小池新知事の「築地市場の豊洲移転延期」賛成―家庭果樹園のささやかな薬害体験を通して

 小池東京都新知事が都政査察第一弾として、土壌・水質問題に懸念がある「築地市場の豊洲移転」の延期を決めた。これによって多大な迷惑・損害を受けるだろう関係者各位が少なからず居ることは百も承知の上で、最近被った小さな小さな薬害体験にも鑑み、無力ながらも大きな賛意を表したい。

  このお正月、15年ぶりにわが家の屋根・壁塗装を施した。依頼先は、わが家を建築させた大手住宅建築会社のS社である。現場主任が細かいところに目の行き届く人物で、仕上がり具合は良好、特に問題も無く、無事に終わった。ところが、数ヶ月経って、塗装工事の仕上がりとは関係の無い、しかし私にとっては極めて重大な場所に、大きな問題が発生した。それは、この欄でも幾度か登場させているわが家の庭の果樹園、名付けて「彩光果樹園」の果樹の中に、ほとんど花芽の出ない、かつまたその少ない花芽がほとんど開花しない不良樹が、何本も出たことである。
 わが家の庭は、たかが庭面積50坪ほどしかないが、南側と西側は除いて、建物の直近から庭の隅々まで、初夏から晩冬にかけて折々の果実を豊かに恵んでくれる自慢の果樹でぎっしり埋め尽くされている。例えば桃で言えば、6月下旬の「千代姫」、7月中旬の「白鳳」、9月下旬の「黄金桃」・「秋空」、梨では8月上旬「愛甘水」、8月中旬「幸水」、9月上旬「長十郎」、9月中旬~11月中旬「王秋」・「ラ・フランス」・「清麻呂」・「愛宕」、みかんでは9月下旬「日南の姫」、10月下旬「琅」、12月~3月「はるみ」・「青島」・「デコボン」・「津の香り」・「瀬戸香」、「甘夏」、さらに柿では9月~10月「西村早生」・「次郎」・「富有」・「太秋」・「甘百目」、そしてそのほか、5月のビワ、9月のブドウと無花果、10月のキュウイ、リンゴ(津軽・王林・ふじ)……。
 語るだけでは、なかなか信じてはもらえまい。たった50坪の庭の中に、そんなに多種多様な果樹を植えられるわけがない、と。さもありなん、これらの木々のほとんどが接ぎ木同族種で出来上がっており、梨5種とリンゴ3種を一本に纏めた愛称「梨檎(りりん)」を初め、純粋に一種だけの樹はほとんど無いのである。それは少しずつでも、年間切れ目無く(無農薬で安全な)おいしい果実を食べ続けたいという無邪気な欲望の基に、思案の末に行き着いた夢の果樹園なのであった。その夢はここ数年、かなり満たされるようになり、時には親しい方々に気持ちだけでもお裾分けできるようになってきていた。
 そんな矢先、突然の、今年の“大凶作”である。花芽は出ない、出ても咲かない樹が続出し、梨では愛甘水、ラ・フランス、玉秋、ミカン類では「琅」・「日南の姫」を除いて、ほとんど全滅に近い有様となった。特に、冬場に採れる柑橘類が無くなったことは、無念の限り。見れば瞭然、花芽が出ない(併せて新葉の出も不良)樹は、すべて建物周囲の壁に近い木木である。これを思うに、壁を塗布する際に用いられた塗料、薬剤が影響した、即ち薬害そのものであったと考えざるを得ない。しかし、壁から多少離れた所に植わっていた木では、被害の程度にそれぞれに差があった。ミカンでは、晩柑種(「はるみ」・「青島」・「デコボン」・「津の香り」・「瀬戸香」、「甘夏」)はほぼ全滅状態だったが(当初、花芽がいくつか出ただけ)、早生種(日南の姫)にはあまり被害(薬害)が見られなかった。また、桃では、極早生(千代姫)には影響は無かったものの、晩生種の着果が悪く、盛夏に向かうにつれて、たった一本しかなかった秋空の主枝が枯れ果ててしまった。もうその大枝を切断する以外に道はない。ただ、リンゴの枝だけは被害は比較的小さく、それなりに今、旬の時を迎えようとしている。
  塗装業者には、慎重の上にも慎重に足場を組んでもらい、果樹の枝一本も傷つけることのないように、作業をしてもらった。だが、上記した如く、わが家の果樹は家屋の壁、即ち作業現場に近接する場所で生育不全が顕わになり、大きな被害が発生した。思うにこれは、家屋塗装の際に使用された塗装剤等に含まれる薬剤に起因する薬害と断定せざるを得ない。
 以上を総括すると―、家屋塗装工事に際して、家庭果樹園に大きな薬害が生じた。果樹の種類によって多少被害態様が異なるが、塗装現場に近いほど、枝枯れも目立つなど被害は甚大、来期がどうなるか、不安は尽きない。予想もしなかったこの無惨な結果に、今や、茫然自失と言ったところである。とは言え、よくよく振り返れば、こうした事象を青天の霹靂と言えば嘘になる。実は、前回の塗り替え当時、「彩光果樹園」はまだ造園初期で、家屋直近には果樹は1本もなく、植わっていたのは、毎年麗しいピンクの花を咲かせるハナミズキの樹1本だけであった。そのハナミズキが、今回と全く同じ1月の塗装を終えた後、春になっても芽吹きが悪く、それどころか、4月、5月と経つにつれて枝葉を枯らし、盛夏を迎える前には遂に枯死してしまった。よもや薬害?と思いつつも、その後植え始めて盛んに生育する果樹の群れに目を奪われ、いつかこの事実を忘れる中で、此度の〝惨禍〟が生じた。これを昨今決まり文句の「想定外」だったと言って済ませられるか。幸せそうに、咲いて実って大きな至福を与え続けてくれた果樹たちに対して、申し訳ない気持ちで一杯である。

 さて、公害の原点は、工業水の垂れ流しに起因する水俣病にあると言われている。その後、環境汚染の恐ろしさは誰しも知るところとなったが、実際の被害体験の有無、また同じ環境下でも様々な条件の違いによって様々に異なる個々の被害状況などから、公害問題に関する問題意識は国民各自によってかなり異なる。ちょうど第二次世界大戦時の被害体験の有無や深刻度の違いによって生じるそれとよく似ている。それは近年起きた東北大震災時における原発事故の生起後でも、それほど変わるところではなかった。そうした状況下、築地市場の豊洲移転問題における水質等汚染問題に関わる環境問題は当初大いに関心を集めていたが、昨今、どこか浮かれて、万一の事態など考慮することなく、移転は順調に進行形になっていた。折も折、またしても列島は「想定外」の地震や台風に襲われ、国や自治体は甚大かつ悲惨な被害や被害者を前にして、それを救う良策とてなく、その対処に右往左往している。そして発せられるのが、「想定外だった」、「想像を超える惨禍だった」などという無責任な為政者達の声である。顧みればしかし、どのような惨禍も、それを懸念し予期し得る貴重な教訓は必ずどこかにあったはず、責任逃れのこうした戯れ言は、もうこれ以上聞きたくはない。折も折、新たに安全が確認できるまで移転を延期するという、頼もしき為政者が現れたと実感させる、小池百合子新都知事の登場ではあった。
 政治権力というもの、己の利益や権勢欲から離れ、国家・国民の将来に関わるこういう問題にこそ、遠慮なく大いにその権能を発揮してもらいたいものである。と、このところ長く、小さな国家権力の地頭的権威主義に苦しめられている小国民は声を挙げる。

* 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。

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大物、遠藤。負けっぷりやよし!

 大相撲12日目。期待の遠藤が大関琴奨菊にあっさり、簡単、美事に負けた。が、その、負けっぷりやよし! 真っ向勝負で負ければ,彼我の差が歴然と分かるからだ。どうすれば勝てるかは、遠藤の資質を見れば、遠からず答えが出るはず。かつて、貴乃花がそうだった。負けてよし、遠藤。稀勢の里と並んで、綱を張る日が待ち遠しい! (了)

体罰教育、思いつくまま―体罰教育を生む土壌―

 さる地方新聞社が、特集記事で体罰関連の記事を書くため、取材に伺いたいと電話してきた。何故私かと問えば、TBSの「サンデーモーニング」で私が語っているのを見たからだという。来宅は断り、代わりに取材項目を決めて送ってもらい、それをメールで回答することにした。時間の節約、内容の正確も得られる利点がある。一晩かけて作成、そしてメールしたが、3日待っても返事が来ない。無礼な話だが、マスコミというもの、自分たちの都合で動くところ。使えればよし、使えなければ挨拶も無しに没にするだけ。それもよかろう。が、多忙極めるときにせっかく書いたものなので、こちらはそのまま,没というわけにも行かない。本ブログの前回、いずれ体罰論をまとめてみたいと公言してあること、思いだし、ちょっとまだまだ思いつきだけのものだが、関心ある方々へお見せしてみたい。なお、これは本当のことだけれど、本年中に、これまで書いた教育関連のエッセイをまとめて「教育問題、二言・三言」(仮題:「彩光文庫」)を出す予定。そこに、きちんとした体罰論を載せたいと思っている。ちょっと先の話ですが、関心のある方、ご連絡くだされば、贈呈いたします。


体罰教育、思いつくまま

① 体罰の歴史的背景
 よく、日本軍隊での残酷なしごきや暴力が安易に取り上げられたりするが、軽々単純に論じられる問題ではない。戦後教育との関連で、身近な問題に絞って主な要因を挙げると、
イ)指導者側の願望と体質・資質。
 どんな指導者も、指導者として名を上げたい,と願望する。とりわけ、スポーツ礼賛の時代では、(とりわけ、闘争的、格闘的要素の高い競技などの)スポーツ関連指導者にはそれが強い。しかし、彼らのなかには、自己の被訓練体験も含めて、体罰教育に対する信奉者が少なくない。このような人達が、諸々の事情と絡み合うとき(指導が思うように行かない、言うことに反発される、自己の境遇に不満がある…等)、体罰指導を選択させることになる。これは心理学で言うフラストレーション行動で、結果がよかろうと悪かろうと、異常に固着した指導行動(体罰行動)となる。付言すると、この落とし穴にはまりやすいのは、人格的に未熟で、さまざまに自信のないパーソナリティである。
ロ)学校側の願望
 スポーツに限らないが、どこの学校(とりわけ、首脳陣)にも、学校の名を上げたいという願望がある。とりわけ名門と言われる学校や私立校ともなれば、それは根強い。生徒を集める大広告にもなる。そのためには何をしても、と躍起になる。一方、東大に入れたい、一流にしたい、チャンピオンを作りたい…は国民的大望でもある。経済大国になるのと併行してますます過激になる競争主義、名誉主義。ある種の学校では、体罰指導だろうと何だろうと、卓越した成果を上げて学校の名を上げてくれてこその指導者だと、暗黙裏に体罰容認の思想が生まれる。ここも付言すると、営利主義の強い学校にその傾向が強く現れる。
ハ)学校と指導者の目的(いわば営利目的)の一致,合体。
 東京オリンピック以来、体罰を含む猛烈なしごきで成果を上げた例は、おそらく枚挙にいとまがない。それを見聞きした、体質的に親近な指導者が体罰に走ることは容易だろう。もし、学校首脳部が体罰容認の文化を持っていたなら、いとも簡単に体罰指導が常態化する。この場合、それは、学校と指導者の営利的目的が一致しているのである。即ち、スポーツ部が名を上げることによって、学校には志望生徒が増えて繁盛し、指導者には斯界における名声が高まり、爾後の立ち位置が有利になっていくことである。体罰指導の結果が、学校・指導者の両者にとって、いわば、爾後の諸々の営業的活動を有利に導くという幻想が働き、近年?、異常に高まっている。
ニ)保護者達の容認文化
 30数年前、当時小学生だった娘が参加したこともあって、東京都小学校の女子ミニバスケット決勝大会を観戦中、驚愕する出来事があった(『教師の権威と指導力』)。試合で負けたチームの女性監督が全選手を並べ、全員に平手打ち、なかの1人が監督に反抗したのか、特別に強烈な一発を食らい、会場壁の羽目板まで飛ばされた。しかし、観客も役員も誰一人注意する者もなく、訊いて回っても、よくあること、と問題視する者も居なかった。戦慄すべきは、こうした体罰文化を、選手の親たち、学校その他の関係者が、さまざまな思惑や理屈で容認してきたという事実が、ついに死者が出るほどまでに昨今の子ども達を追い込んできたと言うことである。ただ、この要因分析は、なかなか難しい。
*結
あれこれの事情で(とりわけ、体罰指導による成功的な事例に後押しされ)戦後の民主教育の裏道で体罰指導が次第に一般化し、戦後の民主教育の裏道で、いや、今や日の当たる大道の中で増幅し、特殊な世界(学校経営者、スポーツ関連指導者ら)では、いつか許容される強力なひとつの文化形態となってしまった。もし、学校の名が高まるなら、指導者としての評価が高まるなら、体罰もまたよし、否、積極的に行うべし-。

② 体罰をやめられない理由、体罰が横行する要因
おおかたは①の説明のなかにあると思われるが、各論的に、ほかに敢えて挙げれば、
<1次的、人格的要因>
イ)未熟な人格。特に、指導上で生じるフラストレーションに耐えることが難しい人。フラストレーション耐性の低格と言います。一般に次のような性格特徴を持っています。
ロ)攻撃的性情を身に潜めている人。
ハ)権威主義的な人。物事を、とりわけ人間関係を上下の関係性のなかで見る人。
ニ)自信のない人。指導する内容だけでなく、一般に多様なコンプレックスがあり、自尊心に欠ける人。
ホ)代償性行動の特徴ある人。とりわけ、スポーツをやることによって、学業そのほか諸々のコンプレックスを解消しようとしてきた人。
 こうした特徴を併せ持つ人は、生徒が理解しない、言うことをきかない等の場面では、他の指導法を考えるより先に、手が出て暴力が出て(即ち体罰教師)となりやすい。この場合、すでに指導ではなく、自分の緊張解消のための単なる「八つ当たり的,発散的な攻撃行動」というのが最もふさわしいが、これを自覚することはなかなか難しい。体罰が生徒の死を呼ぶまでに至っている昨今の事態からすれば、今や、すべてのスポーツ指導者達は、真剣に自己洞察をなして、自らの指導者適性を内省しなければならないと言える。
<2次的、環境的要因>
イ)傍から加わる成果主義の圧力。個々の学校の内部要因によってかなりの相違があるとは思われる。他者評価の圧力と言い換えてもよい。
ロ)成果を上げたい、あるいは上げなければならないといった自己圧力。これが自己のもともとのコンプレックスの解消と関わっている場合には深刻な事態を生じる。自己評価の圧力といってもよい。これらの圧力は、「周囲」および「自己のパーソナリティ」との相関関係のなかで、要因としての重みが変化する。
 ③ 体罰は指導たり得るか。
学習・指導の動機付けとして、罰は賞と並んで2大技法の1つ、そのもっとも極端な形が体罰である(勿論、動機付けの技法として、そのほか専門的・技巧的な方法がいろいろある。今の教師は、一体教師になるために何を学んできたのかと思うほど、おおかたはほとんどそれを知っていない)。昨今の人間観から言えば決して好ましからざるものではあっても、相手次第で大きな効果もあり、それ故に教育指導の実際場面での有益な教育指導法として、ある意味、ますます盛んになってきたものであろう。が、この問題は、教育に携わる人以外を対象に語ることは、なかなか難しく、また様々に誤解を呼んで危険である。このたびはコメントしないことにしたい。ただ、昨今では、体罰を容認しない、あるいは体罰教育が全く効果を生まない生徒が増え続けており、体罰教育の善し悪しは別にして、それ(体罰教育)自体は時代錯誤の指導法になりつつある。
 ④ 体罰教育は容認されるか。
現代の教育理念、規則・法律上の禁止規定から言えば、相手次第で効果があるからといって容認されるはずはない。体罰は犯罪行為と心得、体罰を伴うことのない、あらゆる有効な指導法を模索するのが教育である。
 ⑤ どうすれば体罰をなくせるか。
 この問題に関して、「how to」ものは存在しない。学校・教師・保護者の根本的な意識改革と反省が求められる。
イ) 指導者はなべて、教育の原点に立ち戻り、教育とは何かを真剣に問い直すこと。
 例えば、私は「平和的人格の育成」を第一としている。さすれば、被教育者を平和的人格にするはずもない暴力的行為を指導法となし得るわけがない。
ロ)指導者はなべて、己が教育者にふさわしいか否か、天(神仏)に向かって問い直すこと(手がかりは②の観点)。
ハ)学校内(とりわけ教育・指導現場)が常に保護者の視線が入るような透明性をもって開かれること。即ち、保護者が自由に構内を視察できるようにすること。
ニ)スポーツ指導者に対する「保護者の評価」(大学における、教師に対する授業評価と同じようなもの)を定期的に行う。
ホ)   


   (つづく)

「たかがスポーツされどスポーツ」。もって鑑とすべし「なでしこジャパン」を!

 真善美の極地をひたすら目指して邪念無く自らを追い込むのが、芸術やスポーツの真髄・極意、と思っている。過日、久しくマスコミの世界から遠ざかっているように見える永六輔氏が、ある若手音楽家とのテレビ対談の中で、これに近いことを語っていた。そこで氏は、ことさらその若い音楽家に向かって、人を感動させるとか勇気を与えるとか、邪念と傲慢に満ちた醜い気持ちを持ってはならない、まして、それを言葉にすることなかれ、と諭していた。
さて、ロンドンオリンピックが終わり、当然の如く、たくさんの「勝者」が出て「敗者」が出た。ここで勝者とは、期待と想定以上の結果を上げた者、敗者とは、期待・想定以下の結果に終わった者であるが、このうち勝者の弁が連日、テレビを通じて報道され、その中に「国民の皆さんに勇気や感動、元気を与えた」といった類の言葉が時々発せられ、これが何とも聴きづらい。いかに国民総声援の4年に一度のオリンピックとは言え、所詮はスポーツの祭典。そんなことぐらいで、人がその生き様に関わるほどの感動や力を与えられるものか。例えば、今なお震災後の逼迫する苦難な生活から抜け出ることが出来ない多くの方々に真に勇気や元気をもたらすものが何かと問えば、こんな金メダルや銀メダルの1つや2つでないことぐらいは、小さな子どもでも容易に分かる。オリンピックのメダル1つ取ったとて、それは「たかがスポーツ」の世界のことなのである。
とは言えしかし…。こうした中にあっても、読売新聞報道によると、
『栃木県の福田富一知事は16日、ロンドン五輪で銀メダルを獲得したサッカー女子「なでしこジャパン」メンバーで宇都宮市出身の安藤梢選手(30)と鮫島彩選手(25)に県スポーツ功労賞を授与した。安藤選手は「地元の声援から勇気や元気をもらったおかげでメダルが取れた」と話した。鮫島選手も「実家に友人が夜中に集まって応援してくれた。金メダルが欲しかったが県民の皆さんに恩返しができた」と笑顔を見せた。』とある。なんと謙虚でうるわしいこれらの言動。こうなれば話は別、こうした言葉を伝え聞いて人々は、まさしく感動、頑張ろうとの気持ちもかき立てられる。かくて、アスリートたちの活躍は、「たかがスポーツ」から「されどスポーツ」へとなり、人々を感動させ、勇気の源泉ともなる。
 思えば、なでしこジャパンの選手たち、まことにもってアスリートの鑑である。その真髄は、真に一致団結のもと死力を尽くして戦う姿の中のみならず、戦果を上げた試合後のメッセージの中にこそある。昨年、w杯優勝後の選手インタビューで丸山桂里奈選手が、「震災被災者の皆さんの復興に向かう姿に力を与えてもらった」と述べて人々を感銘させたが、その他の選手たちもみな謙虚で味わい深いコメントだった。かくして、なでしこジャパンはまさに国民と一体化したスポーツ軍団であり、この態様が続く限り、彼女たちが名実ともに世界一に輝く日がきっと来る。すべてのアスリート、もって鑑として欲しい。

なでしこジャパン決勝戦予想:1-2で惜敗

こんな戯れをすることは、真剣勝負を行っている選手の皆さんには大変不遜なことであるが、準決勝の予想が見事にぴったり的中してしまった。おもしろがって周囲の幾人かが、では決勝戦は? ときた。試合は数日後なので少し早いが、さまざまな要因の上に立ち、またさまざまな意味合いの期待も込めて、上のように予想してみた。もちろん、これまでに見せ、準決勝で最高レベルに達した感のある「一致団結心」と巧みな「パスワーク」に基づく「連動性」が発揮できたら、(そしてアメリカチームに多少の乱れが生じたら)2-1、いやいや、3-1の勝利だってあり得るだろう。
チーム・なでしこジャパンには、今大会、もう十分過ぎるほど楽しませてもらった。これ以上望むのは、無い物ねだりをするようなもので勝手すぎる。が、欲を言えば、数段格上のアメリカチームとの最終戦では、勝ち負けなどにはこだわらず、メンバー全員、チームのために我欲を捨てきった崇高なる闘魂「大和魂」を見せてくれれば、というところである。

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プロフィール

宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

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