麻薬的体罰教育から脱しよう!

 教育・指導の世界における体罰、常に古くて新しい話題である。このたび、オリンピック代表者を含む女子柔道選手らの憤懣やる方のない声が明るみに出て、にわかにマスコミ・世間がかまびすしい。関連する内容がありそうとて、ネット上で私の『教師の権威と指導力』に触れたマスコミ記者が、私の意見を聞きたいと、カメラマン同伴で訪ねてきた。いつか年も越え、このせっかくのブログ欄ともご無沙汰が長くなっている。書いてみたいことは山ほどあっても、30年前に出した『ケースワークと権威』なる翻訳英書の再販に向けて必死の改訂作業が難航し、ここ数ヶ月、何もかも放り捨ててそれに打ち込んでいる最中、とても時間を取れる状況ではなかったが、興味深いテーマでもあり、否それどころか、「カラー・ピラミッド・テスト」の研究と並んで、私の最も関心を寄せる、即ち「権威」の問題とも大いに関連する話題だとも思い、応じたものである。
 テレビでは1分に満たないほどの利用に過ぎないだろう。しかし、記者にも一家言あって、それは単なるコメント取材に留まらず、意見の交換、議論といった方向での話し合いになり、いつか2時間近く経過して、教職を引退後久しい身には、ゼミナール的緊張感も漂う楽しく実りのある時間となった。面談を終えた後、「体罰」問題に関して、様々に整理されている自分に気づき、この欄の話題ともすべく、そのうちの一部を上記テーマで、早速、一文啓上する次第である。

麻薬的体罰教育から脱しよう!
 教育と指導の方法は、大別すれば、親和と友好に基づく友愛的指導と、体罰を極とするスパルタ教育とに分けられよう。しかし、およそ、教育とか指導というものは、それを受ける側が、指導者を、指導者に足る人物、即ち、教育指導する能力・資格(知識・技能、そして人格)、言い換えれば「権威」を認めてこそ成り立つものである。そこで、指導者は「権威」ある人物として振舞い、教育・指導を行う。その指導の方法は、現代社会の倫理観のなかでは一般に、初め友愛的関係である。しかし、誰もが知るように、友愛的接触が必ずしも成果を上げるとは限らない。相手次第で、時には、甘え、自己中心、努力不足、忍耐不足の生徒を作り、指導は失敗する。これはひとがよく目にし、口にすることでもある。一定期間に成果を上げることが期待され圧力となっている場合には、指導者は焦る。そこで、つい、上下の力関係のなかで、叱責の果てに手が出て口が出て、暴力が出て…、となる。いわゆる体罰である。こうなると、指導者は「権威」にあらずして単なる「権力」者にすぎなくなっている。このとき、もし指導者が、嘘かまことか柔道界のように、体罰的土壌や文化のなかで育てられ、身を立て名を上げてきた場合、それ(体罰)は最も魅惑的な指導手がかりとなり、指導者のやり方は、「友愛的指導」から体罰を極とする「スパルタ教育」へと変容する。幸か不幸か、たくさんの対象者のなかには、その指導者の被教育体験と全く同様にその体罰教育指導が大きな功を奏し、オリンピック代表者が出たり、有名大学入学者がでたりすることもある。となればまた、体罰教育やスパルタ教育がいかなる相手に有効でいかなる相手には不都合か、こうした問題は意識からはずし、それが現代の倫理観にもとるという気持も次第に薄れ、指導者は体罰教育一色に染まり込んでいく。ちょうど、麻薬患者がひとたび染まるとそこから抜け出ることが難しくなるの同じ、まさしく、体罰教育は、教育・指導者にとっては、麻薬常習者と同じように、苦悩の果ての一種の麻薬的中毒症状なのである。
 こう考えると、ひとたび成り立った体罰教育とそれを育て来たった集団文化的背景は、それを取り除くことは容易ではない。また、こうした問題を包括的かつ体系的に考察・分析することも容易ではない。その作業は、いずれ時と所を改めて行うとして、ここでは、今思いつく、体罰教育から脱却する為のヒントのみを記して取り敢えず終わっておこう。
①指導者は、たとえ教育効果を上げ得る相手がいる(または居た)としても、体罰教育は暴力容認文化の基をつくる悪徳であると、肝に銘じるべきである。およそ、人に対する教育・指導に関わる者は、なべて暴力を否定し、平和な国家、国民づくりに寄与し、究極の世界平和に貢献する役割・使命を負っている。その根本を忘却してはならない、ということである。
②この根本を原点に、体罰でも与えなければ効果を上げ得ないと思われる相手には、体罰教育以外の有効な指導方法を見いだすべく、研究に励むこと。これが専門職としての、教育・指導者の役割である。
③昨今の指導対象者は、たとえ格闘技の習得であっても、単に勝利とそれによってもたらされる名誉とを求めるのではなく、その技術や真髄を学び取ることに大きな目標を置いている。いわば、音楽や絵画など、芸術を志向することと同じ感覚でスポーツを愛好し、その粋を極めようと立ち向かっている。こうした多くの対象者に対し、体罰効果が入り込む余地はほとんどない。むしろその尊い動機を根底から奪い、いたずらに抵抗のみ生み出すことになる。
④なべて心ある指導者となり、指導対象者の人格・人権を尊び、友愛・親和的指導に徹して一定の業績を上げ、向後も、水面下では頻繁に起こり得るであろう体罰教育に勝る成果を上げて、体罰教育の出る杭を打たねばならない。ただし、これは、昨今の甘え根性なきにしもあらずの対象者を相手にしては、安易に体罰を与えて一定の成果を上げるよりも一層困難で辛抱強さを要する、まさに言うに易く行うに難い難行であることは知っておくべきである。
 少し持ち上げすぎになるかもしれぬが、女子サッカーなでしこジャパン、人間的にも素晴らしい資質を持った選手と監督の人間的格闘が生んだよき事例と思われる。
 以上の認識を持って、すべての教育・指導者が事に当たれば、体罰根絶の茨の道も少しずつ少しずつ切り開かれていくだろう。
 
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宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

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