する。片や勝つために過ぎたる張り手を連発し、手にした賞金の束で勝利を誇示(白鵬)、こなた優勝しては「勇気と希望を与える相撲を取り続ける」などと傲岸な言葉を吐く(日馬富士)。日本の心とはあまりにかけ離れた斯界最高位者(横綱)のこうした所作・言動は、相撲道もまた悪しき異文化に害されつつあることを示しはするが、他の力士一般、また相撲界全体は未だ礼節その他のよき日本の伝統の中にあるやに見える。この体質の中で、もし一人でも、身も心も「礼」に始まり「礼」に終わる礼節の横綱が現れるなら、相撲道はしっかりと日本の心を持った日本文化として留まり得る。そこで、「出でよ、横綱、心ある横綱!」への思いが、ここ数年、私を捉えて放さない。

  ところで、自ら言うのもおこがましいが、筆者は子ども時代、相撲が滅法強かった。昭和10年生まれの私の身長と体重は大人になるまでほぼ一貫して当時の日本人の標準値よりやや低目、その‘最盛期’でも165センチ、60キロにすぎなかった。その上、大いに短足胴長で、走るのは遅く、駆けっこが大の苦手だった。それがひとたび組み合ってはっけよいともなれば、躰の大小などは何の其の、一回り二回り、いや、三回り大きな相手でも、ほとんど右四つで寄り切るか、下手投げで投げ倒した。
 中学3年時の夏、当時住んでいた男気盛んな福岡・筑豊炭田内の炭鉱部落(明治鉱業所天道炭鉱)で開かれた中学生相撲大会が忘れられない。私は相撲部や柔道部に属する猛者たちを次々と破って最初の五人抜きを達成したが、これはしかし、日頃楽しむかりそめの相撲ごっこでも常のこと。何ゆえそれほど強かったのか-。理由は単純明快、簡潔そのものである。
 何よりも先ずものを言ったのは、相撲を取るのに都合のよい短足胴長の体型だった。恥ずかしながら、私は、私よりはるかに長身の人たちに匹敵する図太い胴長の上半身と、それを支える短く太い頑丈な下半身を有していた。その有り様は、例えば優に180センチは超えて日本人としては大変大柄な若き盟友、東京学芸大学名誉教授の松村茂治氏との対比関係の中でとらえればまさに一目瞭然である。私は氏と並んで歩くとき、これは掛け値なしに疲れるが、いつも横上向きに首をひねり、視線を上げて会話する。しかし、いったん椅子に座ってテーブルを挟んで真向かえば、友の顔はこちらと全く同じ高さ、視線はまっすぐ前に向けたままで済み、疲れることなどさらさら無い。
 この特徴ある頑丈な躰を、抜群の運動神経で巧みにバランスを取って組み合うのが私の相撲である。押されたら横に動いて相手を崩し、右に左に動かれればそのまま密着して相手の崩れた体勢につけいり、もし相手が引こうものならその力を利用して一気に寄り切る。たったこれだけの素朴な戦法であるが、これを成り立たせたのが、短い両足でぴたっと重心を保って上体を移動させる抜群のバランス感覚だった。これは、40歳を過ぎてから始めた私のスキー上達の様を知れば誰にもすぐに理解できるはず。私は何度かゲレンデに通ううち、やや両足を開き加減とは言え、見る間にくねくねと滑り降りる‘クリスチャニア’なる技術を我流で身につけ、まだ疲労が来ないスキーの初日~2日ではまるで転ぶことなく、スキー歴長い仲間たちがあちらで転びこちらで倒れる様を尻目に、すいすいとゲレンデを滑り降りていた。自慢ついでに明かすと、私は高校時代、学校の体育館をえっちらほと逆立ちで一周したこともある。
 では、我が身を自在に操るこのバランス感覚が天性のものかと言えば、いや、けっしてそうではない。実は、私はこれを、中学時代から高校時代、横綱気分で校舎や庭の片隅でひっそり行う、いわば相撲の‘四股百遍’の練習で身につけた。やって見れば、それは誰にもすぐ分かる。見事に足が上がる名横綱の千代の富士や貴乃花のようにはいかなくても、精一杯片足を上げて踏み下ろしたときの感覚がキーポイント。足の開きが広すぎれば(重心が低すぎて)前のめりになり、狭すぎれば(重心が高すぎて)ふらり揺れ動く感じが残る。しかし、失敗にめげずこれを何度も繰り返すうちに、やがては前にのめらず、左右にもぶれずにぴたりと収まる、即ち、四肢と躯幹の最も安定した重心位置が見つかり、「さぁ、矢でも鉄砲でも持って来い」といった無双の体感が得られるようになる。このようにして得たバランス感覚と体感の中で、我流ながら私は、咄嗟に生じる相手の変化やゲレンデの凹凸を超えて、断然たる安定性を保ち続けたのではあった。

 日本の心を体現し得る横綱出でよ、と念じ出した頃、二人の力士が候補に挙がった。第一候補が大関・稀勢の里、第二候補がモンゴル出身の大関・鶴竜である。しかし、その後、鶴竜は見事横綱に昇進したものの、如何せん力量が不足し、他の二人のモンゴル人横綱の影に隠れて、とても相撲界の象徴たり得ない。一方稀勢の里は、資質十分なるも、これは何か一本芯が欠けて、肝心なところに来るとつまづき、期待を裏切り続けている。にも拘わらず、この間私は、彼の昇進を期待して、恥ずかしくもこのブログ欄に二度、三度と応援歌を送っている。稀勢の里に‘大和男の子’を期待する」2012年9/23大和男の子、稀勢の里! 北の湖二世」2013-11-24、横綱は美学を持つもの」2014-11-12)。
 さても、稀勢の里には、致命的な欠陥がひとつある。それは、土俵上における所作を見ればたちまち分かる。立ち合い前の四股はおざなり、白鵬などのぴたりと収まる見事な演技に比べて、なんとも頼りなげなその姿態。足の開きは狭く、巨(おおき)きな上半身を支えるには余りに重心が高すぎる。これでは、躰が離れ、あるいは揉み合い、混戦になった時、躰がぐらつき、相手の変化への対応が遅れて闘いに敗れても仕方がない。
 スポーツなるもの、その戦略も含めて、習得すべき理論と実際は、本来極めてシンプルなはずである。例えば、日本野球界の名将・野村克也氏はある年、「分かりやすい野球」をモットーに、「野球はもともと難しいものではない。イチロー君のような、基本に立ち返った分かりやすい野球を心掛ける」と公言し、「投げ方や打ち方などにこだわらない。オーバースローでもアンダースローでも、ダウンスイングでもアッパースイングでも、狙ったところに投げて、打つて、走ればよい」との明快な原理で選手を引っ張り、その年、ヤクルト球団を美事にリーグ優勝に導き、さらに日本一にも輝かせた。
 また、女子サッカー「なでしこジャパン」は、2011年、これまた知将・佐々木則夫監督の指導力の故か、はたまた名選手・澤穂希選手のリーダーシップの故か、周知のように、功名心を抑えた全メンバーの固い連帯意識と徹底した連動性をもって、世界チャンピオンの座についた。体格優れ、個人技術も高い外国チームを破るにはこれ以外に勝つ道はない、と選手全員の認識・理解が一致し、ひとすじに結束した結果である。
 相手の欠陥につけ入り、重心の定まらない相手にはそこを突く。理の当然である。賢い力士は、対稀勢の里戦では、必ずや、変化を旨とし、崩して重心をぐらつかせる戦法を取るだろう。もし私が相撲の神であるならば、今の稀勢の里なら小指一本で突いて倒せる。因みにこれまで、稀勢の里が敗れたパターンの過半がこれである。稀勢の里の体力および相撲技術は、すでに十分なものがある。よって、横綱になるには、何を置いても先ずは相手の動きに惑わされずに併走し得る安定した重心付図を見い出すこと、これにつきる。そしてその方法は、「一日、四股百遍」、これまた、これにつきるだろう。さすれば、稀勢の里は遠からず、横綱の地位に昇ることになる。
 嘘か真か、戯言か。私はかつて、大関・武蔵丸を横綱・武蔵丸に導いた(「スポーツ笑談・勝負の極意」『二言、三言、世迷い言』書肆彩光、2011)。この度の話、その話と合わせて、大関稀勢の里に届くことを秘かに願っている。

 さてさて、いろいろ述べ来たったが、つまるところ私は、稀勢の里の大フアン。この力士を横綱にして日本の礼節文化をも守る、それが願いなのである。ご笑読、心より深謝します。

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戦争は、人類にとって究極の敗北-戦後70年、私の所感-

  戦後70年ともなれば、深刻な戦争被害体験を持つ人の数がめっきり減ってくる。この節目を迎えた今年、安倍内閣による戦時体制への傾斜が不安視されるなか、残り少なくなった戦争被害体験者が、これまで思い出すさえ辛く、語ることを固く封印してきたそれぞれの悲惨な被害体験を語り出した。必ずしも戦争を否定しない向きが拡大しつつあるのではないかという抑えがたい危機感に駆られ、戦争のない平和国家建設の礎(いしずえ)ともすべく、語り部として語り残すことが生き残りし者の果たすべき役割と思い直し、黙しと封印を解くに至ったのであろう。
 B29による大空襲、特攻隊の無残、沖縄戦での悲劇、原爆投下、中国・満州で終戦を迎えた人々の惨禍・惨劇…。様々な資料ですでに同種の悲惨な内容を知り尽くしている国民にとっては、どれをとっても、とりわけ目新しい戦争悲劇ではない。が、これらが新たに登場した人達の証言によって改めて語られるとき、衝撃もまた新たになる。例えば、終戦時小学5年、ご父君が満州鉄道に勤めていた関係で満州・ハルピンの社宅に住んでいた俳優・タレントの宝田明氏。昨年後半からマスコミ各所で、勝ち誇った側(ソ連兵)の暴虐、満州からの悲惨な帰還の道程を語り出した。

 終戦、そしてハルピンは、潮のようになだれ込んできたソ連軍によって、たちまち目を覆うばかりの略奪、暴行、陵辱の街と化した。氏は同じ満鉄社宅に住む女性が髪の毛を掴まれ、崖下に引きずりこまれて陵辱される様を目撃した。ある夜、家族一同食卓を囲んでいるとき、ソ連兵が二人、突如家に押し入ってきた。冷たい銃口をまだ幼い氏のこめかみにも突きつけるなどして脅し、なにがし家財を略奪した。その後、彼らは家族の前から母親を別室に連れ去り、時経て家族の前に母を連れ戻したが、その間、母親の身には何事が起きていたのか-。家族の誰も母に問うことはなく、母親もまたその後一切語ることとてなかった。もちろん、訊くこと、話せることでは決してない。宝田氏は、その後もハルピン市内で荒れ狂う占領軍兵士たちに幾度も遭遇したが、行方が分からなくなった兄を探しに行く途中、自らもソ連兵から腹部を銃撃され、麻酔薬も手術器具もない中で、元軍医の必死の手術でようやく命が救われるという体験をしている。やがて一家は、苦難のハルピンから日本行きの船が出る港まで、社宅居住者一団となっての、二カ月半にもわたる帰還行路につくが、それは、餓死者が相次ぎ、やせ細って母乳が出なくなった母親たちが子どもを求める現地の人たちに請われて、赤児を生かし、また自分たちも生き延びるために、食べ物との「物々交換」で泣く泣く我が子を手放す等、まさに敗戦民族の悲惨な逃避行であった。
 幸か不幸か、私には、戦争は二度と起こしてはならぬ、と語り伝えることに資するほどの直接的な被害体験がない。体験と言えば、東京大空襲があった1945年3月10日の少し前、警戒警報が鳴って学校から家まで走り帰る途中、大通りで米軍戦闘機に機銃掃射されて危うく命を奪われかけたこと、そして、東京大空襲の夜、当時居住していた、時折行き先を間違えた焼夷弾がわずかに降ってくる程度の安全地帯(千葉県市川市真間)から、川(江戸川)ひとつ離れた彼岸の地が煌煌と夜空を染めて燃え上がる様を呆然と見上げながら、‘米英憎し’と、いわば代理的な被害体験を持ったことぐらいしかない。これらに因んで、一昨年、反戦を唱える一文「宰相たるもの、真の“美学”を持とう―安倍総理の靖国参拝に因んで―」を草したが、この程度の「戦争体験」では、さてもおこがましくて、反戦を声高に唱える資格などはない。これに比べて、全く同じように直接の被害体験こそ無いが、父や長兄、次兄、三兄たちには、痛切な代理体験がある。父たちは当時、みな東京都心部へ通勤、通学していたが、大空襲の後、川を渡り線路を伝い、被災者がさまよい歩く焦土の最中(さなか)を往復する中で、そのあまりの惨状・惨禍をそのまま同胞として追体験し、己たちのものとした。即ち、尋常ならざる空爆被災者たちと同じ世界に我と我が身を置いた。被災の状況を語るとき、父たちが一様に、拳を振るわせ、にじみ出る涙をその拳でぬぐっていた様からも、それが分かる。実は、戦争被害者感情と同一化する私の反戦感情の源は、ここにこそあるのであった。後に俳人となった三兄は、当時瞼に焼き付けられた情景を「鎮魂」と題して次のように詠っている。
     死者またも浮く慟哭の黒き川   宗内数雄(『隠りく』前田書店 1998年)

「慟哭」はしかし、大戦で敗者となった日本国民だけに与えられた特権ではない。大戦の終了とともに日本の侵略行為から解放された国々、とりわけ長期にわたる日本軍民の暴虐行為に苦しめられていた中韓両国民にとっても、全く同様である。そして慟哭は、一方(日本)では反戦と平和への思いの源となり、他方(中国)では恨み・怨念・復讐心の源となった。われわれが慟哭を源として平和を願うなら、相反する慟哭がいかにしてもたらされたかをもしっかりと認識し、その謝罪の心を土台に「反戦」を唱うものでなければならない。
 とは言え、被害者としての「われわれ」を認識することはできても、「加害者」としての「われわれ」を認容することは難しい。ここしばらく、テレビ上では連日、戦争を悔悟・反省する番組や話題が引きも切らず登場するが、そのなかで、あるコメンテーターが「日本は負けるべくして負けた。アメリカと違って戦争資源のない日本は絶対に戦争をしていけない国だった」と発言するのを聴いて、慄然とした。そこには倫理的な視点からの考察や反省はかけらもなく、裏を返せば、万一資源が豊富で‘勝てる戦ならばやってもよかった’という本音が覗いて見える。そしてさらに驚くべきは、他の数名のコメンテーターもみな一様にうなずいて彼女に同意を示したこと。いわば日本の知性を代表する面々が集って議論するテレビワイドショー、この日本に、真の反戦思想が行き渡るのは、容易なことではない。
 そこで、待たれるのが、日本の軍国・帝国主義の暴虐を身をもって行い、心からなる悔悟・反省とともにその内容を偽りなく伝える語り部の出現である。勝ち驕るとき、人はどれほど残虐になるか。日本民族もその例外ではけっして無い。しかし、無念なことに、その有資格者とも言うべき人たちは、その多くがBC級戦犯として処刑され、早くに世を去っている。またたとえその残虐なる真実を身をもって知る人が、万一生き残っているとしても、加害者の立場からそれを語ることは並大抵のことではない。それ故にか、これまでにいくつか細切れに語り残されることはあっても、切実な迫力をもって語られる被害体験に匹敵するようなリアルな加害体験は未だ語り伝えられてはいない。幸いにも、と言ってよいのか、この私は、勝ち驕る日本軍の非道を日中戦争に軍属(通訳)として参加した父から、以下に述べる切実な体験を通して伝えられている。

 それは、終戦を告げる昭和天皇の玉音放送があって間もなく、炎暑真っ盛りの中のことだった。食糧難極まって、父と二人、陸軍練兵場の裏門から入り込み、フェンス沿いに生い茂る雑草の中からオオバコなど食用草を摘んでいた。兵舎用三階建ての建物は五、六十メートルは離れていた。と、突然、「貴様ら、そこで何してる!」と大音声の怒鳴り声が飛んできた。振り向くと、二階の窓から軍服の兵士が身を乗り出してこちらを睨まえ、指さしている。「肩をならべて兄さんと 今日も学校へ行けるのは 兵隊さんのおかげです…」(「兵隊さんよ ありがとう」作詞 橋本善三郎、作曲 佐々木すぐる)と歌って兵隊さんは親しいものとばかり思い込んでいた。しかし、父の顔は一瞬でこわばり、青ざめ、「行くぞ!」と言うや私の手を引き、一目散に門まで走った。門を抜けても、まだ走りに走り、ようやく走り止めたのは、練兵所の窓から到底見えないところまで来た時だった。息切れて今にも胸が破裂しそうで、父の手に縋りついたまま、私はそこにへたり込んだ。
 悪事を働いたわけでもない。にも拘わらず、何故逃げ出したのか。父はその後、それについて一言も言い訳せず、私もまた、その時の尋常ならざる父の有様に恐れ戦き、何も問うことをしなかった。その謎が解けたのは、爾後30年も経って父があの世に旅立つ前の年、日本軍の残虐行為を取り上げて戦争を反省する、あるテレビ局の終戦記念番組を親子そろって見ている時だった。父は日本が中国を植民地化していた時代に国策で上海に興された「東亜同文書院」を卒業し、帰国後NHK国際局にも関係する中国語学者だった。1936年12月、日中戦争勃発(1937年7月)を前に招集され、一年後復員、翌年に「華語要訣」(三省堂, 1938年)を出している。従軍時に捕虜や住民の取り調べ時の通訳を仕事にしていた父に、私は恐る恐る、日本軍の残虐行為の有無を訊ねて見た。しばらく無言だったが、やがて父は、夢から覚めたように、ぽつりと洩らした。「容赦なく、首が切られた…。簡単な取り調べで…」。
 「どこで?」
 「その場で」
 初めて聞かされた従軍時の様相だった。事も無げなその残虐はあまりに恐ろしく、また罪深く、同胞(はらから)として到底口に出せるものではなかったのだろう。長年の沈黙を破った後、僅かでも贖罪に繋がったのだろうか、日頃渋面の父の顔から、憑物が落ちたような、胸のつかえを吐き出したような、ほっと安堵の色が見えたが、私は瞬時に、30年前のあの出来事を思い出していた。あの時父は、心底染みついていた軍人たちへの不信と恐怖が蘇り、万一を怖れて咄嗟の逃走劇に及んだのではなかったか。父の心の奥底深く消えやらぬ恐怖と罪障感を残した旧日本軍残虐行為を感得し、思い知らされた時の間だった。

 古今東西の歴史が物語っている。ひとたび生死を賭けた戦(いくさ)が起これば、人は野生に戻って鬼畜と化する。そこでは、民主主義、平和主義、人間愛、友好……等々、人間を人間たらしめる近代の「人間性」はすべて虚構の、美名・スローガン・むなしごととなる。しかも、近未来の戦争は、最終の勝利を得るために「戦争抑止力」と称する核兵器を不可避的に使用するところとなり、それは地球上の生きとし生けるもの、否、海・山・川・大地・石ころ、地球上のあらゆるものに、きっと再生不能の惨禍をもたらす。世界の平和を祈願するバチカンのフランシスコ教皇は「戦争は常に人類にとって敗北」と世に訴えたが、今や戦争は人類にとって究極の敗北を意味している。
  隣国を侵して残酷な加害者となり、また、原子爆弾の被爆というこれ以上にない過酷な被害者となった日本民族。それ故にこそ、平和を訴え、戦争に反対する最高の資格を有する。このプライドを持って、とこしえに平和と反戦を訴えていくことが、われわれに与えられた地球的な使命だと言えないだろうか。

     鎮魂は終はらず候(そうろう)終戦忌   宗内数雄(1995年)

                           
 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手・コメントを下されば、有難く存じます。

新生銀行、お前もか。― 〈人か、組織か。拝啓、新生銀行殿〉―

  泣く子と地頭には勝てぬ?

 新生銀行こそは、サービスのよい好ましい銀行だと思っていた。預金・出金は他の金融機関のATMからでも無料で行うことができるし、なにがしかの預金残高があれば、何回か無料で各所にネット送金ができる。ほぼ10年前、たまたま迷い込んだ八王子支店の店先で応対してくれた愛くるしいK嬢の心地よさに惹かれ、ついついグロソブなる投資信託まで購入したのが、取引の始まり。その後、ネット送金、出先での必要金銭の引き出しなど、便利に利用し続けてきた。それがこの度、あっと驚く対応があり、恐れ入った。その内容は、あきれ果てて先般このブログ欄で取り上げたあのみずほ銀行と全く同じ、いやいやそれを遙かに凌ぎ、人(庶民)を人とも思わぬ金融機関をまさに象徴し、庶民が頼れる銀行があるなどと、いっときでも幻想に陥っていた己の愚かさを痛切に知らしめてくれるものだった。さては、無料出金、無料送金などのサービスは、貧しく愚鈍な人間をだまし引きこむ単なる手段に過ぎなかったのか―。
  ことは単純明快である。先のトラブルの後、みずほ銀行との取引を中止して他の金融機関に現金・証券類を移し替えたことをきっかけに、(大した額ではないが)いろいろ分散していた金融資産の預け先機関を整理することにした。そこで、預金は馴染みの郵便局(ゆうちょ銀行)と新生銀行、株式・投資信託はSBI証券へとそれぞれ移管して預け先を簡略化することにし、新生銀行については、まずは預託中の投資信託(グロソブ)をSBI証券会社へ移管しようとしたのであったが……。
  いかなる根拠に基づくのか、新生銀行(八王子支店)では、投資信託については、移管は行っていない、即ちできないとのことである。これは驚き、これではまるで、転校希望の生徒に対して転校は許さない、嫌なら退学してから転学せよと言うに等しく、大変な権利侵害問題である。そこで取引約款を当たると、「当行は、お客様からのお申し出があり、当行が承諾した場合には、他の口座管理機関へ振り替えを行います。ただし、当該管理機関において、お客様から振り替えの申し出があった銘柄の取扱いをしていない場合、当行は振替えの申し出を受け付けないことがあります。」(投資信託総合取引約款・第3章、29の1)となっている。これなら、他の証券・金融機関と内容的にほとんど異なるところはない。SBI証券はグロソブを扱っており、それを移管できないとは筋が通らぬ。そこで、「移管できない理由は?」と問えば、これまた何と、「当行は内部規約により、これまで一度も証券類の移管は行ったことがない」と突き放してくる。あとは、店にまで直接訪れても、お客様相談センターなる窓口に問い合わせても一向に変わることなく、やがて、「約款」に従って移管はできないという訳の分からぬ内容の"文書回答"までやって来た。

 さてさて、泣く子と地頭には勝てぬ、という故事ことわざがあるが、ここに至って、まさにまさしく、そう思った。
 泣いて喚く子は自分の理不尽は露ほど思わず、また強(こわ)面(もて)の地頭は理不尽は百も承知の上だから、どちらも己(おのれ)をどこまでも押し通す。弱い大人や力なき庶民は、理の通じない相手にはいかに道理を尽くしても所詮勝ち目がないから、堪えにこらえ、ハイハイ分かりましたと引き下がる。これが即ち「無理が通れば、道理が引っ込む」、古今東西まかり通る「不合理なる道理」のメカニズムである。この泣く子と地頭を現代風に翻訳するなら、例えば、生徒に対する体罰教師、選手に対する暴力支配のスポーツ関係指導者、被疑者に対する警察官、被融資者に対する銀行マンといった、ある種の関係性の中でなにがし優位に立つ者をいう。
  しかし、それでよい訳(わけ)はないだろう。泣く子と地頭は増長してますます悪徳を重ね、小役人的な小権力主義者となり、いじめ・意地悪文化を根っこで支えて、たくさんの被害者を連綿とつくりだす。学校、企業、その他どこもかしこも、いじめ・パワハラ等による重い精神障害や自殺に追い込まれる被害者が後を絶たない時代である。これを無縁の事象とけっして思ってはなるまい。泣く子と地頭を野放しにして、こうした風潮・文化を根っこで支える我々〝弱き〟人種たちにも大きな責任がある。万一そういう輩に出会ったら、もちろん己のため、また世の中のためにも、きっと退治するのが務めと心得るべきである。

 一昨年、みずほ銀行とのトラブルがあったばかりで、もう銀行とはもろもろ余計な関係を持ちたくないと思い、取引金融機関を整理しようとする最中での降って湧いた、同種出来事である。みずほ銀行とのやりとりはいろいろあったが(「人か、組織か。―〈拝啓、みずほ銀行殿(6)〉『琅』26号」)、私をして最も怒らせたものは、今般と同じ、購入した投資信託の他社への移管拒否問題、即ち人権侵害問題であった。当方の移管申し出に対し、初め規約上できないと拒否し、次いで、売却以外に手は切れないと強硬だったが、結局、規約上できることが分かった、と担当者が謝罪してきて解決したものである。当然と言えば当然、証券類は所有者本人(名義人)のもの、それをどこに移すかは所有者の自由であり、それを留め立てする権利は他の誰にもあろうはずがない。然るに今般、またしても全く同様の出来事が新生銀行との間で生じた。しかも、先般(みずほ銀行)とは異なり、此度はまさに応対者個人の問題ではなく、びくとも動かぬ銀行組織そのものとして立ちはだかってきた。これを〝地頭〟と呼ばずして何と呼ぼうか。
 この問題に関して、三つの機関に連絡し、また相談した。一つ目は、、ある意味では法的な機関でもあり、国民が各所金融機関で購入した株式等の証券類を組織的に一括管理する「証券保管振替機構」(通称、ほふり)。しかし、移管拒否問題については〝遺憾ながら関与する権限・機能が無い〟として、株式や投資信託などの金融商品取引に関するトラブルを公正・中立な立場で解決を図るとする「証券・金融商品あっせん相談センター」を教示するに留まった。
 二つ目がこの「証券・金融商品あっせん相談センター」。電話で斡旋を申し込んだところ、極めて共感的で、即座に新生銀行本部に対して電話で斡旋行為に及んでくれた。が、「銀行側が約款に従い移管はできないの一点張りで手に負えない」とやむなく匙を投げた。そこで、三つ目に選んだのが、金融機関の監督機関たる「金融庁」である。それは、かりそめに電話したさる簡易裁判所の電話相談室の担当事務官から示唆されたことによるのだが、インターネットで調べてみると―、なるほど、金融庁には、心強くも、「金融行政・金融サービスに関する一般的なご質問・ご相談・ご意見を金融サービス利用者相談室で受け付けています。頂いたご質問・ご相談については、相談員がお電話にてお答えします。また、頂いたご意見については、金融庁内で共有し、今後の金融行政に活用させていただきます」と唱え、〝皆様の「声」をお寄せください!〟と訴える「金融サービス利用者相談室」があった。
 これだ、と思わず直感した。40年ほど前の、ちょうどバブル経済走りの頃の出来事が咄嗟に脳裏を横切った。3年間毎月積立預金をすれば、その3倍を限度に住宅資金を貸し付けるという労働金庫の積立預金を終えた時のこと、何という理不尽、いざ住宅ローンの貸し出しを申請すると、3年間積んだ預金はローン返済終了時まで拘束預金として預かる、と労金側が言い出したのである。これでは資金不足で住宅など全く購入できない。思案の末に赴いたのが、労金の監督官庁たる労働省(現・厚生労働省)―、そこでの対応は、実に見事だった。担当官は、私の目の前で、預金先の労金新橋支店に電話を掛け、問い始めた。その折のことを、私は拙著のなかに留めている。役人たる者、国民のためにすべからくかくあるべし、ここに再録してみよう。

「積立住宅ローンというのがありますね」
「はい」
「三年間の積立期間終了後、それ(積立金)を拘束預金にするということにはなっていませんね」
「はい」
「お可笑しいですね。今、私のところに、積立預金をそのまま拘束預金にしなければ住宅ローンはできないと言われたという人が見えているのですが…」
「??!」
 翌日、支店長と副支店長が大きな菓子折を持って、飛んで我が家まで謝りにきた。
       (『二言、三言、世迷い言』「官こそ恃み」二〇一一年)

 しかしながら、これに比べて此度の金融庁の対応は、全く想像だにできないものだった。細かいやり取りは置いて、相談員が述べた結論のみを上げると、とどのつまり、「民事不介入で、当否についても言及できない」とのこと。そこで上記の事例を聞かせて監督官庁の役割を問えば、「労働省の行為は労金に対する越権行為」であり、「金融庁は金融機関への干渉は一切しない」、と、権利侵害を訴える当事者からすれば、いわばけんもほろろの対応である。
 調停斡旋の機関で駄目、監督官庁でも駄目とくれば、もはや民事的に解決する手がなくなり、あとは司法の手に当否の判断を委ねる以外に道はない。ただその前に、金融庁が私の訴えをどのように把え、それを伝え聞いた新生銀行が金融庁にいかなる回答をしたか、その正確なところを確認しておく必要はあるだろう。
表2が、これを確認するために行った、金融庁への「保有個人情報開示請求書」。各文書の写しの送付を求めている。そして表3がこれに対する金融庁の回答で、全面開示はせず部分開示となっている。しかし、文書の写しはかけらもない。また、「金融庁に対する新生銀行からの回答書は保有せず」、となっており、無責任極まるものであった。
 これは真剣に物事の解決を思案する申立人(換言すれば国民)を愚弄するに等しい。それ故、この回答書に対して、新生銀行からの回答を保有していないことの理由開示と共に、全部開示を求めて、15年7月9日づけで異議申立を行った。が、しかし、2ヶ月を経過した今日まで、未だ回答はない。

 ちょっぴり目を転じて、北朝鮮、ロシアという近隣二つの国に触れてみよう。
 まず北朝鮮という国。世界中が平和を希求し、戦争を回避せんとする風潮・文化が進む中、言わずと知れた日本人拉致問題で日本国中を悲憤慷慨させ、揚げ句に、拉致被害者を人質同然に経済援助を要求し、時に核弾頭運搬手段ともなり得るミサイル発射実験を行って、日本国家・国民を脅迫する。
 次にロシアという国。第二次大戦終了時、日ソ中立条約を破って日本の敗戦を決定的にし、その勢いで、南樺太・千島列島、さらには北海道と地続きの感さえある択捉島など北方4島まで占領して自国領として今に至る。北方4島に関しては一九五八年の日ソ共同宣言で、「平和条約締結後、日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す」とされているが、現在ではその実効支配も極度に進み、もはや返還する兆しもない。
 日本によって長く属国支配された朝鮮民族、日露戦争における屈辱的な敗戦を味わったロシア民族、これらが両国家・国民に与えた屈辱と怨念は血肉となって受け継がれてきたに違いない。が、しかし、それをどれほど斟酌しても、今日的平和観をもってしては、日本国および日本国民にとって、まさにこの両国、〝泣く子と地頭〟ではあるまいか。これに尖閣諸島問題を絡めて中国のさらなる軍事国化を考慮すると、憲法違反の疑義や批判が様々あるなか、この度の安保法案改正を無理押ししてでも成立させた、一国を預かる身としての安倍総理の思いは痛いほど分かる。が……、おっと、脱線。
  世界に向かって平和思想の先導者たらんとするわれわれ日本国家・国民。少なくとも国の中では、いじめ・意地悪の元凶となる〝泣く子と地頭〟にはならぬよう、そしてならさぬよう、きっと振る舞いたいものである。(9月9日:加筆)

 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手・コメントを下されば、有難く存じます。

* 本稿の続編が「人か、組織か(2)―〈拝啓、金融庁殿&総務省「情報公開・個人情報保護審査会」殿〉」、そして「降りかかる火の粉は払わねばならぬ―泣く子と地頭は諸悪の根源―(人か、組織か⑶ 拝啓、新生銀行殿)」です。是非にもお読み頂き、また、コメント等頂戴できれば、まことに有難く存じます。

コピペ(剽窃)は止めよう、敢えてやるなら(寺山)修司のレベル(新しい世界)で-「教師の権威」に因んで-

 今回も、ちょっぴり長い。ご容赦あれ。
 前回ブログでは、川崎市男子生徒殺害事件に因んで、「危機を救えるのは教師だけ-教師はすべからく〝権威〟を持て」と題して、あらゆる教育・指導の根源たる「教師の権威」について力説した。実はこのテーマ、「カラー・ピラミッド・テスト」と並んで、いわば、私のライフワークである。この理論と実践をたくさんの教育関係者に学んでもらいたく、『指導力の豊かな先生』(1988)に始まり、『先生、出番です』(2007)、『教師の権威と指導力』(2012)と、版を重ねてきた。ありがたいことに、初版の『指導力の豊かな先生』は7刷までゆき、2版もそこそこ、3版の『教師の権威と指導力』もまた、わずか限定100部刊行の自費出版ではあるが、このほど第2刷に入っている。そして、心ある読者からのコメントもいろいろ聞こえて、私を痛く喜ばせている。
  しかし、世はまさにインターネット時代、反響の多くは私のあずかり知らぬネット上で流れ、時には今はやりのコピペで堂々と剽窃され、かつ誤用されて、その悪しき影響などありはしないかと、痛く懸念もさせてくれる。では、事ほど左様に取り上げられる私の原著はいかなるものか。前ブログでもかなり引用・抜粋したが、主題に関して故なしとはしない一節を、ここでさらに付け加えてみよう。

「子どもの逸脱した行動に対して教師がどのように対処するか(教師の統制力)、子どもたちは大きな関心を持って見ています。そして、教師の能力を厳しく評価します。騒ぐ子や逆らう子にお手上げの先生を見ると、まじめな子もふまじめな子も、当事者の子も非当事者の子も、
“あんなもんか、この先生”
“こりやぁ、教えることもたいしたことはないな”
“こんな先生の言うことなんか、聞くのは嫌だ”
 と、すっかり評価を下げ、これが原因となって指導力を低下させることにもなっていきます。
 逆に、問題の子どもや行動をきちっと抑えると、
“やるぅー。先生はこうでなくっちゃ”
“甘かぁないぞ、しっかりやらなくっちゃ”
  と、評価を上げ、指導力を向上させます。
  統制的な力を発揮するには、あとで述べるように、教師という地位と役割をたくみに利用して、自らの持っている他の教師権威に橋渡しをしてやることが必要です。地位と役割を利用することは、立派に権力的な行為ですが、これなくして、教師の指導力は完全なものにはなりません。権力的側面を含む統制力は、教師権威の重要な柱なのです。
  実際に、権威についての実証的研究でも、先駆的研究から現在の研究にいたるまで、権威の一つの柱に権力的側面を含めています。権威の研究のはしりになりますが、フレンチ(一九五九)という人は報償力、準拠力、専門力とともに正当力と強制力を権威の柱にしています。日本での研究でも、佐賀大学の田崎敏昭先生(一九七五年)が親近・受容、外見性、明朗性、熟練性、同一化のほかに正当性と罰をあげ、兵庫教育大学の浜名外喜男先生たち(一九八三年)も人間的配慮、外面性のほかに、まったく同じように罰と正当性をあげています。
 私も田崎先生にならい、たくさんの小・中・高の児童生徒を対象に
“先生の言うことに従うのはなぜですか”
 と問う形式の教師の権威に関する質問紙調査を何回も行ってみました。やはり、どの場合でも必ず、権威の一つの因子に罰や正当性などの権力的側面が出てきました。ここで、つけ加えておくと、正当性の権威とは“教師という役割がいろいろな権力的行為をなし得る正当性や必然性を持っているという(児童生徒の)認識から生まれる権威”です。
 このような研究の成果に教育臨床的な観察を加えて、私は教師の権威を次の四本柱にまとめました。
 ① 教師の学識・技能に基づく“専門性権威” 
 ② 教師の人格と人間性に基づく“人格的権威”
 ③ 教師と生徒の人間関係から生じる“関係性権威” 
 ④ 教師の統制力から生じる“統制的権威”
 なお、初めの二つの権威(専門性・人格性)は、教師が生徒との指導関係を離れても基本的に持っていなければならない一次的権威、あとの二つ(関係性・統制性)は、教師と児童生徒が具体的な関係を持つ中で派生してくる二次的権威と見ることができます。」(『教師の権威と指導力』39-41頁)

  「教師の権威」についての私の著作に関する記事の多くは、要点抜粋の短いコメントである。例えば「フトシさん」の「権力ではなく権威が教師に欠けていて、かつ必要とされる資質だといった内容です。権威と権力については、これをテーマとする良書が他にもたくさんあります。本書では指導力を発揮するためにという視点で、豊富な事例とともに語られています。」とか「よしドンブログ」氏の「読んでいると“なるほど”と感じられることばかりでした。タイトルの“教師の権威と指導力”というと固く感じられてしまいがちですが、まさに今抱えている問題の根底はここにあると思いました。子どもとの関係性を結ぶことの大切さを改めて教えてもらいました。」
   しかし、時には次の如き長文のものもある。

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「教師はすべからく〝権威〟を持て」、生徒の危機を救えるのは教師だけ -川崎市男子生徒殺害事件に因んで-

「教師はすべからく〝権威〟を持て」、生徒の危機を救えるのは教師だけ
  -川崎市男子生徒殺害事件に因んで-

「教師はすべからく〝権威〟を持つべし」。教育臨床心理学者として信じてやまない私の持論である。それ故にこそ、敢えて、『指導力の豊かな先生』(図書文化 1988)と『先生、出番です』(雇用問題研究会2007)を合わせて一本の、教師権威の理論と実践の書『教師の権威と指導力』を出版した(書肆彩光 2012)。思いは一筋、教師の専門性を高め、教育職を真の専門職たらんとするためである。しかしながら、教育職の専門職への道は遠い。その専門性が云々される出来事がまたしても生じた。

 川崎市川崎区の多摩川河川敷に、深夜未明(2/20)、中学1年の男子生徒が刺殺されたまま放置されるという無残な事件が発生した。犯人として17、18歳の少年3人が逮捕されたが、被害者は加害者らのグループと交遊するようになって不登校状態(不登校)に陥り、いつか、腫れ上がるほどに顔面を打たれるなど、主犯格の少年から暴力的支配を受けるようになり、揚げ句に事件当日、無理矢理冷たい川で泳がされた後、カッターナイフで嬲るように刺殺されたというものである。
 事件は、家庭事情、地域社会状況、交友関係など、子どもを取り巻く環境が多様化するなかで、それらが複雑に錯綜して生じた。事件被害者が学校不適応に陥ってから事件に至るまでの経緯が明らかになるにつれ、衝撃を受けた川崎市当局は、「教育現場だけの問題対応では難しい」として庁内対策会議を設置し、市教委が出した解明結果を踏まえ、子どもや福祉の担当部署と連携し再発防止策を検討することになった。これを受けて、文科省もまた、特別チームを立ち上げ、学校や教育委員会の対応を検証するとともに、同じようなトラブルに巻き込まれている子どもがいないか緊急の全国調査を行うという。
 この間の事情は〝中学生殺害事件受け児童生徒対応など指針作成へ〟と題した、NHKニュース(3月5日)に詳しい。
 「川崎市で中学1年の男子生徒が殺害された事件を受けて、文部科学省の特別チームが、子どもたちの命に関わる危険性を見落とさないよう、指針をまとめることになりました。
 文部科学省の特別チームは昨日、2回目の会議を開きました。
 今回の事件で殺害された男子生徒は今年に入って全く学校に通っていませんでしたが、学校や教育委員会は男子生徒の状況を十分に把握できていなかったとみられています。
このため昨日の会議では、子どもたちの命に関わる危険性を見落とさないよう、対応のあり方をまとめた指針を作ることを決めました。指針では、不登校や学校を休みがちな児童生徒のなかにトラブルを抱えているケースがないか、いち早くつかむための方法や、警察や児童相談所との連携のあり方などを示すということです。
 現在、川崎市教育委員会が検証委員会を設けて当時の対応を検証していて、今月中に中間の取りまとめを予定していることから、特別チームではその結果を踏まえて指針を作成し、全国の学校や教育委員会に周知することにしています。」
 各地の教育委員会では、早速にも、欠席が続いている児童生徒の状況把握をするよう動き出し、川崎市教育委員会では早々と子どもや保護者らの緊急相談を電話で受け付ける「ダイヤルSOS」を設置したという。こうした事件の受け止め方、また対策の進め方、まさに正道である。だがしかし、遺憾ながら、こうした流れの中で行われる向後の対策が、同種事件の再発を防止していくようには思われない。なぜなら此度の対策の有り様が、事件内容に違いがあるにせよ、近年に生じ、世間と教育界を震撼させた二つの事件、即ち、①いじめが原因の「大津市中2自殺事件」(11/10/11)、②教師の体罰が原因の「桜宮高2自殺事件」(12/12/23)の場合と内容的にほとんど変わらず、それらの事後状況を見れば、前者の轍を踏むのは瞭然なのである。
 ①の事件の折には、事件が誘因となって、その翌年、国会で「いじめ防止対策推進法」なるものが成立し、②の事件の後には、文科省によって各地教育委員会等に当てた「体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について(通知)」が出され、それらに基づきながら、その後の学校・教育界は、関連機関の協力を求めつつ、挙げていじめ防止と体罰教師の撲滅を目指した(はずである)。にも拘わらず、学校内いじめは一向に減少せず、また、体罰教師についても同様、事件後の12年度および13年度では、懲戒免職や訓戒などの処分を受けた教師数は11年度の426名から2253、3953名へと大きく上昇し、過去最高を更新し続けている。(文科省公立校調査 15/1/30)。
 正しい方向性をもった対策を立てながら、なに故に、こうした結果に至っているのか。一見,難しい問題に見えるが、私の我田引水的な偏見と独断に基づけば、これは以下の2つの要因をもって簡単に説明できる。
① 対策は理念先行の具体性なき総論に終わっている。
 警察や児童相談所との連携もよし、電話相談もよし。しかし、何をどのように連携し、相談し、また、連携し相談した後の実際的指導はどうするのか。現下の各組織体制の下、ケースの処理に役立つ具体的な方策や手段がないまま行われるのでは、連携も相談も、現実に深刻な事態の子どもを救い出すことはできない。経験豊富な関係者なら、すぐにも理解できるはずである。
② 教育・指導の中心たるべき、肝心要の学校教師の資質向上に向けての施策がない。
 児相職員もよし、警察職員もよし、またカウンセラーもよいが、児童・生徒の適応指導については、学習指導同様、日常的に指導関係を有している学校教師が最も重要なキーマンである。この教師の資質・専門性の向上こそ最重要課題であることが明白でありながら、教師の人物・識見・技能を高めるための施策がほとんど見られず、まして、教師の資質全般を象徴するやもしれぬ体罰教師数が増加の一途となれば、もはや、何をか言わんやではなかろうか。
さてさて、独断と偏見の結論を言えば、此度の文科省および各教育委員会の対策の有り様はまさしく前車の轍を踏むもので、同種事件の再発防止はもちろん、生徒たちの全般的な不適応行動の防止に貢献しうるとはとても思えない。これらの防止には、まずは、教師集団全般の資質向上こそ必要不可欠、さらに言うなら、子どもたちによって信頼され、通常では「従いていきたい」、苦難の折には「助けてもらいたい」という思いを呼び起こす教師を育成することである。そして、こうした信頼や思念や関係性を導き出す源、それが即ち、「教師の権威」であり、これの向上を目指す以外に子どもたちを救う道はないのである。
 私は、たくさんの小・中・高の児童・生徒を対象に「先生の言うことに従うのはなぜですか」と問う形式の教師の権威に関する質問紙調査を行い、その因子分析結果に基づき、教師の権威を次の四本柱にまとめた。
 ① 教師の学識・技能に基づく「専門性権威」 
 ② 教師の人格と人間性に基づく「人格的権威」
 ③ 教師と生徒の人間関係から生じる「関係性権威」 
 ④ 教師の統制力から生じる「統制的権威」
 初めの二つの権威(専門性・人格性)は、教師が生徒との指導関係を離れても基本的に持っていなければならない一次的権威、あとの二つ(関係性・統制性)は、教師と児童生徒が具体的な関係を持つ中で派生してくる二次的権威である。権威という言葉を用いると、ややもするといわゆる「権力」と誤解され、未熟な教師は「毅然たる教師」を目指してやたら権力的に体罰(暴力)を振るいたがるが、権威と権力は厳然と異なるものであり、むしろ相反する概念である。これについては、いくつかの良書を措いて、私の書から引いてみよう。
 「たしかに、権威(authority)と権力(power)は、どちらも〝他者を従わせる力〟であり、似た言葉です。しかし、権威と権力は、互いに関連してはいるものの、明らかに異なる概念です。何故なら、地位や役割、警察力や軍事力などの外的・物理的な力に頼って強制的に従わせるのが「権力」であり、学識や人格、道徳や伝統などの内的・精神的な力に基づいて自発的に従わせるのが「権威」であって、すなわち、従わせる側と従う側との関係が、権力が外的・強制的であるのに対して、権威は内的・自発的、つまり権力と権威は、従わせる側の力の性質と従う側の心理的状況がまったく相反する異質の〝力〟なのです。となれば、教師の権威と教師の権力もまた、全く相反するものであることが理解されると思います。」(『教師の権威と指導力』2012)
 教師としての権威を認められている教師は、それが部分的な要素の一つであれ二つであれ、究極のところ、信頼できる教師、そして困ったときには助けを求めにいくことのできる教師となり得て、実際に苦難の生徒を救い出すことができる。以下に、権威の認められている教師が苦境に陥っている生徒を救い出した参考事例を挙げて、本稿の締めとしたい。事例1と事例2は、明星大学教授時代、某県・某中学校に週一日の訪問スクールカウンセラー(SC)として出向いていたときのもの、(事例中、SCは筆者を指す)、事例3は、遙かに遠い私の高校3年時における、昔懐かしい恩師の思い出の一齣である(上掲『教師の権威と指導力』より抽く)。

<事例1><事例2><事例3>

 くり返したい。「教師はすべからく〝権威〟を持つべし」。
 生徒に対する指導は、その内容が何であれ(学業であれ、生活指導であれ、スポーツなど課外活動であれ)、およそ教師が、生徒たちから指導を受けるに足る人物として認められることによって成り立つ。生徒と教師がこのような関係性によって結ばれるとき、教師は「権力にあらざる真の〝権威〟」を有し、掛け替えのない誇り高き教育専門職となっている。

* 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。

学問・科学の原点:格差を無くし、誰をも幸せに。-故、宇沢弘文氏に学ぶ -

  「イスラム国」の暴虐は〝敗者(から)の裁き〟

 日本の「平和主義」を逆手にとって日本国民・国家を脅迫する「イスラム国による人質身代金要求事件、ついに人質殺害の局面に至った。
  正月三が日を健勝に過ごしたのも束の間、突然原因不明の「風邪」に襲われ、その咳・痰・肩こり・高熱の苦しみから抜け出る徴候が見え始めたのがほぼ半月後、やっと起き出て医者に通って帰宅した途端、これはまた大変なニュースが飛び込み、躰中に再び高熱が渦巻いた。「イスラム国」による二人の日本人拘束、しかも斬首殺害の脅迫をしつつ2億ドルという破格の身代金を要求する事件。
 イスラム過激派によるフランスの新聞社襲撃テロ事件の直後でもある。早速、当然の如く、同様事件で身代金を拒否した揚げ句に拉致被害者の首を断たれたアメリカ政府が、我が国政府に対して身代金を断固拒否する毅然たる態度を求め、「イスラム国」壊滅で連帯する諸国も我が国の対応を熱視線を持って見守る。政府のみにあらず、「平和国日本」を標榜する日本人はこぞって今、この問題にいかに対処できるのか、苦慮しつつもしかし、今更ながらの無力感にとらわれる。
 「イスラム国」の台頭以来、この種の事件がいつ生じても不思議ではない情勢だったが、いざ実際に惹起してしまえば、いくら〝中立〟の「平和国日本」を訴えても無法な相手を納得させる妥当な解決手段などあろうはずもない。身代金を払うにせよ、身代金を拒否して被害者を死に至らせるにせよ、どちらの結果も「平和国日本」は、かくたる事象にいかに取り組むべきか、その立ち位置を根底から揺さぶられ、面目を失って国際的にも重大な危機にさらされる。拉致された二人の日本人は、何故に何故に、無謀な「イスラム」渡航を企て、かくなる結果を呼び起こしたのか―と、無念の思いも消え去らぬなか、追い打ちをかけるように人質殺害のニュース……。それにしても、それにしても、「イスラム国」とは一体、何ものなるか。
  昨年(2014年)9月、世界的に著名な経済学者・宇沢弘文氏が亡くなった。享年86。その宇沢氏を取り上げたNHKテレビ大晦日早朝番組の「耳をすませば」を見て刺激され、経済学のあるべき姿について語る弘文氏を振り返った同年10月30日放送の「クローズアップ現代」をNHKインターネットオンラインで視聴し、改めてまた感動した。
 〝経済学の原点は人間、人間でいちばん大事なのは、実は心なんだね。その心をね、大事にする。一人ひとりの人間のね、生きざまをね、全うするっていうのがね、実は経済学の原点でもあるわけね〟
 訥々と、経済学のあるべき姿について、氏は語る。もって肝に銘じる内容、その一端を敷衍すれば、「経済学は、効率重視、競争原理をもって単に個人や企業さらには国家の繁栄をもたらすことを目的とする学問ではなく、社会間、個人間、国家間に広がる格差をなくし、ひろく人間・国際社会に幸せをもたらすための学問でなくてはならない」。思わず膝を打った。これは、ひとり経済学に留まらず、あらゆる学問・科学、そしてあらゆる人間活動に通底する天理ではないか。個人と言わず、集団と言わず、また国家と言わず、競争原理のもと、格差を求め、勝利者になろうとするのが今の世の常なら、必然的に敗者が生まれ、敗者はひたすらに耐え、いつかその鬱憤を晴らす機会を探すのもまた、世の常だろう。
 民族、価値観、文化の違いはあっても、誰しも、幸せに生きたい、幸せになりたいと思っている。人の思いは、皆同じだ。その思いが根底から打ち砕かれたとき、人はその鬱憤を内にこもらせて心を病むか、あるいは外に暴発・発散させて、せめてもの心を立てる。この事実は、私たちの周囲に満ちあふれるたくさんの非社会的精神疾患や殺人その他極端な反社会的行動をみればたちまちに理解できる。未だにその残響消えやらぬオウム真理教のテロ・殺人行為など、まさしくその一つの例証である。思えば、かの「イスラム国」の人たちもなべて、およそ尋常ならざる怒りと怨念に満ちあふれ、それを晴らすことこそ〝正義〟だと思い込み、手段を選ばぬ命がけの戦いに走っている。「イスラム国」の奥深い成立由来については、私ごときが到底把握できるところではないが、心理社会的な視点から言えば、少なくともその指導者たちと兵士たちは、ともに育ち来たった世界(環境)の中では様々な形で決定的な〝敗者〟であり、それを逆転して〝勝者〟になるためにこそ、既成体制に挑戦するテロと戦闘をもって集結している、と言い得よう。
  効率重視の競争原理のなかでは優勝劣敗・適者生存、敗者は非情にも捨て去られる。先に挙げた宇沢弘文氏は、ベトナム戦争時に少壮のシカゴ大学教授だったが、勝つためには水爆の使用もよしとする同僚教授等の存在に激怒し、絶望して母国日本に帰ってきた。まこと、人とは(また、国とは)、いつかここまで非情になれるものではある。故にこそ、「イスラム国」をして狂気、残虐、非道と罵る前に、私たちもまた(国、社会もまた)、資本主義社会のあり方も含めて、日頃依拠する学問・科学と自ら行う行動のすべてが、「人の心」を平然と傷つけてたくさんの〝敗者〟を生み出し、いつか平和と安寧に仇なす人々をつくり出すことにくみしてはいなかったか、真摯に内省してみる要がありはしないか-。
 太平洋戦争終了後の「東京裁判」には、とりわけ敗戦国側から見れば数多の理不尽があるやに思われた。これをして〝勝者の裁き〟と言うなら、「イスラム国」による一連の暴虐は、〝敗者(から)の裁き〟と呼べるかもしれぬ。
  明けて新年、30日遅れの、遅ればせながらの所感であった。

* 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。

横綱は美学を持つもの

 稀勢の里が、姑息な手を用いなくなって久しい。にらみ合ったり、張り手をはったり、引いたり、はたいたり…。比べて、横綱白鳳。確かにうまくて強い。が、体をきちんと拭かないまま立ち合う、あの悪癖はどうも気になる。昨日、対栃煌山戦で、押されて危機一髪の土俵際で残し、逆襲して勝利を得たが、立ち会い前に胸部や腹部の汗をきちんと拭いていれば、両者の体は密着し、そのまま寄り切られていただろう。ボクシングの選手がやたら顔面に油を塗って,相手のパンチの威力をそぐやり方に似て、戴けない。日本の伝統文化、相撲道に目覚めた感のある稀勢の里。日本人のモデルともなる、美学を持った横綱へ。期待してやまない。

過ぎたるは及ばざるが如し―教育・しつけ・指導における副作用―

 何事かを成そうとすれば、目的を持って目標に向かい、いくつかの手段を用いて対象に迫る。大抵の場合、それは何ほどかの効果を上げるが、しかし、一方で、それとは裏腹に、なにがしかの逆効果を生むことも少なくない。これは副作用とでも呼称してよかろうか。こうした意味の副作用という言葉はいろいろな領域で、極めて普遍的に、そのマイナス効果を取り扱うときに用いられる。例えば最近(9・30)、臨時国会の最初の論戦となった衆院代表質問で、民主党代表の海江田万里氏は、昨今景気の回復に大いに役立っている円安について、中小企業の倒産にも繋がるなど、様々なマイナス効果を列挙し、「今まさに安部経済政策の副作用が表面化し始めている」と述べている。ついでながら、これに関連して、次のような新聞記事がある。
「『少しつらいが、自炊を増やすしかないな』。熊本市で電気設備の中小企業に勤める本田雄大(24)は、仕事帰りの午後9時すぎに台所で夕食を作る日が増えた。県内の企業は今春、平均1.3%の賃上げを実施したが、熊本市内の消費者物価上昇率(8月、3.6%)には及ばない。……都市と地方、高齢者と若者、大企業と中小企業……。リフレ政策の効果と副作用の影響がばらつくにつれ、世間の視線は格差に向く」(10・25「日経」朝刊)。
 さて、この一、二ヶ月、女子高校生による痛ましい殺人事件が続き、世間を震撼させている。一つは、過ぐる7月下旬、高校1年の女子生徒が親交のあった同学年の女子高校生を殺害の上、遺体を損壊したという長崎市における事件、二つは、今月初め、北海道南幌町で起きた、高校2年の女子生徒が同居する祖母と母の二人を刺殺した事件。何ゆえ、こうした異常な行動が……。どちらの事件も、事の真相はまだ定かではない。が、伝え聞くところでは、両者はともに、極めて圧力的な教育・しつけを受け、ままならぬ抑圧的な心境に追い詰めてくる養育者との関係性の中に身を置いていたようである。しかしまた、どちらの少女も、正常な発達を測る有力な指針たり得る学業・学力の水準は一定のレベルを越え、被圧的な環境の中でも必死の心理適応を実現していたようである。となれば、此度の事件は、異常ならざる人格が心理的に追い詰められた末に犯した事件、即ち、養育者の教育・しつけがもたらした、いわゆる副作用ではないか、と言い得よう。
 どの保護者も皆、よかれと思って、それなり懸命に教育・しつけを行っている。そしてそれなりの効果を上げている。ただ、それだけに、裏腹に生じてくる望ましからざる結果は、此度のように大きな出来事が惹起するまで、見逃され、また軽視されやすい。この、いわば教育の副作用は、遺憾ながら、何も子どもたちと保護者の関係に限られるものではなく、学校教育、スポーツ指導その他あらゆる教育・指導関係においても普遍的な事象である。2つの悲劇的な事件を契機に、二言、三言、この問題に触れてみたい。
 
 ところで、「副作用」と聞けば、まずは薬物のそれ(副作用)が頭に浮かぶ。元々この言葉は、ここに語源を持っていると思われ、また、薬物の副作用は、誰の身にもいつ襲いかかってくるかもしれぬ普遍的に危険な現象でもあり、常日頃、私たちはいのちと健康に深く関わるこの問題に強い関心を寄せ、それから逃れる手段をいろいろ模索しているからである。
 ここ数年、子宮頸(けい)がんワクチンによる副作用問題が世間の関心を呼んだが、過日、内科、神経内科、小児科などの専門医らで構成された「難病治療研究振興財団」の研究チームが、厚生労働省に寄せられた約二五〇〇件の子宮頸(けい)がんワクチンによる副作用報告を幅広く調べ直した結果、けいれんや歩行障害、記憶障害などの中枢神経系の障害、視力や聴力の低下などの重い副作用を持つケースが一一一二件の多きにのぼった、と報告した(14・9・14「日経朝刊」)。私たちは、老若男女を問わず、日常的に医療機関を訪れ、様々な薬物を調合・投与されている。この報告は、今さらながら、私たちがいつ「副作用」即ち「薬物被害」に襲われるかも分からないという不安をいっそう強くかき立てる。しかも、それはまさに他人事ではないのである。
 因みに私は、今、深刻な薬物副作用に悩まされている。数年前、さる医科大学の付属病院で「心筋梗塞」の診断を受け、薬物療法が始められ、下記の薬が投与されることになったが、その継続治療の結果である。
①バイアスピリン(朝1錠)②ラベプラゾール(朝1錠)③アイトロール(朝夕各1錠)④エースコール(朝1錠)⑤アーチスト(朝夕各1錠)⑥アトルバスタチン(夕1錠)⑦シグマート(朝夕各1錠)
 初め、薬効はあらたかだった。上り坂を歩けば必ずといってよいほどに胸部に生じていた締め付けられるような痛みがたちまちに失せ、血圧・コレステロール・血糖値などの血液検査の結果や、心電図その他、どこにも異常がなく、検査上は見事な健康体。そしてその後の3ヶ月毎の検診結果もいつも上々だった。そこで1年余り経った頃、薬が一つ(⑦シグマート)減らされた。が、ちょうどその頃、体の変調が始まっていた。血液検査等の結果は変わらず順調なのに、上り坂での胸痛がいつか復活し、やがて咳込み、痰を激しく吐くようになった。そのようになってから何度目かの検診日に担当医に訴えたところ、肺がんや肺炎の有無を調べてみるのはどうかと促され、レントゲン検査を受けたが異常は全く見当たらない。特に問題はないということで、薬の投与はそのまま続けられ、その後の血液検査等の結果はいつも良好そのものだった。しかし、咳・痰の激しさはいっそう増して、日常的に常態化し、吐き出す痰の毎日の量は、猪口一杯分にもなるのではないかと思えるほどになり、加えて目がかすみ、声が嗄れて、何とも息苦しく、かつ生き苦しい状態が続くようになった。それでも、担当医は、血液検査等のあまりの良好さに目が奪われてか、患者の要望にも拘わらず、薬の見直しをするまでには至らなかった。
 私は、インターネット上で、発売元の医薬会社が明かしている各種薬剤の副作用を調べてみた。案の定、②ラベプラゾール(主として胃腸整備剤)と④エースコール(主として血圧降下剤)の副作用欄に、胸痛、狭心症、咳、痰等が記されている。
  このようなとき、患者はどのように対処できるのか。地域医療機能推進紀行(JCHO)理事長・尾身茂氏が同じJCHOの研修センター長で総合診療指導医でもある徳田安春氏の経験例を紹介した「総合診療医」という最近の記事は、大いに参考になる。少し長くなるが引用してみよう。
  「……、さて、あなたが例えば目の病気になったらどうするか。眼科医に診てもらうだろう。当然だ。しかし、人間の体は複雑で原因がわからない場合も結構多い。
 以下、徳田さんの経験談だ。めまいを訴える若い女性。耳鼻科を受診するも耳鼻科的には異常なし。次に脳外科、さらに神経内科と移るが、やはり異常なし。困って総合診療科を受診した。総合診療医の得意技は、家庭環境や心を含めた全体から問題の核心に迫ることだ。症状、病歴をじっくり聞いて診察する。歩行困難に加えて顔のむくみ、声の変化、体重増、皮膚の乾燥があり、甲状腺機能低下症を強く疑う。早速検査すると甲状腺からのホルモン分泌が低いことが判明。ホルモン治療で一件落着。
 ではもう一件。骨粗鬆症の年配女性。最近便秘と筋力低下に悩む。消化器内科、外科、神経科でも原因不明。遂に意識障害に陥って総合診療科へ救急搬送。診察の結果、骨粗鬆症薬のカルシウム剤とビタミンDの過剰投与による副作用と判明した。
 これは氷山の一角だ。高齢になれば一人で複数の症状、病気を持つ。このため、専門科をあちこち回り、処方され薬の山が出来る。薬同士が干渉し思わぬ副作用に悩まされることもまれでない。欧米の調査では専門医と総合診療医が連携する地域では、医療の質が向上するという。わが国で本格的な総合診療医の養成が期待される。」(「日経」朝刊『明日への話題』14・9・4)
 しかし、総合診療医を探したり、このところ言われるセカンドオピニオンを求めたりすることは、言うは易く行うは難いことである。私は独断で、薬の服用量を、回数を制限するなどして三分の二に減らして験してみることにした。そして3ヶ月検診に臨んでみたが、検査の結果は相も変わらず良好。そして次の3ヶ月、また3ヶ月。薬を減らしても血液検査等の結果は変わらず、咳・痰は漸次減少し、やがてその苦しみからかなり解放された。その間、担当医は、「薬を飲み忘れた」と言う患者を暖かく見守っていてくれたが、実はしかし、私が副作用を疑った症状は、これだけではなかった。命には関わりないが、副作用欄には、「女性化乳房」「脱毛」というものも、明示されていて、よくよく気づくと、これらの症状も間違いなくかなり進行していた。いつしか胸部が、肥満した相撲取りのそれの様に膨らみ、これを見ては妻が目を見張り、また、過日、久しぶりに『琅』の会合に出席されたS氏が、「差し障りのある話になるかもしれませんが」と前置いて、薄毛が気になって育毛剤Rを使用したところ効用あらたかだった、と私の頭髪部の変貌ぶりを慮って、そっと暗示的な提案をしたものだった。
 私はさらに実験を試みることにした。今度は検診日まで、朝夕きちんと薬を飲むことにした。半月もすると、咳・痰が激しくなり初め、それでも次の検診日まで服用を続けたところ、以前のように、咳・痰の止むことのない生き苦しい状態がやってきた。私は確かな副作用の存在を確信したが、ここでようやく担当医師とも以心伝心、治療開始後4年有余、副作用を生じていると推測される②ラベプラゾールと④エースコールの両剤が外されることになった。
 それから3ヶ月、私の咳・痰は風や寒気などの刺激によって時折生じる程度にまで減少した。が、後遺症?としての嗄れ声は相も変わらず、また、遺憾ながら、脱毛、女性化乳房の状態は、未だ変貌したままである。
 さて、本題に戻ろう。

 

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ラベリング寸感

  複雑な内容を一言で定義づける「ラベリング」という行為、便利ではあっても、これを深い理解と洞察なしに用いると、まことに危険である。私がかつて勤務していた大学の中枢が、学生に対するある教授の行為をセクハラと認定(ラベリング)し、停職懲戒処分を行った。これについて、不当を訴えた教授側の提訴が一審判決で勝訴し、その後大学側が控訴して、目下、東京高裁で審議中であるが、その後の大学側の行為がそれである。
  処分をするほどのセクハラ行為ならば、まずは「セクハラ」について社会的基準に合致するセクハラの定義がなければならない。しかるに大学側はその明快な定義を持つことなくセクハラ認定を為して処分を行い、控訴審に入ってからもその再吟味を行う事なく、セクハラありきの前提で、セクハラは、悪を行う者は悪者という筋書きを立て、「学生を落第させるために出席簿を改ざんした」、「単位を盾に学生を脅迫したり、デートに誘ったりした」等、事実無根の物語を展開し、被告の教授をして新たに「悪者」というラベリングを行うことに注力している。このような展開が司法の場で容認されるのか否か、今、大きな関心を持って見守っている。
  ラベリングとは、複雑な物事の真実に入るための簡易な入り口に過ぎない。それがいつしか、呪術的な魔力を持って、人や物事を真実から遠ざける魔法の杖と化している。心したいものである。
☆ このほど、国際日本文化研究センターの牛村 圭教授から、主催する同人誌『琅』27号の巻頭を飾る一文として、「ラベリング」 に関する玉稿(歴史認識に見るラベリング)を戴いた。その末尾に、安易なラベリングへの戒めが述べられている。

 「ラベリングは便利ではある。だがそれは歴史理解への窓口を与えてくれるにすぎない。ラベリングをこえて史実に向きあおうとする姿勢が、より深い歴史学びを可能にしてくれると私は信じている」。

  「歴史」および「史実」の箇所に「人間」という言葉を置き換えてみれば、詩であれ,小説であれ、エッセイであれ、およそ人間探究に励む私たちにとって、これまたなんと含蓄に富んでいる文章であることか―。改めて、牛村教授に感謝申し上げたい。

* 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。

サイコパス(精神病質者)などと言うなかれ―佐世保女子高校生悲哀事件にちなんで―

  同級生を殺害した上に遺体を損壊するという、いわゆる佐世保同級生殺害事件が、今世間を騒がせている。しかし、私にとっていっそうの驚愕と心痛は、すでに精神医学専門用語としては死語となっているはずの用語(psychopath:精神病質)を用いて「加害少女はサイコパス(精神病質者)」だとするコメントが、マスコミ・ネット上に横溢している事である。因みに、ネット上を流し見れば、「サイコパス」は、それがいかにも存在するかの如く、読み物、映画・ドラマ、事件解説、疑似専門書などで、猟奇的な視点から様々に取り上げられていた。驚くべき事象である。
  精神病質という精神医学概念は、かつて確かに存在していた。それはある種の深刻な人格異常を示す患者に対して、原因の不明確さと治療の困難さを顕著に暗示(あるいは明示)し得る便宜的な臨床的有用性を持つが故に、とりわけ非行・犯罪の累犯者や猟奇的行動の惹起者に対する診断名として長く世界的に用いられた。しかし、この診断名は、早くから言われていたように、「精神障害のうちまだ分類されずに残っているものを受けいれる〝くずかご〟」(パートリッジ,G.K. 1930)として用いられるばかりで、いつかその有用性よりも、患者に対してひたすら治癒困難な〝異常者〟としてのレッテル貼り(ラベリング)をすることの有害性が反省されるところとなり、1980年代に入ってからは、国際的に、専門用語の座から急速に下りることになった。それからすでに久しく、我が国も、まったく例外ではない。
 このサイコパスなる概念・用語が、この度の事件の加害少女を鬼畜のごとき異常者としてラベリングするために、マスコミ・ネット上でいとも安易に数多用いられている。ましてやそれが、興味本位の心なき人々だけの行為なら忍耐のうちにあるが、なんと、一見精神医学や臨床心理の専門家風情の人物のそれとしていくつか散見されるに及んでいることに、慄然とした。およそ精神の病に関わりを持つべき者には、こうした安易なラベリング行為は崇高な禁忌事項であり、とりわけこの概念・用語(サイコパス)については、それが国際的に嫌忌、駆逐されるに至った背景から見ても、なおさらのはずである。
 それにしても、精神科、心理臨床世界における易なき安易なラベリング行為がいっこうに治まる気配がない。これは、日頃からしきりに痛感されてやまぬ感懐であった。思わず知らず、私は今ここで、主宰する教育・文芸同人誌『琅』にかつて書いた編集後書きの文章を抜粋再掲する衝動に突き上げられた。
  「昨今、心理学的な解釈に大変興味を持っているたくさんの人たち、例えば学校教師や臨床心理士たちが、教育や臨床の対象者に対して、安易に精神医学的レッテルを貼るようになっている。むかしながらの緘黙、多動、鬱病、自閉症、統合失調症に始まり、最近流行りのLD、アスペルガー、広汎性発達障害、さらには性同一性障害……。しかしながら、その多くは、こうした臨床群の何たるやをほとんど知らないまま、あるいは意味するところは多少分かってはいても、実際の対象者に当てはまるか否かは全然確信のない(言い換えれば対象者の心理学的実体を理解できない)まま、分かった振りをしたいがために、無責任に行っているのである。それがどんなに罪深いことか、またどんなに不幸な結果を招くことがあるのか、知っているのだろうか。
 このほど、体液のDNA再鑑定の結果、ご本人、ご家族の死ぬ苦しみを越えて、足利事件で受刑中の菅谷利和さんの冤罪がようやく晴れたが、この冤罪事件に大きな役割を演じたのが、一審裁判時に行われた某犯罪心理学者の精神鑑定による「代償性小児性愛者」というラベリングである。これが裁判所によって実に安易に証拠採用され、菅谷さんをやってもいない性的加害者として認定し、真犯人に仕立て上げることに繋がっていった。内省乏しく、反省ないまま、この無力にして傲慢な「臨床心理学」「精神医学」という「科学」を信奉する者たちが心して己を省みなければならない由々しき出来事である。」(『琅』No22,2009:一部文章改訂)
  さて、事件を起こした少女は、漏れ伝わる行動歴から見て、いくつか人格・適応上の問題はあったにしても、おどろおどろした、根っからのいわゆる「サイコパス」(残酷な凶悪者)などではけっしてない。また、同様意味を含めて無責任に放言される「性格異常」「人格障害」「発達障害」「社会病質」等々でも、けっしてない。このようなラベリング行為は、いたずらに世間を騒がすばかりのお祭り行為で、世間の目を事の本質を解明して教訓を得る方向からますます興味本位の方向へと追いやる危険な悪徳行為とも言えよう。
  我々がなすべきは、かくも凄惨な行為に至るまで少女を追い込んだ周囲の事情とそこまで追い込まれた少女の内部事情、即ち、この二つの要因(環境的要因と個体的要因)の力学的関係を明かすこと、砕いて言えば、加害少女が何を思い、何を望み、何をしたかったのか、そして学校・教師・親たち、さらにその他の関係者たちが、それにどのように向き合い、どのように対処していたのか―。これらが明らかになることによって、初めて加害少女の更生と再生が図られ、かつまた、こうした不幸な事件の再発を防ぐよすがとなって、いたましくも被害者となった被害少女への供養花を捧げることが出来る。
 幸い、この事件に関して、このたび(14.8.8)家裁送致の前に、3か月間の鑑定留置が行われることになった。次いで家裁送致の後には、少年法に基づく少年保護の立場から、専門家たる家裁調査官による入念な調査が施される。これらの過程を通せば、必ずや、上掲の課題を含めて事件の全貌が明らかにされ、その結果として、人が人を解釈する、また、人が人を取り扱うということがいかに重大な責任を伴う神聖な行いであるか、誰にもいたく示されるはずである。―これがまた、いたずらにラベリングを行っては人と社会を冒涜している人たちに対する内省と反省を促す糸口にでもなれば、と願ってやまない。

<追記>
 いわゆる精神病質人格があるとすれば、精神分裂病が「統合失調症」に、精神薄弱が「知的障害」に、痴呆が「認知症」へと用語が移り変わっている今風の表現をすれば、「情意障害」という言葉が最も妥当だと思われます。それは、いわゆる精神病質は、知情意をもって統合される人格(パーソナィティ)構成要因のうち、情意部分の基幹的な自我機能、すなわち、共感性(情)と欲求不満耐性(意)に基本的な障害を受けているからです。お蔵入りさせて久しい論文「精神病質人格の精神病理と精神力動」をあえて公開することにしました。「サイコパス」を論じ、あるいは語る方には、ぜひともお読み戴きたいと思います。
 なお、病因としては、遺伝的というよりむしろ環境的であり、それ故に「精神病質」すなわち「情意障害」は、暖かい人間関係の中で、十分に治療可能な障害です。

* 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。

集団的自衛権問題―まずは解散・総選挙で「民意を問う」のが民主主義。秦恒平氏に同感―

 私と同年、太宰治賞作家で元東工大教授の秦恒平氏から、「賛同して下さる方、広くご転送下さい」の添え書きのもと、以下のメールが届いた。

 安倍「違憲」内閣は、国と国民の平和を危殆・破滅へ導く、安易で好戦姿勢の集団自衛権を、「閣議決定」一つで決めた。
 断乎、これを拒否する。
 かかる大事を、かくも独裁強行するならば、解散・総選挙で「民意を問え」と、私は声明する。
 同調の声の燃えんばかりに広がるのを期待する。
      平成二十六年七月一日       作家 秦 恒平

  安倍内閣が「違憲内閣」であるか否かは即断できないが、かなりの「危険内閣」であることは、論を俟たない。しかしまた、この問題(集団的自衛権)が、中国との一触即発の危険をはらむ尖閣諸島問題やTPPを巡る複雑怪奇な外交関係とも密接にふれあいながら、ある意味、「平和日本」の内閣として、手練れのごとく打ち出された苦渋・苦肉の策ではないかとの推測もされ、にわかには非難しがたい。とは言え、秦氏が叫ぶ後半の声明 “かかる大事を、かくも独裁強行するならば、解散・総選挙で「民意を問え」” には全く同感である。 過日発行した『琅26号』の後書きで、第3次世界大戦への不安を述べた。何か昨今、人と言わず、国と言わず、どこかで第3次世界大戦の引き金を引く悪魔が現れるのではないかとの懸念が消えやらない。よもやとは思うが、日本人が、日本国が、その先導者となることだけは許されない。尽くすべし、尽くすべし、民主・平和憲法とはいかなるものかの、国民議論を。
 秦氏に同調し、あえてこの一文、わがブログ欄に転載した次第である。
           平成26年7月1日       宗内 敦

人か、組織か。―〈拝啓、みずほ銀行殿(6)〉、〈拝啓、フランスベットホールディングス殿〉、そして〈拝啓、レナウン様〉―

 過日、静岡地裁が袴田事件における警察の恐るべき冤罪作りを疑い、死刑囚の袴田巖氏を釈放した。つい先年にも、足利事件が警察の冤罪作りであったことが判明して、同じく死刑囚とされていた足利利和氏が釈放されて大騒ぎしたばかりである。むかし家裁調査官をしていた頃、警察の取り調べを受けた少年達から、幾度も聞かされた。「取り調べを受けてみれば、誰にもすぐ分かるよ。警察が権力を笠に着た〝公的ヤクザ〟だということが」。
 警察という組織が人を作るのか、人が警察を作るのか。いずれにしろ、人を罪人として仕立て上げてその一生を葬り、なお平然とする恐るべき存在。それに慄然としながら、世人は自分たちがそうした人や存在を作り上げてきた一因を担ってきたことには気づいていない。見回せば、世の中には、明らかな犯罪行為にまでは至らなくても、人を傷つけ欺き、あるいは権利を侵害して、平然と人々に害を与える人と組織がごろごろと転がっている。そういう〝小事〟が、実は、人や組織をして悪への罪意識を奪い、また世の中全般に悪への免役性を育て、大事・大悪を生み出す社会的な基(もとい)となる。小事・小悪が蔓延するところには大悪が芽生え、それが正しく指弾されるところには大悪はけっして生じない。被害者を自死にまで追い込む「いじめ」社会を見ればよく分かる。「二言、三言、世迷い言」と称して、私が好んで、それら小事・小悪を取り上げ、糾弾を続けている所以である。
 勿論、小事・小悪の向こう側には、小事・小善をもって世の中を暖かく支える人たちもたくさんいる。その人たちから受けた人情や厚情こそ、まさにかけがえのない癒やし薬であり、悪意や悪事に向けて気持ちが高ぶるとき、それは潮を返すように甦り、世の中を信頼し、明日を信じる気持ちを取り戻させてくれる。そのときまた、善を称え、悪を糾弾する心構えが、再び、立ち上るのである。
 
 ① 「拝啓、ワンウエイ・みずほ銀行殿(6)」
 さて、旅行から帰って数ヶ月後、みずほ銀行の暴力団融資事件が世間を騒がせ始めた。その問題がよい潮となり、鬱憤やる方のなかったこの銀行とのやりとりを書いて本ブログ欄にアップした(「拝啓、みずほ銀行殿」)。次いで取引停止について、まずは投資額の大きい投資信託の解約から始めることにして、その解約依頼を八王子支店に電話連絡したところ、なんということ、此度はすぐに応じて、自宅まで手続きにやってくるという。が、翌日やってきた担当者(S)が差し出した解約申請書なる書類を見て驚いた。他の証券会社に移管すると伝えておいたのに、なんと売却申請の書類なのである。それを正すと、これまたなんと、当社の規定は他社への移管は認めていない、売却する以外には解約できない、と宣い、それはいかにもおかしい規約だと何度申し立てても、それは出来ないの一点張り。年寄り相手と見くびって言いくるめようとする様がありありと分かる態度である。あきれ果てて、「もう、よい。しかるべき所に通告する」と言って、その行員を家から叩き出した。翌日、問題解決を相談する役所関係はどこかと思案していると、その行員から電話が入った。「昨日は、失礼しました。調べてみたら、他社への移管が出来ることが分かりました。早速手続きに伺います」。
 こうして、一件落着とはなった。が、この銀行のこれまでの対応、なんとも不愉快、また何とも解せない。そこで、この銀行のインターネット上の「お問い合わせ ご意見・苦情」サイトにこれまでのいきさつを簡略化して報告し、「より詳しくはネット上の〈「拝啓、ワンウエイ・みずほ銀行殿」〉をご覧頂き、御社のご意見を伺いたい」と添えてみた。数日後、その本社からではなく、例の八王子支店のS氏から電話が入った。「何か、本社の方にお問い合わせをされたようですが、どういうご用件でしょうか?……」
 そのけろりとした言い様には、咄嗟に返す言葉もない。その後、いくつか質してみると、おおよそ「本社からは具体的な話は何もない、ただ、お客様がなにか問い合わせたいことがあるようだった、ということなので電話を差し上げたまで」とのことだった。ここに至って、これが、みずほ銀行の体質か、とすっかり嫌気が差した。折も折、『琅』25号に掲載した「拝啓、みずほ銀行殿」を読んだ友人の一人から「最近暴力団への融資が暴露されていますが、そういう会社なのですね。論より証拠なのですね」と感想が寄せられた。数日後、私は実はささやかながらこの銀行の株主の一人でありながら、預金通帳の解約はもちろん、隣家の主が勤務していて長年取引のあったみずほ銀行の子会社「みずほ証券」との取引もすべて打ち切った。
② 「拝啓、フランスベットホールディングス殿」

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人権意識の欠如とパワハラ・権力主義の横行

  一見、妙齢の華麗な女性達。だが見方を変えれば、今にもむき出しになりそうな太腿が連想され、見世物としか言いようのない無残なスチュワーデス達の艶姿である。テレビを見ていて唖然としたこのニュース、産経新聞を借りて紹介すると…



  航空会社スカイマーク(東京)が新機種就航に伴って導入する女性客室乗務員(CA)の膝上約15センチのミニスカートの制服が波紋を広げている。監督官庁の国土交通省は保安業務の遂行面から関心を寄せ、厚生労働省もセクハラ誘発の可能性に注目する。「行き過ぎた“おもてなし”」(他社幹部)などの批判が相次ぐ中、5月末の就航に合わせた「ミニスカCA」は“離陸”できるのか。(2014.3.22)

  同社の西久保慎一社長は批判が出ている制服のデザインについて、「若々しさや元気さを出したかった。無理に着せることはなく、希望するCAを選んでいる」と話し、ご満悦の様子。しかし、もし、社の意向やあり方に抗してこの制服の着用を拒む者が出た場合、果たして彼女は無事でいられるだろうか。その後、それこそ社長周辺からのセクハラ・パワハラなどを受け、会社に長くとどまることはできなくなるのではないか…。組織上層部の偏見と専横。私の周囲にもこうした時代の一つの事件が起き、それを取り上げたのが前回の「いじめ、パワハラ化する大学中枢」であった。
 それにしても、恐ろしいほど、人権意識の欠如とそれに基づくパワハラ・権力主義の横行する時代になった。過日、籾井勝人NHK会長がNHKの理事全員に「白紙辞表」を提出させた「白紙辞表強要」事件はその象徴であろう。この人は、日本軍の慰安婦関連妄言で波紋を起こした舌の根も乾かぬうちにこたびの行動を起こし、国会で問われて最初は「人事問題については回答しない」と突っぱねていたが、さらなる追及には「一般社会ではよくあること」と昂然と言い放った。私たち普通の人間の感覚とは実に異なる。
 長きにわたって続いた腐敗・自民党支配を終わらせた国民力。しかし、後を継がせてもらった民主党の学芸会的政治劇のおかげで消去法的に自民党が復活。過去の経験から今度ばかりはいろいろ反省と内省のある政府・与党を作るかに思えたが、「秘密保護法案」や「憲法改正」そのほか、むしろ(力を握って)以前にも増して勝手気ままな独走が見え始めている。
 力を持った者や組織が、勝てば官軍のおごった意識で勝手気ままに権力化し、専横化するのは世の常、人の常ではあるが、それにしても、昨今、上でも下でも、あちらでもこちらでも、権力主義の横行が目に余る。随所での、国民力の復活。私たち一人一人が、国家未来のために、それが大であれ小であれ、悪や権力主義を許さぬ気概を持たねばならない時代だといえよう。

いじめ、パワハラ化する大学中枢―都留文科大学の教授停職処分に見る

  国の方針に基づき、国公立の大学が次々法人化されていった。理事会が設けられ、学長の権能が強化される一方、教授会の権限が弱められた。ある意味、こうした‘改革’が大学のよりよき発展を目指すものであることは間違いないものとしても、なにごとも功罪は相半ばするもの、学長を含む理事会を柱に大学中枢が権力化して教員の教育・研究活動を様々な面で制約するなど、様々な弊害が惹起することは当初から予想されることではあった。その懸念を証明する出来事が、私がかつて在職していた大学(都留文科大学)でも、あるまじき事件として発生した。
  一昨年(2012年)の6月、ネット上で下記のような記事を見て驚いた。

「都留文科大(都留市)は28日、同大の文学部初等教育学科の男性教授(65)が20代の女子学生にセクシュアルハラスメントなどの行為をしたとして、この教授を29日付で停職1カ月間の懲戒処分とすると発表した。同大によると、教授は昨年6月ごろ、学生が体育の授業を2回欠席したことを受けて研究室に呼び出し、「授業に出席しないと単位は出ない」「卒業できない」などと話した上で、デートに誘うなどしたという。更に、別の20代の女子学生には昨年6月、体育の授業で体調不良を訴えていたにもかかわらず、見学するよう指示。学生が具合が悪くなったため帰ろうとすると、「単位をやらない」など言って精神的な圧力をかけるアカデミックハラスメントを行ったという。いずれの学生も昨年6~7月に同大の人権委員会に相談し、ハラスメント調査委員会が調査していた。調査結果を受けて、今年4月から教授が授業を受け持たないようにしていた。教授はいずれの発言も否定している。同大の西室陽一理事長は「教育を行う立場にある者としてあるまじき行為。今回のような事態が発生しないよう全力で取り組む」とコメントを出した。」(毎日新聞)

 氏名・年齢の記載は無くても、当該者が誰かはすぐに分かった。私が在職していた頃にも、権力的志向の強い向きから何かと不当に取り沙汰されていた体育系教授である。さっそく電話で確かめてみたところ、“事件”は学生に対する教授の教育的指導を真逆に意味づけ、セクハラ・アカハラのレッテル貼りした悪質なでっち上げ事件であると確信された。それからほぼ半年、定年退職を間近に控えた昨年1月、教授は停職処分の無効確認と慰謝料など約570万円の損害賠償を求める訴えを甲府地裁に起こした。これもまた、ネット上で知ったのであったが、改めて聞けば、授業・講義が剥奪される屈辱のなかで、学長からは退職願を出してはどうかと打診され、副学長からは、学生たちの強い要望に応えて行った柔道の自主指導を授業権限なしとして止めさせられる等、“冤罪”処分に耐える身の堪忍袋の緒が切れた末の提訴であった。
 不当な処分に耐えていた身に、脅迫・強要罪にもあたる非道な仕打ちである。“権力者”達のなんたる“パワハラ行為”。ちょうど主宰する教育・文芸同人誌「琅」25号の編集を終えた直後だった。義憤に駆られて思わず筆が走り、私は、以下の文章を枕に、いじめ・パワハラ時代を憂える後書きを書いた。

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浅田真央を讃える 乾坤一擲、阿修羅の舞―うるわしき世界一のアスリート

 ソチオリンピック、女子フィギュアスケートの浅田真央選手が、健闘むなしく華々しく散って果てた。前半SPで信じられないミスを連発して上位選手との間に絶望的な得点差があるなかで、それをものともせず、後半フリー演技で乾坤一擲、歴史に残る舞を演じて観る者すべての心をその奥底から揺さぶったが、全体第6位に敗れ去った。しかし、その演技たるや、たおやかにして優美、なお力強く幽玄にして荘厳―。演技するその顔面(かおも)からは、興福寺の阿修羅像がいのちを受けて踊るが如く、まさに阿修羅の舞、魂の舞だった。ひたすらスケート道の奥義を究めんとしていた身には、演技を終えた瞬間の達成感と満足感はいかばかりか。彼女は胸底からこみ上がる万感の思いを必死にこらえ、押し寄せる歓喜と号泣感を懸命に押さえて、しばし涙し、一瞬翻って微笑んだ。前回のバンクーバーオリンピックから彼女が歩んできた労苦の道を知らずとも、誰もが皆、共感し、共に泣き、共に快哉を叫んだであろう感動のシーンだった。

浅田真央(2/21 日経新聞)

 思えば浅田真央は、オリンピックをよすがに、フィギュアスケート道の真髄を究めんとしていた。勝敗を超え、相手は己の心のみと決めて、トリプルアクセルを回避して連続3回転ジャンプを選択するなどの、勝つため、得点を上げるための姑息な手段をとらず、トリプルアクセルを極みにすべてのフィギュア技術を取り入れるプログラムをもって、ひたすら心技体を磨いてきた。故にこそ、フリー演技を成功裡に終えた時、悟りを得た菩薩のごとき心境に達したに違いない。その後の、インタビューに応じるときの、すでに勝者とか敗者の次元を超えたあの穏やかな微笑みを見れば、それは瞭然。そうした、ある意味、達観の境地にいる彼女に向かって、これがマスコミというものか、NHKのインタビュアーがぶしつけにも、「SP上位者達のフリーの演技をどのような気持ちで見ていたか」と問わずもがなの質問をぶつけたものである。
 たしかに、SPで大失敗したとは言え、フリーとの合計点は200点に近く、グランプリ大会など並の競技会では容易には出せない高得点ではあった。もし、後に演技する選手達が浅田真央の得点を意識して萎縮したら、彼女が金メダルを含むメダル圏内に浮上することもあり得ないことではない。そうしたケースはこれまで幾度も見られている。かくして筆者もそれを期待し、テレビ観戦中、とりわけユリア・リプニツカヤ、カロリーナ・コストナー、アデリナ・ソトニコワ、キム・ヨナなどの有力選手の演技中には、恥ずかしながら「転べ、転べ」と喉元近くで声を上げ続けていた。つい先日、長野オリンピックでは負傷して補欠に回り、仲間の大活躍を悔し涙の中で眺めていたジャンプ競技の葛西紀明選手(41歳)が銀メダルを獲得して一躍時の人となったが、無情なマスコミ人はそこでも同じような質問を浴びせていた。「長野オリンピックの時、大活躍の仲間達をどのような思いで見ていたか」。それに対して葛西選手は「野球で代打者を出されたら、下ろされた選手の誰も代打者のヒットを望みはしない」といった意味内容で巧みにかわし、これはこれで良しである。けれどもしかし、浅田真央はためらうことなく、次のように述べた。「がんばれ、がんばれ」と応援していました」。
 勝負の垣根を超え、フィギュアスケートの真髄に迫ることを無上の目標とし、争う仲間を共に道を究める同志と見立てる心境にいなければ、とても言える言葉ではない。嗚呼、彼女はすでに、アスリートの域を超え、斯道の極美を探究する芸術家の世界に到達した、まさに、うるわしき世界一のアスリートである。(了)

* 共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。              


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プロフィール

宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

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