いじめの功罪…

 バラ科の果樹「木瓜(ぼけ)」の苗木を買った。これに同じバラ科の梨・リンゴを接いでみようと思ったからである。我が家庭果樹園には、リンゴと梨をつないで、一樹でリンゴ3種類、梨5種類が収穫できる自慢の果樹がすでに1本あるが、あまり高木にはならない木瓜につなげば、春と秋のよき季節に異種の花と実が見事に照り合わさる光景を楽しみ、かつまた、もっと年寄りになっても果実を容易に採取できる幸せを享受できるのではないか、と欲張る気持ちがふつふつわいてきたからである。実はしかし、もちろん同じバラ科でも、木瓜に梨やリンゴがつながるかどうかは(識者・専門家に聞けばすぐわかることだろうが)、全く知るところではない。また、それ以上に困ったことは、手狭な我が庭園果樹園はとっくに、盛りたくさんの果樹どもでいっぱい、一体何処に植えればいいのだろうか。近くのホーム店に行って、買うまでは意気盛んだったが、帰路の20分ほどは、そのことで頭がいっぱいだった。結局、庭の真ん真ん中の主木たるヤマモミジを切って、そこに鎮座まします事に落ち着きはしたのだが…。
 それにしても、主木を切る発想はどこから来たのか。それは、20数年前、
我が家を建て、一番初めに主木として植え、期待した木ではあったにもかかわらず、このモミジ、春先の葉の開き初めこそ、葉芽が朱色に膨らみやがて開きゆく風情はなかなかではあっても、肝心の秋には全く紅葉しないで、ただ枯れ落ち葉を生み出すだけなのである。これは、ひたすら老いゆく年頃になった我が身にとっては何とも何かが投影されるようで、見ているだけで、はかなく切なくなってしまうのだ。全く予想だにしなかった、伐採の決断が突然やってきた次第である。と、忽然と、そのとき、この木を植えにやってきた植木屋の若い職人の,あの言葉が思い出された。彼は、なんと言うこと、言うにことかき、聞こえよがしに「ちぇっ、いろんな木が植えてあるけど、みんなちっちゃな木ばかり、こんなの木のうちにはいらねえや」と言ったのである。思わず苦笑ってしまったが、なんと当時の私はおおらかであった事よ。今なら、青筋立てて一度は買ったモミジもろとも叩き出してしまうところなのだが・・・。実際、この10数年、いつかな怒りやすくなって、身の回り、あるいは世の中一般の悪事に関して、全く許容度が低くなり、毎日が怒りの連続である。その集積が『十三分の一』なる、誇大に言えば、世を憂い、人を憂えるエッセイ集をもたらしたのだった。
 が、一体どうしてこれほど怒りやすくなったのか。答えは全く簡単である。もしかするとそれこそ私の不徳のなせる業であったのかもしれないが、人生の中盤で受けた、勤務先での集中的な、全くいわれなき非道な「いじめ」の結果なのである。それに対する怒りと怨恨こそが、私に「書く」ことへの限りない動機をもたらしてくれたのであるが、それまでの私のパーソナリティを一変させ、小事でも大事でも、何事によらず悪事に対しては忍耐心無くひたすら憤る傾性を身につけさせたのだった。
 長々つぶやいたが、結局思案して言いたかったことは、「いじめ」は人の心を歪めこそするが、人をして正義に目覚めさせ、悪と戦う心根を養う、功罪相伴う結果をもたらすということである。特別に強調するまでもなく、世に中は終わりのない「いじめ社会」である。いじめによる自殺や諸々の精神疾患、人生からの退避・逸脱といった話は後を絶たない。身にしみて、万感の思いで悼み、また同情するところである。が、こうしたいじめ被害者の方々が、一歩視点を変えて、負けて卑小な人物に成り下がる敗者にのみなるのではなく、正義に目覚め悪と戦う精神をもたらせてくれる絶好の機会と受け止め、大いなる成長への足がかりとしてくれることを、心の底から願うのである。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

最新コメント

プロフィール

宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

最新記事
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR