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サイコパス(精神病質者)などと言うなかれ―佐世保女子高校生悲哀事件にちなんで―

  同級生を殺害した上に遺体を損壊するという、いわゆる佐世保同級生殺害事件が、今世間を騒がせている。しかし、私にとっていっそうの驚愕と心痛は、すでに精神医学専門用語としては死語となっているはずの用語(psychopath:精神病質)を用いて「加害少女はサイコパス(精神病質者)」だとするコメントが、マスコミ・ネット上に横溢している事である。因みに、ネット上を流し見れば、「サイコパス」は、それがいかにも存在するかの如く、読み物、映画・ドラマ、事件解説、疑似専門書などで、猟奇的な視点から様々に取り上げられていた。驚くべき事象である。
  精神病質という精神医学概念は、かつて確かに存在していた。それはある種の深刻な人格異常を示す患者に対して、原因の不明確さと治療の困難さを顕著に暗示(あるいは明示)し得る便宜的な臨床的有用性を持つが故に、とりわけ非行・犯罪の累犯者や猟奇的行動の惹起者に対する診断名として長く世界的に用いられた。しかし、この診断名は、早くから言われていたように、「精神障害のうちまだ分類されずに残っているものを受けいれる〝くずかご〟」(パートリッジ,G.K. 1930)として用いられるばかりで、いつかその有用性よりも、患者に対してひたすら治癒困難な〝異常者〟としてのレッテル貼り(ラベリング)をすることの有害性が反省されるところとなり、1980年代に入ってからは、国際的に、専門用語の座から急速に下りることになった。それからすでに久しく、我が国も、まったく例外ではない。
 このサイコパスなる概念・用語が、この度の事件の加害少女を鬼畜のごとき異常者としてラベリングするために、マスコミ・ネット上でいとも安易に数多用いられている。ましてやそれが、興味本位の心なき人々だけの行為なら忍耐のうちにあるが、なんと、一見精神医学や臨床心理の専門家風情の人物のそれとしていくつか散見されるに及んでいることに、慄然とした。およそ精神の病に関わりを持つべき者には、こうした安易なラベリング行為は崇高な禁忌事項であり、とりわけこの概念・用語(サイコパス)については、それが国際的に嫌忌、駆逐されるに至った背景から見ても、なおさらのはずである。
 それにしても、精神科、心理臨床世界における易なき安易なラベリング行為がいっこうに治まる気配がない。これは、日頃からしきりに痛感されてやまぬ感懐であった。思わず知らず、私は今ここで、主宰する教育・文芸同人誌『琅』にかつて書いた編集後書きの文章を抜粋再掲する衝動に突き上げられた。
  「昨今、心理学的な解釈に大変興味を持っているたくさんの人たち、例えば学校教師や臨床心理士たちが、教育や臨床の対象者に対して、安易に精神医学的レッテルを貼るようになっている。むかしながらの緘黙、多動、鬱病、自閉症、統合失調症に始まり、最近流行りのLD、アスペルガー、広汎性発達障害、さらには性同一性障害……。しかしながら、その多くは、こうした臨床群の何たるやをほとんど知らないまま、あるいは意味するところは多少分かってはいても、実際の対象者に当てはまるか否かは全然確信のない(言い換えれば対象者の心理学的実体を理解できない)まま、分かった振りをしたいがために、無責任に行っているのである。それがどんなに罪深いことか、またどんなに不幸な結果を招くことがあるのか、知っているのだろうか。
 このほど、体液のDNA再鑑定の結果、ご本人、ご家族の死ぬ苦しみを越えて、足利事件で受刑中の菅谷利和さんの冤罪がようやく晴れたが、この冤罪事件に大きな役割を演じたのが、一審裁判時に行われた某犯罪心理学者の精神鑑定による「代償性小児性愛者」というラベリングである。これが裁判所によって実に安易に証拠採用され、菅谷さんをやってもいない性的加害者として認定し、真犯人に仕立て上げることに繋がっていった。内省乏しく、反省ないまま、この無力にして傲慢な「臨床心理学」「精神医学」という「科学」を信奉する者たちが心して己を省みなければならない由々しき出来事である。」(『琅』No22,2009:一部文章改訂)
  さて、事件を起こした少女は、漏れ伝わる行動歴から見て、いくつか人格・適応上の問題はあったにしても、おどろおどろした、根っからのいわゆる「サイコパス」(残酷な凶悪者)などではけっしてない。また、同様意味を含めて無責任に放言される「性格異常」「人格障害」「発達障害」「社会病質」等々でも、けっしてない。このようなラベリング行為は、いたずらに世間を騒がすばかりのお祭り行為で、世間の目を事の本質を解明して教訓を得る方向からますます興味本位の方向へと追いやる危険な悪徳行為とも言えよう。
  我々がなすべきは、かくも凄惨な行為に至るまで少女を追い込んだ周囲の事情とそこまで追い込まれた少女の内部事情、即ち、この二つの要因(環境的要因と個体的要因)の力学的関係を明かすこと、砕いて言えば、加害少女が何を思い、何を望み、何をしたかったのか、そして学校・教師・親たち、さらにその他の関係者たちが、それにどのように向き合い、どのように対処していたのか―。これらが明らかになることによって、初めて加害少女の更生と再生が図られ、かつまた、こうした不幸な事件の再発を防ぐよすがとなって、いたましくも被害者となった被害少女への供養花を捧げることが出来る。
 幸い、この事件に関して、このたび(14.8.8)家裁送致の前に、3か月間の鑑定留置が行われることになった。次いで家裁送致の後には、少年法に基づく少年保護の立場から、専門家たる家裁調査官による入念な調査が施される。これらの過程を通せば、必ずや、上掲の課題を含めて事件の全貌が明らかにされ、その結果として、人が人を解釈する、また、人が人を取り扱うということがいかに重大な責任を伴う神聖な行いであるか、誰にもいたく示されるはずである。―これがまた、いたずらにラベリングを行っては人と社会を冒涜している人たちに対する内省と反省を促す糸口にでもなれば、と願ってやまない。

<追記>
 いわゆる精神病質人格があるとすれば、精神分裂病が「統合失調症」に、精神薄弱が「知的障害」に、痴呆が「認知症」へと用語が移り変わっている今風の表現をすれば、「情意障害」という言葉が最も妥当だと思われます。それは、いわゆる精神病質は、知情意をもって統合される人格(パーソナィティ)構成要因のうち、情意部分の基幹的な自我機能、すなわち、共感性(情)と欲求不満耐性(意)に基本的な障害を受けているからです。お蔵入りさせて久しい論文「精神病質人格の精神病理と精神力動」をあえて公開することにしました。「サイコパス」を論じ、あるいは語る方には、ぜひともお読み戴きたいと思います。
 なお、病因としては、遺伝的というよりむしろ環境的であり、それ故に「精神病質」すなわち「情意障害」は、暖かい人間関係の中で、十分に治療可能な障害です。

* 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。
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プロフィール

宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

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