死刑廃止は人類究極の平和理念―日弁連の「死刑制度の廃止を求める宣言」に因んで―

 
 何という醜態。民主主義を守る世界一の超大国・アメリカ合衆国の第45代大統領選は、二大候補のヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏の、低劣極まる攻撃・非難合戦の末、劣勢を伝えられていたトランプ氏の勝利で幕を閉じた。
 愚考するに、優勢を伝えられていたクリントン氏が有名歌手などを招いて駄目押しをするために行った投票日直前のお祭り騒ぎ(演説会)が、いつかは高邁な政治理念を聴いてアメリカの未来に希望を持たんと期待していた心ある人々を落胆させ、また離反させ、逆に、本音の部分で密かに国民の共感を培っていたトランプ氏への支持を高める皮肉な結果を招いてしまった。
 昨年の大国イギリスのEU離脱、そして此度の超大国アメリカにおけるトランプ政権の出現。どちらも、ある意味平和の源泉たり得る国際グローバル化に反する偏狭なナショナリズムに基づいている。それは、第二次世界大戦を起こしたドイツ・ナチズムの再来をも、ふと危惧させる。大国における、この相次ぐナショナリズムの台頭―。地球の未来はどうなるのか。蛇が出るか仏が出るか……。と、それはさておき。

 過日(10/7)、日本弁護士連合会〈日弁連〉が「人権擁護大会」を開いて「死刑制度の廃止を求める宣言」を採択した。思うにこれは、2007年以降、①国連総会が死刑存続国を対象に繰り返し死刑廃止を求める決議案を採択する背景の中で、死刑廃止国が着実に増加している、②死刑確定事件の再審無罪(免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件など、いわゆる四大死刑冤罪事件)が象徴するように、冤罪による死刑判決の存在が少なからずあるのではないか、といった内外の状況に鑑み、万一「冤罪で死刑が執行されれば取り返しがつかない」(日弁連声明)との危機感から導かれたものである。
 冤罪による死刑判決、そして死刑の執行。主権在民にあらざる過去の暗黒時代ならいざ知らず、現代諸国家・国民の大半が隈無く基本的人権と平和を求めている時代に、こうした事態が起これば、それはまさしく“取り返しのつかない”大事件、否、大犯罪である。こうした〝大犯罪〟を契機に死刑廃止国に転じた一つの例が、厳罰の国として知られていたイギリスであった。
  1949年11月30日、イギリス・ロンドン市内のとあるアパートの裏庭で、そのアパートに住む若い母親と幼い娘の二人が絞殺死体となって発見された。容疑者として、その母子の夫であり父である25歳のティモシー・ジョン・エヴァンスが逮捕され、翌年1月、公判に付されて死刑判決が下された。事件については、同じアパート内に住む男(ジョン・クリスティ)が「ティモシーが母と娘を殺すのを見た」といった証言をなし、ティモシーはジョン・クリスティこそが真犯人であると訴えていたが、ティモシーの主張は容れられず、3月9日に処刑された。それから3年後、他の殺人事件をきっかけに、証言者のジョン・クリスティが真犯人であったことが判明し、当該妻子殺害事件は国中を湧かす冤罪事件として大騒ぎになった。-そして、このエヴァンス事件を踏み台に、国内には止みがたく死刑廃止論が浮上し、1969年、イギリスは死刑廃止国の一員となった。

 「冤罪で死刑が執行されれば取り返しがつかない」。理の当然である。こうした理不尽な〝犯罪〟を防ぐために死刑制度を廃止せよ!。一見、筋が通っている。しかしながら、ちょっと待て。この冤罪死刑を避ける道(死刑廃止)は、他方、有罪死刑の道をも同時に絶つ事になり、いかなる残虐な殺人行為も、加害者の死をもって贖わせることを不可能にしてしまう。だとすれば、殺害された被害者およびその遺族の無念は一体どのように晴らされるのか。
 筆者はかつて、ご子息を無惨な暴力によって命を絶たれた「少年犯罪被害当事者の会」代表・武るり子氏に関わる報道に触発され、一文を草した(「被害者感情・犯罪者処遇」)。内容は、殺人事件の加害者裁判において最も尊重されるべきは、たとえ加害者が少年法で保護される未成年者や責任能力が云々される精神障害者であっても、被害者遺族の感情・意見であるとするものであった。日弁連の「死刑廃止宣言」を機にネット上を検索してみたところ、激情的な論調で知られるジャーナリストの長谷川豊氏による『「死刑反対」の人権派は「死刑」の根本的な意味を分かっていないんじゃないか?』に出会った。そこでは、とりわけ無念極まる被害者遺族の立場を代弁する形で、きりりと「死刑廃止」反対の論が進む。これに対して此度の日弁連の論理は、果たして太刀打ちできるものなのか―。
  凶悪な殺人事件において加害者に死をもって報いるというのは、いわば〝因果応報、仇討ち〟の理念である。それは古今東西、古(いにしえ)から今日まで、いかなる人にとってもその胸の中にある。「忠臣蔵」が持て囃される我が国では殊更であり、本邦で死刑廃止論が容易に根付かない心理・社会文化的な基盤ともなっている。1999年4月、山口県光市で当時18歳の少年が犯したいわゆる光市母子殺害事件は、2012年2月20日最高裁判所第一小法廷で死刑判決が確定した。が、そこに至るまでの過程で、死刑廃止論者とも推測可能な弁護士団が、死刑回避のために形振り(なりふり)構わぬ珍妙な弁護論を立てて死者(被害者)および遺族を限りなく愚弄しかつ侮辱し、故にこそ、遺族に対する同情と加害者の死刑判決を望む世間の声は極度に高まった。
 こうした背景の中で、「冤罪で死刑が執行されれば取り返しがつかない」として死刑制度廃止を唱える日弁連の有り様は、どこか司法界の至らなさを自ら代弁して言い訳するが如き、いかにも便宜的で安易なプラグマティズムのような印象を受ける。私だけの感覚だろうか。まずは、冤罪などけっして惹起しないよう、未熟・専横的な警察・司法制度を改めるべきであり、その行き着いた〝冤罪のない〟世界でもなお死刑廃止が唱えられるとするなら、それは真の死刑廃止論となり得る。だがその折には、被害者および被害者遺族の報復理念を斟酌する現行の死刑制度の妥当性を認めながら、なおかつそれを超えて死刑廃止を正義とする論理を立てなくてはならない。そのような道筋、一体どこにあるのであろう。
 結論的に言って、それは本来、あり得ようはずがない。例えば、死刑廃止を訴え続ける‘アムネスティ’は言う。たとえ殺人者であっても、「生きる権利は、誰もが有する基本的な人権です。人為的に生命を奪う権利は、何人にも、どのような理由によってもありえない。国家さえもそれを奪うことはできない。これが、生きる権利を保障する『人権思想』というものであり、アムネスティが抱いている理念です」(死刑廃止-なぜ、アムネスティは死刑に反対するのか?)。まさしく、正論であろう。これに対して、かけがえのない命を奪われた被害者側は、言わざるを得ない。「その基本的人権を根底から奪い取られた無念は、どのようにしたら晴らされるのか。せめても加害者に死が与えられる以外にそれはない」。人が情意の総体たるひとであるが故に抱く怨念、即ち情念の極み-、これを一体、誰が非難し得ようか。これもまた正論なのである。
 しかし、これに対してなお、‘アムネスティ’は言う。「米国では、9.11に触発された犯罪が多発しましたが、その被害者の一人であるバングラデシュ移民のレイス・ブイヤンさんは、自分を撃った犯人の減刑を求めました。〝私が信仰する宗教には、いつでも寛容は復讐に勝るという教えがあるのです〟と、彼は述べています。また、娘を殺害された米国の犯罪被害者の遺族マリエッタ・イェーガーさんは、“自分の娘の名において、もう一つの殺人が行われることを、娘が望んでいるとは思えない”とおっしゃっています。このように、死刑が解決につながると考えない被害者遺族も、多くおられるのです」。 
  一見、説得力を持つ論旨である。しかし、この冷(ひ)やかな言葉の投げかけほど、悲憤にのたうつ被害者遺族を逆なでし、傷つけ侮辱する言葉も無いだろう。ここで誤解を恐れずに極言すれば、もし私が光市母子殺害事件の如き事件の被害者遺族であり、もし誰ぞにこのような言葉を投げかけられたら、加害者のみならず、言葉を投げた相手をも許せず、その者の死さえも望むかもしれぬ。
                ―未完
(お詫び: 本稿は初め、昨年11月20日に未完のまま投稿しました。その未完の文章を完成させるべく行っていた編集作業中、投稿を終えた部分を誤って全文削除してしまったようです。同時に、有難くも頂戴していた拍手4件の記録と、貴重なコメントをお寄せ下さった方のそれも消えてしまいました。深くお詫び申し上げます。本稿は、至急完成させます。ご海容下さい。17/1/2)。
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死刑存続と免罪は全く別の問題

凶悪犯罪者に対して何をもって償わせるのか?
反省?する訳ないじゃないか!自分の欲望・利益の為に容易に他人の生命を奪う輩が!
人権派の女性弁護士が「殺された人間の人権は?」の答弁で「死んでしまった人間には人権は無いの」と平然と答えたのには絶句した。
更に「だから残されている人間の人権を守りたいの」と答えた。
つまり人権派弁護士なるものの正体は「凶悪犯罪者擁護団体」に過ぎないのだと理解した。
光市の母子強姦殺人事件の弁護士団の弁論を読めば如何に容疑者の死刑だけは回避すべく嘘だけではなく殺害された母子に対する侮辱が出てくる。
死刑廃止する意味も意義も見出だせない。

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宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

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