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大震災、「死」を厳粛に悼もう。詩人たちよ、がんばれ。

 「もういゝと残し逝きけり花菜漬 溜谷哲子」
 今日届いたある仏教団体の機関紙の俳句欄に特選句として載っていたもの。死は誰にも訪れる厳粛な出来事である。この死を“花菜漬”一点に、夫婦の人生と歴史を焦点化し、昇華した、残されし妻の悲しくも美しい名句である。人の死は、このように、常に正座して粛然と受け止められてこそ、尊厳に満ち、人をして感動させ、それが翻って悲しみの渦中にある人(作者)に生きる力となって戻る。こうした意味をも持つ人の死を、茶化したり、諧謔したり、あるいはものの喩えに使うなど、けっしてあってはならないことだろう。
 この度の大震災によって亡くなられた人の数は計り知れず、それを悼む心は、遺族のみならず、国中、いな世界中に広がっている。そのようなとき、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と言った石原都知事が大いにひんしゅくを買ったのも、けだし当然のことではあった。私は運よく難を免れたが、東京を焼け野原と化した1945年3月10日の東京大空襲、累々たる被災者、そして敗戦に至るまでのおびただしい兵士たちの死、そういう尊い犠牲の上に、たくさんの人々の艱難辛苦があって、今日の日本は築き上げられてきた。それを思うとき、石原都知事は、もっと奥深いところに照準を当てていたに違いないが、軽率のそしりは免れない。
 かつて、バブル気分も色濃く残る頃、「忘れちゃえ赤紙神風草むす屍」という俳句を見て、慄然とした。もしかすると石原都知事は、こうした精神を生み出してきた経済・文化、そして乗りすぎた人々を諫めたかったのではないかと思われるが、この度の災害で命を落とした人の数と悲惨さは筆舌に尽くしがたい。私の近くにも、ご親族を家ごと人ごと奪われてしまった方もいるが、こうした有様、こうした悲惨な出来事に対しては、どれほど年経た後でも、それがどんな意味を持たせたものであっても、けっして「忘れちゃえ・・・」などという言葉は、出そうにも出せるはずもないのである。
 言葉には、計り知れない説得力と魔力がある。被災者の方々には、言葉よりも先に、現実に生きていくための、希望を持ってもらうための資金こそ喫緊の支援であるが、しかし、言葉による文化的、精神的な支援もまた、それなり大きな力を持つことは間違いない。今、最も多くなされている支援筋は、音楽やスポーツ関係者のようだが、言葉(詩―うた)による応援もなお、求められるものではないか。俳句でもよい、短歌でもよい、詩でもよい。文化芸術者たちが、遅ればせながら立って、倫理的にも洗練された、その言葉の力で、被災した方々、いな、日本全国を励まし、力づけてほしいものである。
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宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

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