ラベリング寸感

  複雑な内容を一言で定義づける「ラベリング」という行為、便利ではあっても、これを深い理解と洞察なしに用いると、まことに危険である。私がかつて勤務していた大学の中枢が、学生に対するある教授の行為をセクハラと認定(ラベリング)し、停職懲戒処分を行った。これについて、不当を訴えた教授側の提訴が一審判決で勝訴し、その後大学側が控訴して、目下、東京高裁で審議中であるが、その後の大学側の行為がそれである。
  処分をするほどのセクハラ行為ならば、まずは「セクハラ」について社会的基準に合致するセクハラの定義がなければならない。しかるに大学側はその明快な定義を持つことなくセクハラ認定を為して処分を行い、控訴審に入ってからもその再吟味を行う事なく、セクハラありきの前提で、セクハラは、悪を行う者は悪者という筋書きを立て、「学生を落第させるために出席簿を改ざんした」、「単位を盾に学生を脅迫したり、デートに誘ったりした」等、事実無根の物語を展開し、被告の教授をして新たに「悪者」というラベリングを行うことに注力している。このような展開が司法の場で容認されるのか否か、今、大きな関心を持って見守っている。
  ラベリングとは、複雑な物事の真実に入るための簡易な入り口に過ぎない。それがいつしか、呪術的な魔力を持って、人や物事を真実から遠ざける魔法の杖と化している。心したいものである。
☆ このほど、国際日本文化研究センターの牛村 圭教授から、主催する同人誌『琅』27号の巻頭を飾る一文として、「ラベリング」 に関する玉稿(歴史認識に見るラベリング)を戴いた。その末尾に、安易なラベリングへの戒めが述べられている。

 「ラベリングは便利ではある。だがそれは歴史理解への窓口を与えてくれるにすぎない。ラベリングをこえて史実に向きあおうとする姿勢が、より深い歴史学びを可能にしてくれると私は信じている」。

  「歴史」および「史実」の箇所に「人間」という言葉を置き換えてみれば、詩であれ,小説であれ、エッセイであれ、およそ人間探究に励む私たちにとって、これまたなんと含蓄に富んでいる文章であることか―。改めて、牛村教授に感謝申し上げたい。

* 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

最新コメント

プロフィール

宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

最新記事
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR