スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

降りかかる火の粉は払わねばならぬ―泣く子と地頭は諸悪の根源―(人か、組織か⑶ 拝啓、新生銀行殿)

 まさか、ひとかどの銀行たる新生銀行が、顧客に対してかくも常軌を逸した対応を次々為してくるとは…!
 新生銀行によって引き起こされたトラブルについては、その問題を取り上げる意義に触れながらすでに2回(①泣く子と地頭には勝てぬ? 「新生銀行、お前もか」、②拝啓、金融庁殿&総務省「情報公開・個人情報保護審査会」殿)、本ブログ欄で取り上げてきたが、この度、遂にやむにやまれず東京地方裁判所に提訴するに至った。その経緯は長いが、簡略に示せば以下の如くである。

 <提訴までの経緯>
・10年程前、新生銀行で投資信託証券(グロソブ)を購入。
・一昨年3月、それを他の金融機関(SBI証券)に移管(振替)しようとしたところ、「弊社は約款に従い、投資信託証券の移管及び移入はかつて一度も行ったことがない」との回答。しかし、約款の振替規定は、各社のそれとひとり異なり、振替の諾否は銀行が随意に行えるとした違法な、かつまた無法な内容。
・その後、約款の違法性も指摘しながら、何度か振替を迫ったが、いずれも拒否。
・そこで、H29.01.13 提訴を前提の最後通達として、振替依頼書の送付を求める振替申請書を新生銀行宛に書留便で送達。事前に相談した弁護士は、相手側は自らの非に気づいて早速にも振替申請書を送ってくるとの見通しを立てていたが…、
・以後10日間、何らの回答も無し。(謝罪の有無に関わりなく、振替を申請するための振替依頼書を送付してくれば、過去の経緯を水に流すつもりだったが)、やむなく、
・H29.01.24 東京地方裁判所に提訴(平成29年(ワ)第2148号振替請求事件:担当裁判官 井出弘隆) 。

 <提訴の内容>
(1)被告は社債、株式等の振替に関する法律70条に基づき、原告所有の本件受益権について、訴外株式会社SBI証券に存在する原告名義の振替口座への振替を行うべく、手続きを開始せよ。
(2)訴訟費用は被告の負担とする。

 <裁判の過程1・新生銀行の応訴の内容> これに対し、新生銀行は応訴してきた(被告代理人弁護士・露木琢磨、小林聡)。以下(1)(2)(3)がその答弁書の要旨である。
(1)当社一般口座における原告所有のグロソブについて、「当初、被告は、原告による本件受益権の振替の申請を承諾しないこととしたが、その後、これを承諾することとし、原告が希望する振替先である訴外SBI証券に対し、振替手続を行う旨を連絡した」ところ、SBI証券には同一銘柄を一般口座と特定口座に分けて所有することは出来ないという内部規定があり、すでに特定口座に同じグロソブを所有している原告の証券(グロソブ)を一般口座に受け入れることはその規定に抵触し、そのため、「原告の振替申請を受け付けることはできない」旨の回答が戻ってきた。よって、
(2)被告が「社振法70条による措置を執る必要は無い」。
(3)訴訟費用は原告の負担とする。
  唖然とした。また、あくまで振替拒否を貫こうとする形振り構わぬその姿勢に、思わず背筋が寒くなった。本訴は、原告の振替要請を被告新生銀行が「約款に従って移管(振替)も移入も行ったことがない」と頑強に拒否し続けて来たが為に、原告の正当な要請である「振替手続」を行わせるべく(換言すれば、被告の違法性を認めさせるべく)起こされたものである。それ故、応訴して被告が行うことは、これまでの対応の法的正当性を(粛々と)論じればよいだけである。もしそれが(裁判所によって)認められれば、原告(私)が敗訴し、もし認められなければ勝訴し、次いで振替手続の申請・受理となる。本件の処理はそれで終わる。従って、振替要請の最後通達まで無視した被告が、どこでどのようにして得た情報(SBI証券における私のグロソブ所有)か不明だが、提訴された後に振替を行おうとして得られたとする情報に基づく主張は全く論外、応える必要も無いはずである。それにしてもしかし、被告は何故、「当初、…振替の申請を承諾しないこととしたが、その後、これを承諾することとし、SBI証券に向けて振替手続を行おうとし」た、と言うのか。だとすれば、その行為は即ち、被告が振替拒否の根拠としていた振替規定をして「振替の許諾は当行の随意」だとする違法規定そのものであることを自ら証明したことにもになるのである。さらに、私からのSBI証券に対するその後の問い合わせで判明したが、SBI証券から「原告の振替申請を受け付けることはできない」旨の回答があったとする件も偽りであったことが判明した。

 <裁判の過程2・答弁書への反論-準備書面>  かくして私は、第2回公判時には、これらの材料も加えて、(素人ながら)数多の証拠資料を挙げて、約款その他の違法性や無法性さらには証拠偽装性を立証する資料(第2回公判:準備書面)を作成して提出した。が、裁判という土俵の場は私の常識のレベルを超えた。裁判官からは「違法性云々は、この際は関わりが無い」「重要なのは、振替が可能であるか否かの状況確認」だとする、やんわかなコメント(お小言?)を頂戴した。まさに然り(?) 後刻、被告側から裁判所に対して、振替の可否を確かめるための、SBI証券の特定口座における原告のグロソブ保有の有無を調べる調査嘱託が申し立てられた。「保有は無し、振替は可能」という回答が来たのは、当然のことである。

 <裁判の過程3・H29.5.30 第3回口頭弁論>
 提訴内容がそのまま判決されると思い込んでいた。が、裁判というものが、よく分からない。裁判官から、要請が出た。
 〝振替が出来ることが分かったから、訴えを取り下げたらどうか〟と、和解(?)の意に取れる発言から始まった。しかし、訴訟費用はどうなるかの私の質問に対し、裁判官は口を濁し、結局、それは新生銀行が訴訟費用を持つか持たないかの問題として、裁判(口頭弁論)を次回に持ち越すことになった。
 私の主張は、最初から最後まで、和解は無し、判決を求める、であった。それを裁判官の意向を斟酌して、裁判を円満に解決するのもよしとしたのが、失敗だったようである。その後、新生銀行から、別添文書に見るように、通常「収入印紙代+出頭交通費+α」とする訴訟費用を、印紙代のみとして了解し合ったかの如く装った和解条件を送ってきた。
 いかなる意図があるのか、分からない。もし原告に裁判所出頭旅費を出させない和解を成立させれば、約款の違法規定、様々な原告に対する非道な対応など一切無かったと主張し、また正当化することが出来る、とでも考えているのだろうか。

 謝罪心など、片鱗も見られない。私が正面から取り組んで話し合う相手ではないやに思われる。このまま、判決を所望し、高裁で、改めて審議してもらうのが、最善の道、また、約款の違法性についても、法的にどこぞに検討させるのが良策かもしれぬ。提訴の前、訴状の中身が正直すぎる、弱すぎる、損害賠償や慰謝料も加えなくてはなめられる、裁判とはそうしたものだと進言してくれた人もいた。損害賠償はともかく、私は慰謝料に関しては、被告の答弁書を読んだ直後に、怒りがこみ上げ、もし裁判事項を増やすことができるものなら、慰謝料請求を加えたいと、一瞬、別紙の如く書き綴った。ご笑覧の程。

 何が何でも振替阻止を図ろうとし、裁判に入ってもなお平然と無法な言述を重ね、圧力を加えてくる新生銀行。まさに泣く子と地頭の無法と無体。一体何のために? 元は筆者を老齢者と侮ってのことか。これは、高齢者を巧みに騙す振込詐欺よりさらに悪質である。弱者と思えばどこまでも相手を不当な力で圧倒しようとする、こうした〝小権力(権威)主義〟は、まさに世に蔓延る諸悪の根源である。
  無法な力に押し迫られたとき、受ける苦しみは個々人の個性、価値観、環境等、様々な違いによって多様、またそれへの反応も人様々である。闘う者、退避する者、心身を病んで苦しみあがき、非行・犯罪、精神疾患に陥る者…,、そうして、やがては、頼るところ逃れる所を失い、連綿と続く苦痛の果てに、いわゆる〝電通「過労死」問題〟や〝原発避難いじめ事件〟、国際的には、自爆テロへの参加等々などにも見られるように、自死をもって解決を図る人さえ出るようになる。此度、私に偶々降りかかった無法の火の粉は、世のため、人のためにも、如何に苦しく、また労力・経費を費やそうとも、きっと打ち払って、世の中を浄化する一石としたい。もって、提訴した所以であった。
 世に言う公序良俗、そして良識や常識に基づく正義なる判決を待ち望んで、取り敢えずの筆を擱くが、本件に関して、とりわけ金融機関に関与する方々のご意見を、是非にも頂戴したいものである。(H17.6.6 加筆)

 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。
                                                                      
スポンサーサイト

死刑廃止は人類究極の平和理念―日弁連の「死刑制度の廃止を求める宣言」に因んで―

 
 何という醜態。民主主義を守る世界一の超大国・アメリカ合衆国の第45代大統領選は、二大候補のヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏の、低劣極まる攻撃・非難合戦の末、劣勢を伝えられていたトランプ氏の勝利で幕を閉じた。
 愚考するに、優勢を伝えられていたクリントン氏が有名歌手などを招いて駄目押しをするために行った投票日直前のお祭り騒ぎ(演説会)が、いつかは高邁な政治理念を聴いてアメリカの未来に希望を持たんと期待していた心ある人々を落胆させ、また離反させ、逆に、本音の部分で密かに国民の共感を培っていたトランプ氏への支持を高める皮肉な結果を招いてしまった。
 昨年の大国イギリスのEU離脱、そして此度の超大国アメリカにおけるトランプ政権の出現。どちらも、ある意味平和の源泉たり得る国際グローバル化に反する偏狭なナショナリズムに基づいている。それは、第二次世界大戦を起こしたドイツ・ナチズムの再来をも、ふと危惧させる。大国における、この相次ぐナショナリズムの台頭―。地球の未来はどうなるのか。蛇が出るか仏が出るか……。と、それはさておき。

 過日(10/7)、日本弁護士連合会〈日弁連〉が「人権擁護大会」を開いて「死刑制度の廃止を求める宣言」を採択した。思うにこれは、2007年以降、①国連総会が死刑存続国を対象に繰り返し死刑廃止を求める決議案を採択する背景の中で、死刑廃止国が着実に増加している、②死刑確定事件の再審無罪(免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件など、いわゆる四大死刑冤罪事件)が象徴するように、冤罪による死刑判決の存在が少なからずあるのではないか、といった内外の状況に鑑み、万一「冤罪で死刑が執行されれば取り返しがつかない」(日弁連声明)との危機感から導かれたものである。
 冤罪による死刑判決、そして死刑の執行。主権在民にあらざる過去の暗黒時代ならいざ知らず、現代諸国家・国民の大半が隈無く基本的人権と平和を求めている時代に、こうした事態が起これば、それはまさしく“取り返しのつかない”大事件、否、大犯罪である。こうした〝大犯罪〟を契機に死刑廃止国に転じた一つの例が、厳罰の国として知られていたイギリスであった。
  1949年11月30日、イギリス・ロンドン市内のとあるアパートの裏庭で、そのアパートに住む若い母親と幼い娘の二人が絞殺死体となって発見された。容疑者として、その母子の夫であり父である25歳のティモシー・ジョン・エヴァンスが逮捕され、翌年1月、公判に付されて死刑判決が下された。事件については、同じアパート内に住む男(ジョン・クリスティ)が「ティモシーが母と娘を殺すのを見た」といった証言をなし、ティモシーはジョン・クリスティこそが真犯人であると訴えていたが、ティモシーの主張は容れられず、3月9日に処刑された。それから3年後、他の殺人事件をきっかけに、証言者のジョン・クリスティが真犯人であったことが判明し、当該妻子殺害事件は国中を湧かす冤罪事件として大騒ぎになった。-そして、このエヴァンス事件を踏み台に、国内には止みがたく死刑廃止論が浮上し、1969年、イギリスは死刑廃止国の一員となった。

 「冤罪で死刑が執行されれば取り返しがつかない」。理の当然である。こうした理不尽な〝犯罪〟を防ぐために死刑制度を廃止せよ!。一見、筋が通っている。しかしながら、ちょっと待て。この冤罪死刑を避ける道(死刑廃止)は、他方、有罪死刑の道をも同時に絶つ事になり、いかなる残虐な殺人行為も、加害者の死をもって贖わせることを不可能にしてしまう。だとすれば、殺害された被害者およびその遺族の無念は一体どのように晴らされるのか。
 筆者はかつて、ご子息を無惨な暴力によって命を絶たれた「少年犯罪被害当事者の会」代表・武るり子氏に関わる報道に触発され、一文を草した(「被害者感情・犯罪者処遇」)。内容は、殺人事件の加害者裁判において最も尊重されるべきは、たとえ加害者が少年法で保護される未成年者や責任能力が云々される精神障害者であっても、被害者遺族の感情・意見であるとするものであった。日弁連の「死刑廃止宣言」を機にネット上を検索してみたところ、激情的な論調で知られるジャーナリストの長谷川豊氏による『「死刑反対」の人権派は「死刑」の根本的な意味を分かっていないんじゃないか?』に出会った。そこでは、とりわけ無念極まる被害者遺族の立場を代弁する形で、きりりと「死刑廃止」反対の論が進む。これに対して此度の日弁連の論理は、果たして太刀打ちできるものなのか―。
  凶悪な殺人事件において加害者に死をもって報いるというのは、いわば〝因果応報、仇討ち〟の理念である。それは古今東西、古(いにしえ)から今日まで、いかなる人にとってもその胸の中にある。「忠臣蔵」が持て囃される我が国では殊更であり、本邦で死刑廃止論が容易に根付かない心理・社会文化的な基盤ともなっている。1999年4月、山口県光市で当時18歳の少年が犯したいわゆる光市母子殺害事件は、2012年2月20日最高裁判所第一小法廷で死刑判決が確定した。が、そこに至るまでの過程で、死刑廃止論者とも推測可能な弁護士団が、死刑回避のために形振り(なりふり)構わぬ珍妙な弁護論を立てて死者(被害者)および遺族を限りなく愚弄しかつ侮辱し、故にこそ、遺族に対する同情と加害者の死刑判決を望む世間の声は極度に高まった。
 こうした背景の中で、「冤罪で死刑が執行されれば取り返しがつかない」として死刑制度廃止を唱える日弁連の有り様は、どこか司法界の至らなさを自ら代弁して言い訳するが如き、いかにも便宜的で安易なプラグマティズムのような印象を受ける。私だけの感覚だろうか。まずは、冤罪などけっして惹起しないよう、未熟・専横的な警察・司法制度を改めるべきであり、その行き着いた〝冤罪のない〟世界でもなお死刑廃止が唱えられるとするなら、それは真の死刑廃止論となり得る。だがその折には、被害者および被害者遺族の報復理念を斟酌する現行の死刑制度の妥当性を認めながら、なおかつそれを超えて死刑廃止を正義とする論理を立てなくてはならない。そのような道筋、一体どこにあるのであろう。
 結論的に言って、それは本来、あり得ようはずがない。例えば、死刑廃止を訴え続ける‘アムネスティ’は言う。たとえ殺人者であっても、「生きる権利は、誰もが有する基本的な人権です。人為的に生命を奪う権利は、何人にも、どのような理由によってもありえない。国家さえもそれを奪うことはできない。これが、生きる権利を保障する『人権思想』というものであり、アムネスティが抱いている理念です」(死刑廃止-なぜ、アムネスティは死刑に反対するのか?)。まさしく、正論であろう。これに対して、かけがえのない命を奪われた被害者側は、言わざるを得ない。「その基本的人権を根底から奪い取られた無念は、どのようにしたら晴らされるのか。せめても加害者に死が与えられる以外にそれはない」。人が情意の総体たるひとであるが故に抱く怨念、即ち情念の極み-、これを一体、誰が非難し得ようか。これもまた正論なのである。
 しかし、これに対してなお、‘アムネスティ’は言う。「米国では、9.11に触発された犯罪が多発しましたが、その被害者の一人であるバングラデシュ移民のレイス・ブイヤンさんは、自分を撃った犯人の減刑を求めました。〝私が信仰する宗教には、いつでも寛容は復讐に勝るという教えがあるのです〟と、彼は述べています。また、娘を殺害された米国の犯罪被害者の遺族マリエッタ・イェーガーさんは、“自分の娘の名において、もう一つの殺人が行われることを、娘が望んでいるとは思えない”とおっしゃっています。このように、死刑が解決につながると考えない被害者遺族も、多くおられるのです」。 
  一見、説得力を持つ論旨である。しかし、この冷(ひ)やかな言葉の投げかけほど、悲憤にのたうつ被害者遺族を逆なでし、傷つけ侮辱する言葉も無いだろう。ここで誤解を恐れずに極言すれば、もし私が光市母子殺害事件の如き事件の被害者遺族であり、もし誰ぞにこのような言葉を投げかけられたら、加害者のみならず、言葉を投げた相手をも許せず、その者の死さえも望むかもしれぬ。
                ―未完
(お詫び: 本稿は初め、昨年11月20日に未完のまま投稿しました。その未完の文章を完成させるべく行っていた編集作業中、投稿を終えた部分を誤って全文削除してしまったようです。同時に、有難くも頂戴していた拍手4件の記録と、貴重なコメントをお寄せ下さった方のそれも消えてしまいました。深くお詫び申し上げます。本稿は、至急完成させます。ご海容下さい。17/1/2)。

 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。

集団的自衛権問題―まずは解散・総選挙で「民意を問う」のが民主主義。秦恒平氏に同感―

 私と同年、太宰治賞作家で元東工大教授の秦恒平氏から、「賛同して下さる方、広くご転送下さい」の添え書きのもと、以下のメールが届いた。

 安倍「違憲」内閣は、国と国民の平和を危殆・破滅へ導く、安易で好戦姿勢の集団自衛権を、「閣議決定」一つで決めた。
 断乎、これを拒否する。
 かかる大事を、かくも独裁強行するならば、解散・総選挙で「民意を問え」と、私は声明する。
 同調の声の燃えんばかりに広がるのを期待する。
      平成二十六年七月一日       作家 秦 恒平

  安倍内閣が「違憲内閣」であるか否かは即断できないが、かなりの「危険内閣」であることは、論を俟たない。しかしまた、この問題(集団的自衛権)が、中国との一触即発の危険をはらむ尖閣諸島問題やTPPを巡る複雑怪奇な外交関係とも密接にふれあいながら、ある意味、「平和日本」の内閣として、手練れのごとく打ち出された苦渋・苦肉の策ではないかとの推測もされ、にわかには非難しがたい。とは言え、秦氏が叫ぶ後半の声明 “かかる大事を、かくも独裁強行するならば、解散・総選挙で「民意を問え」” には全く同感である。 過日発行した『琅26号』の後書きで、第3次世界大戦への不安を述べた。何か昨今、人と言わず、国と言わず、どこかで第3次世界大戦の引き金を引く悪魔が現れるのではないかとの懸念が消えやらない。よもやとは思うが、日本人が、日本国が、その先導者となることだけは許されない。尽くすべし、尽くすべし、民主・平和憲法とはいかなるものかの、国民議論を。
 秦氏に同調し、あえてこの一文、わがブログ欄に転載した次第である。
           平成26年7月1日       宗内 敦

東北大震災・緊急提言: 日赤よ,急げ。1世帯100万円の緊急見舞金を! 悪夢の中の被災者に,もたらせ,夢と希望と現実を。

 現実的な緊急支援こそ、喫緊の課題。日赤よ、「赤十字」の意味を今こそ問い直せ。未だに具体的な支援活動を起こしていないとは何事。さまざまな思惑で、後手後手に回って事を大きくしている東京電力の前轍を踏んではならない。家族を失い、肉親を失い、家も持ち物も一切合切なくしてしまうという、深刻きわまりない被害を受けた方々にとって、まずは先立つものがなければ、現実をスタートさせることなど、出来ようはずもない。今緊急にもっとも必要な支援は何か、日赤はそれを考え、理解しているのだろうか。未来へ向けての夢と希望は、まずは現実生活を一歩でも進めることを可能にする現実的な支援である。ある地方自治体の、住民に対するわずか5万円ほどの、併し精一杯の現金支給が、皆さんをどれほど力づけたか、テレビの画面で見るまでもない。私たちは、のろのろ運転を支援するために、走って、好んで、日赤に義援金を集中させたわけではないのだ
 世界も驚く、被災者の方々の、絶望状況の中での整然たる忍耐。これに甘えて、支援活動を遅らせるなど、義援活動を行っているたくさんの人々に対する裏切り行為でもある。忍耐にも限りある事を知り、もっとも多額な義援金を集めている日赤は、今何をすべきか、深刻に反省し、現実的かつ具体的な緊急の支援活動を、即刻に開始しなくてはならない。(未完にして未完)

最新コメント

プロフィール

宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

最新記事
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。