学問・科学の原点:格差を無くし、誰をも幸せに。-故、宇沢弘文氏に学ぶ -

  「イスラム国」の暴虐は〝敗者(から)の裁き〟

 日本の「平和主義」を逆手にとって日本国民・国家を脅迫する「イスラム国による人質身代金要求事件、ついに人質殺害の局面に至った。
  正月三が日を健勝に過ごしたのも束の間、突然原因不明の「風邪」に襲われ、その咳・痰・肩こり・高熱の苦しみから抜け出る徴候が見え始めたのがほぼ半月後、やっと起き出て医者に通って帰宅した途端、これはまた大変なニュースが飛び込み、躰中に再び高熱が渦巻いた。「イスラム国」による二人の日本人拘束、しかも斬首殺害の脅迫をしつつ2億ドルという破格の身代金を要求する事件。
 イスラム過激派によるフランスの新聞社襲撃テロ事件の直後でもある。早速、当然の如く、同様事件で身代金を拒否した揚げ句に拉致被害者の首を断たれたアメリカ政府が、我が国政府に対して身代金を断固拒否する毅然たる態度を求め、「イスラム国」壊滅で連帯する諸国も我が国の対応を熱視線を持って見守る。政府のみにあらず、「平和国日本」を標榜する日本人はこぞって今、この問題にいかに対処できるのか、苦慮しつつもしかし、今更ながらの無力感にとらわれる。
 「イスラム国」の台頭以来、この種の事件がいつ生じても不思議ではない情勢だったが、いざ実際に惹起してしまえば、いくら〝中立〟の「平和国日本」を訴えても無法な相手を納得させる妥当な解決手段などあろうはずもない。身代金を払うにせよ、身代金を拒否して被害者を死に至らせるにせよ、どちらの結果も「平和国日本」は、かくたる事象にいかに取り組むべきか、その立ち位置を根底から揺さぶられ、面目を失って国際的にも重大な危機にさらされる。拉致された二人の日本人は、何故に何故に、無謀な「イスラム」渡航を企て、かくなる結果を呼び起こしたのか―と、無念の思いも消え去らぬなか、追い打ちをかけるように人質殺害のニュース……。それにしても、それにしても、「イスラム国」とは一体、何ものなるか。
  昨年(2014年)9月、世界的に著名な経済学者・宇沢弘文氏が亡くなった。享年86。その宇沢氏を取り上げたNHKテレビ大晦日早朝番組の「耳をすませば」を見て刺激され、経済学のあるべき姿について語る弘文氏を振り返った同年10月30日放送の「クローズアップ現代」をNHKインターネットオンラインで視聴し、改めてまた感動した。
 〝経済学の原点は人間、人間でいちばん大事なのは、実は心なんだね。その心をね、大事にする。一人ひとりの人間のね、生きざまをね、全うするっていうのがね、実は経済学の原点でもあるわけね〟
 訥々と、経済学のあるべき姿について、氏は語る。もって肝に銘じる内容、その一端を敷衍すれば、「経済学は、効率重視、競争原理をもって単に個人や企業さらには国家の繁栄をもたらすことを目的とする学問ではなく、社会間、個人間、国家間に広がる格差をなくし、ひろく人間・国際社会に幸せをもたらすための学問でなくてはならない」。思わず膝を打った。これは、ひとり経済学に留まらず、あらゆる学問・科学、そしてあらゆる人間活動に通底する天理ではないか。個人と言わず、集団と言わず、また国家と言わず、競争原理のもと、格差を求め、勝利者になろうとするのが今の世の常なら、必然的に敗者が生まれ、敗者はひたすらに耐え、いつかその鬱憤を晴らす機会を探すのもまた、世の常だろう。
 民族、価値観、文化の違いはあっても、誰しも、幸せに生きたい、幸せになりたいと思っている。人の思いは、皆同じだ。その思いが根底から打ち砕かれたとき、人はその鬱憤を内にこもらせて心を病むか、あるいは外に暴発・発散させて、せめてもの心を立てる。この事実は、私たちの周囲に満ちあふれるたくさんの非社会的精神疾患や殺人その他極端な反社会的行動をみればたちまちに理解できる。未だにその残響消えやらぬオウム真理教のテロ・殺人行為など、まさしくその一つの例証である。思えば、かの「イスラム国」の人たちもなべて、およそ尋常ならざる怒りと怨念に満ちあふれ、それを晴らすことこそ〝正義〟だと思い込み、手段を選ばぬ命がけの戦いに走っている。「イスラム国」の奥深い成立由来については、私ごときが到底把握できるところではないが、心理社会的な視点から言えば、少なくともその指導者たちと兵士たちは、ともに育ち来たった世界(環境)の中では様々な形で決定的な〝敗者〟であり、それを逆転して〝勝者〟になるためにこそ、既成体制に挑戦するテロと戦闘をもって集結している、と言い得よう。
  効率重視の競争原理のなかでは優勝劣敗・適者生存、敗者は非情にも捨て去られる。先に挙げた宇沢弘文氏は、ベトナム戦争時に少壮のシカゴ大学教授だったが、勝つためには水爆の使用もよしとする同僚教授等の存在に激怒し、絶望して母国日本に帰ってきた。まこと、人とは(また、国とは)、いつかここまで非情になれるものではある。故にこそ、「イスラム国」をして狂気、残虐、非道と罵る前に、私たちもまた(国、社会もまた)、資本主義社会のあり方も含めて、日頃依拠する学問・科学と自ら行う行動のすべてが、「人の心」を平然と傷つけてたくさんの〝敗者〟を生み出し、いつか平和と安寧に仇なす人々をつくり出すことにくみしてはいなかったか、真摯に内省してみる要がありはしないか-。
 太平洋戦争終了後の「東京裁判」には、とりわけ敗戦国側から見れば数多の理不尽があるやに思われた。これをして〝勝者の裁き〟と言うなら、「イスラム国」による一連の暴虐は、〝敗者(から)の裁き〟と呼べるかもしれぬ。
  明けて新年、30日遅れの、遅ればせながらの所感であった。

* 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手を下されば、有難く存じます。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

最新コメント

プロフィール

宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

最新記事
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR