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宰相たるもの、真の“美学”を持とう。―安倍総理の靖国参拝に因んで―

 年も押し詰まった26日、安倍総理大臣が突如、靖国神社への総理参拝を敢行した。国の内外から、たちまち大きな賛否両論が湧き上がり、とりわけ中韓両国との間に抜き差しならぬ政治的緊張が醸し出された。翌日の日経新聞「春秋」欄では、故後藤田正晴氏の「国の最高の立場にある人の言動と個人の心情とは、あくまで分けて考えなければならない」という言葉を引用しながらこの行動を批判し、さらにこれを総理の「美学」と捉えてか、重ねて後藤田氏の「政治というのは、美学ではない。徹頭徹尾、実学である」をも引用して、こたびの参拝行動を国益に反するものと厳しく批判している。さて…。

 大東亜戦争終了前の年(1944年)、東大工学部鉱山学科に入った10歳年上の長兄は、運良く徴兵を免れ、大学卒業後、九州の炭坑会社(明治鉱業)に就職した。兄はすぐさま社宅を借りて、両親と私を含む下の弟妹4人すべてを引き取り、その後福岡・佐賀両県にまたがって頻繁に転勤しながら、私たちが大学に入学するまで面倒を見続けてくれた。その兄に連れられて炭鉱地帯を移り住み、私は中学1年生時に、千葉県市川市から九州にわたって以後、大学に入るまで、都会地には一度とて足を向けたことがない。だから、日本が被占領地であるとの実感や屈辱感は、次第に乏しくなっていた。
 高校3年時に、九州大学を受験するため、繁華な博多の街に出た。その賑わいにはまず驚かされたが、しかし、なかでひときわ私の目を引き、怒りさえ伴って驚かされたのが、所構わず闊歩する連合軍兵士たちの姿だった。彼らの多くは、派手な原色の服装で身を飾った若い日本の女性たちを腕に絡ませていた。何人かの兵士達をやり過ごすうちに、私は突然、抑えきれぬ激情に突き動かされ、ぶら下がるような姿態の女性をはねのけるように突き飛ばし、私よりも二回りも三回りも大きな黒人兵にぶち当たっていた。姿三四郎よろしく、大男の黒人兵に敢然と立ちはだかったのだ。しかし、学生服姿の私を瞬時見据えた後、どう思案したのか、相手はいかにも無邪気に再び女の手を取り、私を無視して立ち去った。
 何故にこのような盲動が―。それは、「鬼畜米英」と叫び、「いざ来いニミッツ、マッカーサー、出てくりや地獄へさか落とし」と歌わされた身には、戦中・戦後に私の周りで起きた二つの出来事によって培われた、いわば怨念なるものが、その折りの場面と共に咄嗟に蘇って、私を突き動かしたのではなかったか。一つは戦時中、警戒警報が鳴って足早に下校する途中に米軍戦闘機から空中射撃を受けた時のこと、二つは終戦後、進駐軍兵士による強姦事件である。戦中のあの出来事は、思い返せば今でも身がすくむ。警戒警報が鳴り始めて全員下校が命じられ、学校から大通りに走り出るやたちまち、何機もの戦闘機音が襲いかかり、あっという間に機銃掃射が始まった。私は道ばたの家屋の壁に張り付いて難を逃れたが、気づくと路上に何人もの人が血を吹いて倒れていた。戦後の出来事は、爆弾や焼夷弾から身を守るために作られた防空壕の跡地に若い女性が引きずり込まれて乱暴されたという皮肉な事件である。泣き叫ぶ女性の声が耳に焼き付いて離れない、防空壕なんかなければ起きなかった、助けてやれなくて無念だった、と呻くように語り合っていたおとな達の声が今なお耳に残っている。
 幸か不幸か、私は1945年3月10日の東京大空襲による大惨禍からは、都区内から川ひとつ(江戸川)離れた千葉県市川市に住んでいたために、危うく難を逃れている。空爆の矛先は中小企業が群がる江東区・墨田区・台東区などの東京下町、こちら市川市の住民達は、時折行き先を間違えた焼夷弾がわずかに降ってくる程度で被害は僅少、住民のほとんどは最中の真夜中表に出て、まるで火山の噴火のように爆発音が上がって火が飛び散るたびに救いようのない悲鳴を上げながら、彼岸の地が煌煌と夜空を染めて燃えさかる様を呆然と見守るばかりだった。そのとき、その火煙の中では、無数の人たちが焼け焦げ、逃げ惑い、果ては川の中に身を投じてもいた。夜が明けてから国電線路を伝って都心の勤務地と大学に行った父と長兄は、焼け焦げた死者が累々と浮かぶ隅田川の有様を語ったが、二人とも拳を振るわせ、幾度も絶句しては、拭えど止まらぬ涙をぬぐった。当時都内の中学・高校に通っていた次兄、三兄は、その後、なお硝煙立ち上る焼け野原の東京市街地と隅田川の現状を見てきたが、もし、私が父や兄たちと同様に実際にその情景を目にしていたなら、きっと、あの博多の街であの黒人兵をけっしてあのまま立ち去らせてはいなかっただろう。
 しかしその後、正しい歴史認識を得て日本の非をも知り、戦争なるものは所詮かくなるものかと認識するにつれ、私(たち)の胸中からは、非人道の極でさえある「原爆投下」の恨みさえ超えて、「鬼畜米英」に対する怒りや怨念が次第に薄れていった。
 閑話休題
 思えば、隣国朝鮮半島は、長く日本の属国とされ、その国家的尊厳を侵され続けていた。その間、日本の軍民から与えられた屈辱と恨み、そして支配国日本に対して積み重ねた怨念はいかばかりか、察するに余りある。また、中国においては、日本軍国主義による満州建国をもって国を侵され、いわゆる「日中戦争」を通して国中を荒らされた。この間に培われた中国人民の怒りと憎悪もまた想像に難くない。これら両国家・国民の思いは、もし日本国が中韓両国の立場にあったとしたら……、と見方を代えれば、誰にも容易に分かる道理である。この中朝両国民の癒やしがたい民族的な怒りや怨念、それがことあるたびに噴出するのが、例えば「南京虐殺」や「従軍慰安婦」の問題であり、そして、両国家・国民を侵害した日本軍国主義の象徴としての「靖国神社」参拝問題なのである。
 こたび、両国家・国民がどのように反撥するか、百も承知の上で、日本国の代表である総理大臣が公人として「靖国参拝」を強行した。そして米国や東南アジア諸国からの批判・反撥さえも引き起こし、我が国の安全と経済の進展に水を差した。これに対して総理は「大戦で亡くなられた英霊たち」への尊崇の念を表すのは当然のこと、と抗弁する。危ういかな、総理の行動とこの信念、これは日経新聞(並びに後藤田正晴)が言う「美学」はおろか、「実学」からもほど遠く、言わば過ちをも否定する「確信犯的信条」にすぎない。その後、国民の一部にこれらを是とする声も少なからず上がっていることも事実で、万一、こたびの一連の言動には「実学」的効果を狙った節もなきにしもあらずではあるが、およそ一国を束ねる宰相のそれとしては、余りに処処への配慮を欠いた単刀直入な行為で、大いに反省されねばならないものであったと言えよう。

 聞けば、総理の政治家たらんとする思いの原点は「美しい国造り」にあるという。美しい国、それは、突き詰めれば、人々が麗しい平和の精神でむつみ合うことから始まるのではないか。そして、人が、さらに国家が、互いに譲り合う心根で結ばれるとき、いっそうの平和が訪れ、文化や経済も発展する。安倍総理は、今一度原点に戻り、そこから新しい国造り、国際関係造りを始めるべきではないか。唯一の原爆被災国にして悲惨きわまる敗戦体験から立ち上がり、徹底した平和主義で経済大国にのし上がった日本。その国の宰相でなくて、平和の美学をもって世界平和の実現に貢献するという崇高な役割、一体どこの国のリーダーが担い得ようか。 (了)

 <エピソード> 
 15年、いや、20年もさかのぼるかもしれない。日本の経済大国としての地位は揺らぐことなく、序でのこと囲碁に関して言えば、藤沢秀行が中国で広く指導行脚して慕われ、小林光一が日中名人戦で中国強豪に連戦連勝、「鬼小林」と恐れられ、敬われていた頃である。当時しばしば街の止まり木としていた八王子市街地のスタンドバー「英國屋」で、中国人留学生のアルバイトホステスを相手にグラスを傾けている時だった。何故そのような話題になったのかは、すでに忘却の彼方だが、日中戦争の話になり、ついには「南京虐殺」の話になった。私は当然の如く、日本軍国主義の中国侵略とそれに付随するだろう様々な殺戮行為を詫びたが、その折り彼女は、要約、次のように語った。
「謝らないでください。中国ではずっと、日中戦争と日本人について、このように教えられています。“悪夢の時代は終わっている。戦争中に起きたことは、所詮戦争という人間悪が引き起こす業であり、その結果生じたことを恨んでも何の得もない。大切なのは未来。普通の隣人として、どのように(仲良く)日本および日本人とふれあっていくか、それがアジアの平和と経済の発展に貢献していく基である”。私も、そして中国人のすべてがそう思っているはずです」
 私は思わず熱くなり、彼女に手をさしのべた。彼女もまた手を伸ばして私の手を握り、いつか涙のまぶたをぬぐった。あの時の中国、そしてあの時の彼女は、今いずこにあるのか―。日中韓、そしてアメリカ、ロシアと軒並み戦争の悲惨を全く知らない世代がいつか国のリーダーになっている。危うし危うしの危機感がいや増すばかりである。
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No title

安倍首相の靖国神社参拝については、私も嫌な感じを受けていました。盛岡に住んでいる私の友人の多くは首相の参拝行為に眉をひそめていますが、靖国神社に行ったことが無いのが実情です。東京までわざわざ出て来て観る必要もないのですが、見ると聞くのとでは大違いだと思いました。それは先日、妻と二人して都内へ用事で出た際に、問題になっている舞台(靖国神社)に寄って、そのおおよそを掴んできたからです。中国・アジアへの侵略を行った責任者・戦争犯罪人たちまでが『英霊』と呼ばれ、戦争を賛美し煽っているような展示物をこの目で確かめました。良好な関係を築き上げた日中韓の将来に暗雲を呼び起こす首相の行為に、先生が御自身の体験を通して批判された事は説得力があると思いました。

占領政策の矛盾から

私の知っている話では現在の歴史認識の問題は、そもそもは米軍の占領政策の矛盾からきています。憲法はニューディーラー左派がつくり、自衛隊は昭和前期の軍人を大量に採用してファシスト、チャールス・ウィロビーにより創設されました。かれらは防衛省の制服組主流派となり現在に至っています。制服組主流派と右翼言論人により軍事史が歪曲され、それを受けて自民党が歴史教科書攻撃キャンペーンを継続中です。この事情は韓国、中国、米国には知られているのですが日本国民はあまり知らないようです。「永続敗戦論」にもあるように、すでに敗戦を否定的にとらえる政治勢力が強大であるために歴史戦として永久に続くのだと思います。

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宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

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