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稀勢の里、「一日、四股百遍」で横綱へ-礼節の日本文化を守る-


 フィギュアスケートの羽生結弦選手が、バルセロナ(スペイン)におけるグランプリ(GP)ファイナルで、男女の性(さが)を超えた神業ともおぼしき華麗な氷上舞踏の美を演じ、恐るべき史上最高スコアを出した(15.12.12)。これを神とも讃える内外の声が上がり、それを凱旋帰国とも言うべき成田空港で聞かされた際の同選手の感想がまた麗しい。簡約すれば、「光栄です。でも、そのように応援して下さる方々こそ、私にとってはなによりの応援、神様です」。
 これが二十歳そこそこのアスリートの咄嗟の述懐かと驚嘆し、また、これぞまさしく芯からよき日本文化(日本の心)に育まれ来た人物だと、感銘した。

 過日、国際日本文化研究センター(日文研)における梅原猛先生の講演(「戦後70年を迎えて」私の戦後・京都の戦後―現在、未来へのメッセージ)を聴く機会を持った。その講演の終盤で先生が語ったところを不遜にも要約すれば、「平安時代340年、江戸時代250年という世界史的にもまれに見る平穏社会の中で培われた日本民族の平和文化を、闘いを好む欧米の戦争文化に代えて、世界の“周辺文化”から世界の“中心文化”にしていくこと、それが人類を破滅の道から救う唯一の道程である」。まさしく然り。そして、世界を救うべき日本文化を最もよく象徴するのが相撲と柔道、我が国古来の伝統スポーツではなかろうか。
 平和文化が産み落とした日本伝統の相撲と柔道。どちらも必ず、「礼」に始まり「礼」に終わる。もちろんこの「礼」なるものは、単なる形式的な儀式ではなく、勝って驕らず負けて動じず、而して敗者を労り勝者を讃える礼節の精神、ひいては勝敗の後なお大きな和の世界に戻るべしという世界観を具現化し、体現化したものである。これを言い換えれば、日本人の美学、さらには「日本の心」である。しかしながら、この日本の心が、近年、競争や闘争を旨とし勝敗にこだわる欧米異文化に侵され、その根底から損なわれつつある。
 野球、サッカー、ラグビー、バレーボール、陸上競技・・・等々、様々なスポーツの世界で勝者がこれ見よがしに顕示するあのガッツポーズ。勝てば官軍の驕りの極み、敗者を慮る礼節などかけらも見られない。これが外来スポーツの世界に限られるならばまだ許せるが、今や最も礼節を重んずるべき日本柔道の世界でもすでに一般化しつつあるとなれば、もはや何をか言わんや。柔道が初めて取り上げられた1964年の東京オリンピックで、オランダのアントン・ヘーシングは、日本選手を破って金メダルを奪った瞬間、歓喜して畳の上に駆け上ろうとした同国関係者等を咄嗟に手を上げて阻止した。この勝者ヘーシングが学び取った日本文化の粋、礼節の世界も今はむかしの話となった。オリンピック、世界選手権等で優勝を決めた瞬間に見せる日本人選手とコーチ陣の狂喜乱舞のあの様(ざま)は、一体、どうしたことか。敗者を尻目にひたすら歓喜する異文化選手たちと全く同じ、真にまことに嘆かわしい。日本柔道は、すでに「日本の心」を失った日本文化である。思うに、日本の柔道は国際化が過ぎて、梅原先生が言うところの「周辺文化(日本文化)を世界の中心文化へ」とは真逆に、むしろ異文化を我が国に導入する窓口にさえなっている。
 これに比べ、相撲道の世界にはまだ救いがある。斯界のトップに立つ二人の外国人横綱を見れば、一瞬、慨嘆する。片や勝つために過ぎたる張り手を連発し、手にした賞金の束で勝利を誇示(白鵬)、こなた優勝しては「勇気と希望を与える相撲を取り続ける」などと傲岸な言葉を吐く(日馬富士)。日本の心とはあまりにかけ離れた斯界最高位者(横綱)のこうした所作・言動は、相撲道もまた悪しき異文化に害されつつあることを示しはするが、他の力士一般、また相撲界全体は未だ礼節その他のよき日本の伝統の中にあるやに見える。この体質の中で、もし一人でも、身も心も「礼」に始まり「礼」に終わる礼節の横綱が現れるなら、相撲道はしっかりと日本の心を持った日本文化として留まり得る。そこで、「出でよ、横綱、心ある横綱!」への思いが、ここ数年、私を捉えて放さない。

  ところで、自ら言うのもおこがましいが、筆者は子ども時代、相撲が滅法強かった。昭和10年生まれの私の身長と体重は大人になるまでほぼ一貫して当時の日本人の標準値よりやや低目、その‘最盛期’でも165センチ、60キロにすぎなかった。その上、大いに短足胴長で、走るのは遅く、駆けっこが大の苦手だった。それがひとたび組み合ってはっけよいともなれば、躰の大小などは何の其の、一回り二回り、いや、三回り大きな相手でも、ほとんど右四つで寄り切るか、下手投げで投げ倒した。
 中学3年時の夏、当時住んでいた男気盛んな福岡・筑豊炭田内の炭鉱部落(明治鉱業所天道炭鉱)で開かれた中学生相撲大会が忘れられない。私は相撲部や柔道部に属する猛者たちを次々と破って最初の五人抜きを達成したが、これはしかし、日頃楽しむかりそめの相撲ごっこでも常のこと。何ゆえそれほど強かったのか-。理由は単純明快、簡潔そのものである。
 何よりも先ずものを言ったのは、相撲を取るのに都合のよい短足胴長の体型だった。恥ずかしながら、私は、私よりはるかに長身の人たちに匹敵する図太い胴長の上半身と、それを支える短く太い頑丈な下半身を有していた。その有り様は、例えば優に180センチは超えて日本人としては大変大柄な若き盟友、東京学芸大学名誉教授の松村茂治氏との対比関係の中でとらえればまさに一目瞭然である。私は氏と並んで歩くとき、これは掛け値なしに疲れるが、いつも横上向きに首をひねり、視線を上げて会話する。しかし、いったん椅子に座ってテーブルを挟んで真向かえば、友の顔はこちらと全く同じ高さ、視線はまっすぐ前に向けたままで済み、疲れることなどさらさら無い。
 この特徴ある頑丈な躰を、抜群の運動神経で巧みにバランスを取って組み合うのが私の相撲である。押されたら横に動いて相手を崩し、右に左に動かれればそのまま密着して相手の崩れた体勢につけいり、もし相手が引こうものならその力を利用して一気に寄り切る。たったこれだけの素朴な戦法であるが、これを成り立たせたのが、短い両足でぴたっと重心を保って上体を移動させる抜群のバランス感覚だった。これは、40歳を過ぎてから始めた私のスキー上達の様を知れば誰にもすぐに理解できるはず。私は何度かゲレンデに通ううち、やや両足を開き加減とは言え、見る間にくねくねと滑り降りる‘クリスチャニア’なる技術を我流で身につけ、まだ疲労が来ないスキーの初日~2日ではまるで転ぶことなく、スキー歴長い仲間たちがあちらで転びこちらで倒れる様を尻目に、すいすいとゲレンデを滑り降りていた。自慢ついでに明かすと、私は高校時代、学校の体育館をえっちらほと逆立ちで一周したこともある。
 では、我が身を自在に操るこのバランス感覚が天性のものかと言えば、いや、けっしてそうではない。実は、私はこれを、中学時代から高校時代、横綱気分で校舎や庭の片隅でひっそり行う、いわば相撲の‘四股百遍’の練習で身につけた。やって見れば、それは誰にもすぐ分かる。見事に足が上がる名横綱の千代の富士や貴乃花のようにはいかなくても、精一杯片足を上げて踏み下ろしたときの感覚がキーポイント。足の開きが広すぎれば(重心が低すぎて)前のめりになり、狭すぎれば(重心が高すぎて)ふらり揺れ動く感じが残る。しかし、失敗にめげずこれを何度も繰り返すうちに、やがては前にのめらず、左右にもぶれずにぴたりと収まる、即ち、四肢と躯幹の最も安定した重心位置が見つかり、「さぁ、矢でも鉄砲でも持って来い」といった無双の体感が得られるようになる。このようにして得たバランス感覚と体感の中で、我流ながら私は、咄嗟に生じる相手の変化やゲレンデの凹凸を超えて、断然たる安定性を保ち続けたのではあった。

 日本の心を体現し得る横綱出でよ、と念じ出した頃、二人の力士が候補に挙がった。第一候補が大関・稀勢の里、第二候補がモンゴル出身の大関・鶴竜である。しかし、その後、鶴竜は見事横綱に昇進したものの、如何せん力量が不足し、他の二人のモンゴル人横綱の影に隠れて、とても相撲界の象徴たり得ない。一方稀勢の里は、資質十分なるも、これは何か一本芯が欠けて、肝心なところに来るとつまづき、期待を裏切り続けている。にも拘わらず、この間私は、彼の昇進を期待して、恥ずかしくもこのブログ欄に二度、三度と応援歌を送っている。稀勢の里に‘大和男の子’を期待する」2012年9/23大和男の子、稀勢の里! 北の湖二世」2013-11-24、横綱は美学を持つもの」2014-11-12)。
 さても、稀勢の里には、致命的な欠陥がひとつある。それは、土俵上における所作を見ればたちまち分かる。立ち合い前の四股はおざなり、白鵬などのぴたりと収まる見事な演技に比べて、なんとも頼りなげなその姿態。足の開きは狭く、巨(おおき)きな上半身を支えるには余りに重心が高すぎる。これでは、躰が離れ、あるいは揉み合い、混戦になった時、躰がぐらつき、相手の変化への対応が遅れて闘いに敗れても仕方がない。
 スポーツなるもの、その戦略も含めて、習得すべき理論と実際は、本来極めてシンプルなはずである。例えば、日本野球界の名将・野村克也氏はある年、「分かりやすい野球」をモットーに、「野球はもともと難しいものではない。イチロー君のような、基本に立ち返った分かりやすい野球を心掛ける」と公言し、「投げ方や打ち方などにこだわらない。オーバースローでもアンダースローでも、ダウンスイングでもアッパースイングでも、狙ったところに投げて、打つて、走ればよい」との明快な原理で選手を引っ張り、その年、ヤクルト球団を美事にリーグ優勝に導き、さらに日本一にも輝かせた。
 また、女子サッカー「なでしこジャパン」は、2011年、これまた知将・佐々木則夫監督の指導力の故か、はたまた名選手・澤穂希選手のリーダーシップの故か、周知のように、功名心を抑えた全メンバーの固い連帯意識と徹底した連動性をもって、世界チャンピオンの座についた。体格優れ、個人技術も高い外国チームを破るにはこれ以外に勝つ道はない、と選手全員の認識・理解が一致し、ひとすじに結束した結果である。
 相手の欠陥につけ入り、重心の定まらない相手にはそこを突く。理の当然である。賢い力士は、対稀勢の里戦では、必ずや、変化を旨とし、崩して重心をぐらつかせる戦法を取るだろう。もし私が相撲の神であるならば、今の稀勢の里なら小指一本で突いて倒せる。因みにこれまで、稀勢の里が敗れたパターンの過半がこれである。稀勢の里の体力および相撲技術は、すでに十分なものがある。よって、横綱になるには、何を置いても先ずは相手の動きに惑わされずに併走し得る安定した重心付図を見い出すこと、これにつきる。そしてその方法は、「一日、四股百遍」、これまた、これにつきるだろう。さすれば、稀勢の里は遠からず、横綱の地位に昇ることになる。
 嘘か真か、戯言か。私はかつて、大関・武蔵丸を横綱・武蔵丸に導いた(「スポーツ笑談・勝負の極意」『二言、三言、世迷い言』書肆彩光、2011)。この度の話、その話と合わせて、大関稀勢の里に届くことを秘かに願っている。

 さてさて、いろいろ述べ来たったが、つまるところ私は、稀勢の里の大フアン。この力士を横綱にして日本の礼節文化をも守る、それが願いなのである。ご笑読、心より深謝します。

 世の中のためによかれと思いつつ書いています。共感くださったときには、拍手・コメントを下されば、有難く存じます。
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宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

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