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全日空さん、ありがとう―拝啓、ワンウエイ・みずほ銀行殿(5)

 さてさて、これは意地悪みずほ銀行の話とは大違い、本当に親切でありがたかった話である。
『ソーシャルケースワークと権威』という英書の翻訳・編集作業が半年にもわたって疲れ果てた。久しぶりに訪ねてきた娘が、疲弊した姿を見て心配し、飛行機代を負担するから、沖縄でも北海道でも、どこかのんびり旅行に行ってこいと言う。これ幸いと早速、一度は行ってみたいと思っていた対馬旅行を企てた。全日空機で羽田から長崎に飛んでそこで1泊、翌日また飛行機で対馬へと飛び立つ、付き添い(妻)付き慰安旅行である。
 ところが何ということ、出立の朝、家を出るのが遅れ、予定の飛行機に乗れなくなった。飛行場には手続きその他で出発予定時間より少なくとも30分前には着いていなければならないが、何を勘違いしたのか、私たち二人はちょうどその出発時間に着くようにしか家を出ていなかったのである。これでは、飛行場受付に到着した時、予定の飛行機はまさに空港を飛び立っているわけで、とうてい乗ることはできない。中央線電車が新宿駅に届く頃、私たちは突然このことに気づいて愕然とした。が、もう遅い。
 あれこれ思案した。ANAの11時15分発の次はたしか16時30分頃だったはずだが、5時間も飛行場で待つなんて大変だ。長崎市内見物もできなくなって、長崎宿泊が無駄になる。それなら飛行場でJALや格安航空会社のチケットを探してみるか。もし、早いチケットが見つからなければ、今日は娘の所に泊まって長崎のホテルはキャンセルし、明日の便で対馬に直行…。あれやこれや思案するうち、ふっと乗り遅れた2枚のチケットがどうなるのか不安になった。これまで、国内旅行も海外旅行も出発時間に遅れたことは一度も無く、このようなとき、チケットの取り扱いはどうなるのか、全く知るところではない。後便に変えるとか、他社の便で行くなどといっても、まずはこのことが大切だ…。
 不愉快極まるみずほ銀行とのやりとりが頭をよぎる。「搭乗時間に遅れたのだから、チケットは無効になるだけだ」と強面に言う鬼のようなANA職員の顔が浮かんできた。とにかく予約機の出発時刻以内には行かなくては…と、羽田空港駅に着いてからは、圧痛の胸を押さえ押さえて、走りに走った。しかし、どこにもよき人はいるもの、案ずるより産むが易し、の嬉しい結果とはなった。
 飛行場について、ANAのカウンターに急いだ。いろいろなカウンターがあってどこに行けば適当なのかよく分からない。とりあえず空いている所に行って事情を説明すると、「もう、飛行機が出る時間だから、これには乗れません。*番カウンターに並んで処理してください」と何をどう処理するのか分からない、事務的ですげない返事。仕方なく*番カウンターに行ったが、そこはたくさんのチェックイン客が、10分や20分では順番が回ってこない、まさに蛇列をなして並んでいるところだった。一旦並びはしたが、これでは時間が無駄にどんどん経って、チケットの変更や払い戻しもしてもらえなくなるのではないか、とたちまちいらいらと不安も募ってきた時、近くを急ぎ足のANA制服嬢が通りかかった。救いを求めるような思いで私は彼女を呼び止め、先程と同じ説明をして、このまま並んでいて何とかなるのだろうかと訊いてみた。すると彼女は、「もう出発時刻ですから間に合いはしませんが、でも、出発時間内には到着されているのですよね」と何か含みのある言葉を残して、「しばらくお待ちください」と受付カウンターの中に入っていった。そして、すぐ立ち戻ってきて、実に親切な処理をしてくれた。
「ANAの便ではないのですが、16時台までお待ちにならなくても、2時間後に出発する共同運航便がございます。もし、それでよろしければ…」
 共同運航便という言葉は初めて聞いたが、乗れる便があるとは、もちろん渡りに船の話である。彼女は早速私たちをチェックインカウンターの別の場所に導き、たちまちすべての手続きを終えてくれた。
「出発は13時15分。ではお食事などして、遅れませぬように30分前までには*番搭乗口からお入りくださいませ」
 彼女は丁重にお辞儀をしてから、所用を抱えていたのか、また急ぎ足でそそくさと他の場所へ移っていった。「ドナ」で働いている人たちにも似て面差しが柔らかい。地獄で仏に会ったような,救われたという感慨があった。
 心穏やかな豊かな気分の旅行になった。長崎には、まだ十分明るいうちに着き、海岸線に沿って、潮風の香りに身を委ねながら、木々の緑と建物が美しく調和する小高い丘の風景を眺め歩いた。対馬では、日本の田舎でも失われつつある純朴な人情に心奪われながら、とりわけ日朝交流の古跡見物を楽しんだ。
 観光客は少なくないが、対馬ではほとんどが韓国の人たちで、東京から2泊3日の日程で来たと言うと、誰も皆、「遠いところからよくぞまぁ」と心からの歓迎の顔になる。対馬藩主宗家の墓所・万照院では島北部に住む老夫婦と出会って家に誘われ、レストランを探しあぐねて通行人に道を訊くと、その人はずっと見守っていたのか、私たちが再び迷った時、追いかけてきて店まで誘い(いざな)、観光みやげ店の若い売り子嬢は「野生生物保護センターのツシマヤマネコを見てきましたか」と問い、しかし「残念ながら私はまだ見に行ったことはありませんけど」と打ち明けて微笑(わら)い、「東京からお出でになったのですか、一度行ってみたいなぁ」と純朴な気持ちを隠さない。
 こうして、旅を満喫して対馬から長崎、羽田と同じ空路を戻り……、羽田の飛行場から地下を通ってモノレール駅に渡ろうとした時、通路脇に陣取ったANA制服の2人の女性から声をかけられた。
「ANAカードはお持ちですか。ANAマイレージには入会されていますか」。
 路上はおろか、電話による様々な勧誘にも乗ったことは一度もない。しかし、この時ばかりは別だった。一も二もなくそれに応じて申込書の説明を受け、それを家まで持ち帰った。
 帰宅して、テレビをつけた途端、びっくりするようなみずほ銀行のコマーシャルが目に飛び込んできた。初めて見るものだった。たくさんの女子行員達がこちらを向いて、「みずほは変わります。お客様の力になるために―未来へ お客様とともに、ワンウエイ ミズホ」。
 まさしく、驚き、桃の木、山椒の木。よくもまぁ、このようなコマ―シャルを…。「みずほ」に関わるものはすべて解約しようと、この時、決めた。(完)
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街の止まり木・原宿竹下通り「ドナ」―拝啓、ワンウエイ・みずほ銀行殿(4)

 たかが40坪程の我が家の庭。だが、ビワ・桃・梨・ぶどう・無花果・リンゴ・柿・ミカン…といつか増殖して今や何でもありの「家庭果樹園」である。雨上がりの日など、雀・ひよどり、時にはカラスまでやってきて、小虫を拾い、葉水をすすり、時には丹精込めた果実をついばみ、しばし飛び跳ねては去っていく。彼らにとって我が家の庭は、いわば縄張り地域内でのしばし憩いの止まり木屋形なのだろう。
 大きくても小さくても,豪華でも質素でも、生きとし生けるものにとって、およそ止まり木なるものは無くてはかなわぬものである。止まり木でしばし憩って、人はそれぞれ、様々な形で明日への活力を取り戻す。
 少し前まで、私のそれは、夜の街のバーであり、喫茶室であり、クラブであった。が、加齢してはいつか遠のき、それは普通の飲食店へと次第に所を変えていった。東京の田舎・八王子から都心に出かけた時、東京駅の「寿司岩」、新宿駅の「おだむすび」、「つな八」、どこも客を心から歓待する店員さんばかり。そしてあとの一つが、2階から賑やかな竹下通りを見晴らす、原宿・竹下通りのパスタ店「ドナ」である。
  3年ほど前、N響から原宿駅までの帰路、初めて通った竹下通り、たまたま入った「ドナ」での生ビールの旨さを思い出して、1ヶ月後にもう一度寄ってみた。同じ味わいだった。見た目も美麗な微粒でクリーミーな泡立ち、それがゆっくりと飲み終わるまでビールの風味を逃さない。ビールを注いだ店長さんを呼んでみると、長身で細身の今流イケメン、物腰も柔らかく,何とも好青年である。聞けば、サントリーの生樽名人の称号をもらっているとのこと。さもありなん,さもありなん。妻と二人、ここがすっかり気に入り、それから今日まで、N響の帰りにはいつも立ち寄っている。
 トップ(店長)の人柄はそのまま従業者に反映する。長く通っていると、誰が専任、誰が臨時か分かってくるが、ここではそんな違いに関わりなく、誰も客への応対は穏やかで温かく、思いやりがこもっている。私はそんな店員さんたちに「こんな店長さんの許で働いているとき、ビールのつぎ方を習っておかなければ、損をする」と言ったりしたが、誰も「大きなお世話」といった顔もせず、店長不在の折など、「今日は私が入れましたが、お味はどうだったでしょうか」とまじめな顔で訊いてくる。
 ある日、店長は不在だった。が、一口含んで驚いた。店長不在の時にこれほどクリーミーな泡立ちで風味のあるビールを出されたことがない。思わず持ち上げたグラスの縁(ふち)を唇に当てたまま、ゴクリとのどを通した後の余韻を楽しみ、そしてゆっくりともう一口―。その日の給仕は、小柄で愛くるしいアルバイトの女子学生のIさんだったが、いつから見ていたのか、彼女がそっと近寄ってきて、少し不安げに問うてきた。
「今日のお味はどうだったでしょうか」。 そして、当日のビールはまさしく彼女が注いだものだった。
 その日以降、ドナに行って彼女が居ると、健康のため控えていたにも拘わらず、私は必ず(彼女の)ビールを追加注文し、竹下通りを賑やかに行き交う若者達を二階の窓から心楽しく眺め下ろしながら、時に減らず口をたたいて彼女と話を交わす束の間の楽しみを味わった。ワイン党の妻もいつか、グラスビールを注文するようになっていた。
 そのIさんの大学卒業が間近になって、これが別れの時となる日、店長が気を利かせたのか、お勘定の帳場は最初、彼女一人だった。卒業後の就職先(日本郵便)の話を聞いたり、いろいろ名残を惜しんで店を出ようした時、タイミングを見計らったように、調理場の方から、少し年長の女店員が小走りに駈けてきた。しばらく見なかったが、以前はよく給仕されたものだった。
「ご無沙汰しています。出勤の時間が掛け違ってしばらくお会いしてませんでしたが、Iさんが居なくなっても後は私どもがきちんと接待させて頂きます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
 明るく、自然で、歓待の心がにじみ出ている。ドアを出る時、振り返ると、調理場の窓越しに、店長のNさんがこちらを向いて辞儀をしている様子が見えた。
 原宿・竹下通りのドナ。ここには、おいしいビールとおいしいパスタ、そして温かい心が溢れている。(つづく)

江戸東京博物館―拝啓、ワンウエイ・みずほ銀行殿(3)

 ファインバーグ・コレクション展「江戸絵画の奇跡」を鑑賞がてら、八王子から両国まで、江戸東京博物館に二日続けて行ってきた。何故二日も続けて行ったのか? もちろん、一日では十分な鑑賞ができず心残りがあったからだ。が、もしかして、そこで働く若い女性達の応対が何とも嬉しかったから…?。
 65歳以上は割引料金ということは知らなかった。いかにも無念、受付で言ってみた。「立派な後期高齢者です。喜寿を迎えています。この顔パスではいけませんか?」。
 受付嬢はうふっと微笑って、
「分かりました。でもお顔の色つやからはとてもそんなには見えませんが…」
かつて長野の栂池スキー場や倉敷の大原美術館でも同じようなことがあったことを思い出し、何か浮き浮きと入館した。その気分は帰る頃にもまだ続いて、土産店で解説書や絵はがきの他、買わなくてもよいものまで買い求め、代金支払いの時、浮いた気分で手許が乱れ、財布から銅貨をいくつかカウンター床下に落としてしまった。「あっ、大変」とカウンター嬢が私より先に床下をのぞいて硬貨を拾い集める。
「これで、全部でしょうか?」
「うーん、500円玉がもう一つあったような…」
 心配そうな彼女。もう一度2人で這いつくばって探してみる。が、紙くず一つ落ちていないようだ。後でもう一度探してみます、という彼女の声を背に受けながら、私は他の商品を見に店内を移動し、あれこれ探索の末、また新しい品物を選び、先程のカウンターからいくらか離れた別のカウンターに並んだ。その時、
「ありました!」
 と若い弾んだ声を上げて小走りに駆け寄ってくる女性がいた。先程のカウンター嬢だった。見れば、頭の上まで挙げた彼女の右手の指先には、500円硬貨が周囲の明かりを集めてまぶしいばかりに銀光を放っていた。
 翌日また、江戸東京博物館を訪れた際、そっとその土産店にも足を運び、密かに彼女を見つけて、私は頭を下げた。(つづく)

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宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
都留文科大学名誉教授
日本教育心理学会・生涯会員 

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