NHKの体質を垣間見た―「クローズアップ現代:東大紛争45年目の真実、教授たちの告白録」

 大変興味深い「告白録」だった。昨今、政治(権力)主導で安易に大学改革が行われてきているやに思われるが、そうした「大学のあり方」と「そうした大学で学ぶことの意義」などは、あまり議論されていない。この事態は、実はかつての大学紛争時において大学当局者や学生たちが直面した事態よりも、一層深刻な問題である。その意味で、「国家秘密法案」の制定など国(政府)が一層権力化する危惧と過程を感じさせるこの時期に、此度の「告白録」は、改めて大学教育とは何かを根本的に考えさせるまさに天恵の資料とも言うべきまことに貴重なものだった。
 NHKはこの資料に基づき関係諸氏に要所・要点を語らせ、大変興味深く番組を展開させていった。が、スタジオのメインゲスト(麗澤大学 松本健一氏)に資料のもつ現代的意義を語らせる最終場面になって、まさに「NHKのあり方」を露呈した感があった。番組がまだ結論に到達する前に、キャスターが理由を述べることもしないまま、突然、発言中のゲストに向かって頭を下げ「ありがとうございました」と番組を終了させてしまったのだ。その後、天気予報や次番組紹介などの恒例の手続きに入るまでの間、番組とは全く関係のない、妙な児童画?風の絵画をながして格好をつけたが、それはゲストがそれまでのコメントから結論的に資料の意味をまとめて言及することが可能な時間であった。
 ゲストの語ってきた論点が、NHKの求めるものと相容れない内容であったから、また、その論点や内容から、明らかにNHKの求めるものと乖離する結論に向かうと予想されたから、とは思いたくない。しかし、この唐突な終了の仕方には、明らかに、NHKのもつ思想的背景と体質の偏りが垣間見えたと言わざるを得ない。多少飛躍するが、昨今騒ぎを起こしたNHK委員長の「従軍慰安婦問題」についての発言内容などを勘案すると、なにかNHKには、真の人間性を追求する姿勢に欠け、どこか思想的に偏ったものと親近する体質があるように思えてならない。
 貴重な「教授たちの告白録」を見出した功績は認めねばなるまい。しかし、ここで筆者が挙げた二つの事案を自らの「告白録」として、NHKは自ら、「NHKとはいかにあるべきか」を真摯に問い直すべきである。

大物、遠藤。負けっぷりやよし!

 大相撲12日目。期待の遠藤が大関琴奨菊にあっさり、簡単、美事に負けた。が、その、負けっぷりやよし! 真っ向勝負で負ければ,彼我の差が歴然と分かるからだ。どうすれば勝てるかは、遠藤の資質を見れば、遠からず答えが出るはず。かつて、貴乃花がそうだった。負けてよし、遠藤。稀勢の里と並んで、綱を張る日が待ち遠しい! (了)

宰相たるもの、真の“美学”を持とう。―安倍総理の靖国参拝に因んで―

 年も押し詰まった26日、安倍総理大臣が突如、靖国神社への総理参拝を敢行した。国の内外から、たちまち大きな賛否両論が湧き上がり、とりわけ中韓両国との間に抜き差しならぬ政治的緊張が醸し出された。翌日の日経新聞「春秋」欄では、故後藤田正晴氏の「国の最高の立場にある人の言動と個人の心情とは、あくまで分けて考えなければならない」という言葉を引用しながらこの行動を批判し、さらにこれを総理の「美学」と捉えてか、重ねて後藤田氏の「政治というのは、美学ではない。徹頭徹尾、実学である」をも引用して、こたびの参拝行動を国益に反するものと厳しく批判している。さて…。

 大東亜戦争終了前の年(1944年)、東大工学部鉱山学科に入った10歳年上の長兄は、運良く徴兵を免れ、大学卒業後、九州の炭坑会社(明治鉱業)に就職した。兄はすぐさま社宅を借りて、両親と私を含む下の弟妹4人すべてを引き取り、その後福岡・佐賀両県にまたがって頻繁に転勤しながら、私たちが大学に入学するまで面倒を見続けてくれた。その兄に連れられて炭鉱地帯を移り住み、私は中学1年生時に、千葉県市川市から九州にわたって以後、大学に入るまで、都会地には一度とて足を向けたことがない。だから、日本が被占領地であるとの実感や屈辱感は、次第に乏しくなっていた。
 高校3年時に、九州大学を受験するため、繁華な博多の街に出た。その賑わいにはまず驚かされたが、しかし、なかでひときわ私の目を引き、怒りさえ伴って驚かされたのが、所構わず闊歩する連合軍兵士たちの姿だった。彼らの多くは、派手な原色の服装で身を飾った若い日本の女性たちを腕に絡ませていた。何人かの兵士達をやり過ごすうちに、私は突然、抑えきれぬ激情に突き動かされ、ぶら下がるような姿態の女性をはねのけるように突き飛ばし、私よりも二回りも三回りも大きな黒人兵にぶち当たっていた。姿三四郎よろしく、大男の黒人兵に敢然と立ちはだかったのだ。しかし、学生服姿の私を瞬時見据えた後、どう思案したのか、相手はいかにも無邪気に再び女の手を取り、私を無視して立ち去った。
 何故にこのような盲動が―。それは、「鬼畜米英」と叫び、「いざ来いニミッツ、マッカーサー、出てくりや地獄へさか落とし」と歌わされた身には、戦中・戦後に私の周りで起きた二つの出来事によって培われた、いわば怨念なるものが、その折りの場面と共に咄嗟に蘇って、私を突き動かしたのではなかったか。一つは戦時中、警戒警報が鳴って足早に下校する途中に米軍戦闘機から空中射撃を受けた時のこと、二つは終戦後、進駐軍兵士による強姦事件である。戦中のあの出来事は、思い返せば今でも身がすくむ。警戒警報が鳴り始めて全員下校が命じられ、学校から大通りに走り出るやたちまち、何機もの戦闘機音が襲いかかり、あっという間に機銃掃射が始まった。私は道ばたの家屋の壁に張り付いて難を逃れたが、気づくと路上に何人もの人が血を吹いて倒れていた。戦後の出来事は、爆弾や焼夷弾から身を守るために作られた防空壕の跡地に若い女性が引きずり込まれて乱暴されたという皮肉な事件である。泣き叫ぶ女性の声が耳に焼き付いて離れない、防空壕なんかなければ起きなかった、助けてやれなくて無念だった、と呻くように語り合っていたおとな達の声が今なお耳に残っている。
 幸か不幸か、私は1945年3月10日の東京大空襲による大惨禍からは、都区内から川ひとつ(江戸川)離れた千葉県市川市に住んでいたために、危うく難を逃れている。空爆の矛先は中小企業が群がる江東区・墨田区・台東区などの東京下町、こちら市川市の住民達は、時折行き先を間違えた焼夷弾がわずかに降ってくる程度で被害は僅少、住民のほとんどは最中の真夜中表に出て、まるで火山の噴火のように爆発音が上がって火が飛び散るたびに救いようのない悲鳴を上げながら、彼岸の地が煌煌と夜空を染めて燃えさかる様を呆然と見守るばかりだった。そのとき、その火煙の中では、無数の人たちが焼け焦げ、逃げ惑い、果ては川の中に身を投じてもいた。夜が明けてから国電線路を伝って都心の勤務地と大学に行った父と長兄は、焼け焦げた死者が累々と浮かぶ隅田川の有様を語ったが、二人とも拳を振るわせ、幾度も絶句しては、拭えど止まらぬ涙をぬぐった。当時都内の中学・高校に通っていた次兄、三兄は、その後、なお硝煙立ち上る焼け野原の東京市街地と隅田川の現状を見てきたが、もし、私が父や兄たちと同様に実際にその情景を目にしていたなら、きっと、あの博多の街であの黒人兵をけっしてあのまま立ち去らせてはいなかっただろう。
 しかしその後、正しい歴史認識を得て日本の非をも知り、戦争なるものは所詮かくなるものかと認識するにつれ、私(たち)の胸中からは、非人道の極でさえある「原爆投下」の恨みさえ超えて、「鬼畜米英」に対する怒りや怨念が次第に薄れていった。
 閑話休題

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たかがスポーツ、されどスポーツ③大和男の子、稀勢の里! 北の湖二世。

 たかがスポーツのことなれど、日本古来伝統の大相撲のこととなれば話は別だ。大関稀勢の里に期待のあまり、昨年9/23に、「『大和男の子』」を期待する」と題して、苦言を呈した。その稀勢の里、今場所は見事に変身。おこがましくも私が期待したように、立合前の気負い、姑息な張り手や引き技などすっぱり消えて、愚直なまでに前へ前へと直進する正攻法、迷うところがない。ときに突き・押し・引きがあっても、それは相手の取り口に合わせてのもので、以前のようにへっぴり腰ではなく、威力は倍加した。仕切り前からの態度も悠然とし、いまや、まさに「大和男の子」にふさわしい。それかあらぬか、日馬富士、白鳳の二横綱を堂々と打ち破って、はや「横綱相撲」である。14日目までにすでに2敗しているが、「弱いから負けたのだ」と言い訳など一切しないところがまた清々しい。因みに、稀勢の里に敗れた白鵬は「下手投げで決まったと思い、力を抜いた。油断だった」と見苦しい。ここまで来たら、横綱取りに一喜一憂することはない。心技体整った今、最高位はすぐあとからついてくる。今は、見るところまさに「北の湖二世」の感があるが、それは単なるステップに過ぎない。ここでもまた、おこがましくも私は彼に期待し、独自独風の大横綱を夢見ている。
 そこで、稀勢の里には、ちょっぴりはやいが、横綱昇進を決めたあとのコメントを、いまからしっかり準備して、これこそまさしく「大和男の子」と、私たちを感動させてほしい。スポーツ選手・関係者達の、勝ち鬨を上げた後のあの醜い傲岸な発言はもう聞き飽きた。それは強い不快感を超え、憤りすら感じさせる。日馬富士は横綱昇進を前にして、「今後も皆さんに、感動勇気希望を与える相撲を取っていきたい」と言い放ったが、同様内容の発言は、昨年のロンドンオリンピック後には、体操の内村航平選手そのほかから、嫌と言うほど聞かされた。最近では、プロ野球「楽天」チームを日本一の栄冠に導いた星野監督が「震災で苦労なさっている皆さんを『日本一になって癒やしてあげたかった』」と。「星野、お前もか」の思いであった。
 勝てば官軍といった傲慢さを培う諸々の競技とは異なり、古式ゆかしい日本伝統文化の大相撲を向後支えていく稀勢の里だと思えばこそ、日本の美質、あえて言えば、日本人の奥ゆかしさ、これを改めて感じさせてくれる「大和男の子」であってほしい。

全日空さん、ありがとう―拝啓、ワンウエイ・みずほ銀行殿(5)

 さてさて、これは意地悪みずほ銀行の話とは大違い、本当に親切でありがたかった話である。
『ソーシャルケースワークと権威』という英書の翻訳・編集作業が半年にもわたって疲れ果てた。久しぶりに訪ねてきた娘が、疲弊した姿を見て心配し、飛行機代を負担するから、沖縄でも北海道でも、どこかのんびり旅行に行ってこいと言う。これ幸いと早速、一度は行ってみたいと思っていた対馬旅行を企てた。全日空機で羽田から長崎に飛んでそこで1泊、翌日また飛行機で対馬へと飛び立つ、付き添い(妻)付き慰安旅行である。
 ところが何ということ、出立の朝、家を出るのが遅れ、予定の飛行機に乗れなくなった。飛行場には手続きその他で出発予定時間より少なくとも30分前には着いていなければならないが、何を勘違いしたのか、私たち二人はちょうどその出発時間に着くようにしか家を出ていなかったのである。これでは、飛行場受付に到着した時、予定の飛行機はまさに空港を飛び立っているわけで、とうてい乗ることはできない。中央線電車が新宿駅に届く頃、私たちは突然このことに気づいて愕然とした。が、もう遅い。
 あれこれ思案した。ANAの11時15分発の次はたしか16時30分頃だったはずだが、5時間も飛行場で待つなんて大変だ。長崎市内見物もできなくなって、長崎宿泊が無駄になる。それなら飛行場でJALや格安航空会社のチケットを探してみるか。もし、早いチケットが見つからなければ、今日は娘の所に泊まって長崎のホテルはキャンセルし、明日の便で対馬に直行…。あれやこれや思案するうち、ふっと乗り遅れた2枚のチケットがどうなるのか不安になった。これまで、国内旅行も海外旅行も出発時間に遅れたことは一度も無く、このようなとき、チケットの取り扱いはどうなるのか、全く知るところではない。後便に変えるとか、他社の便で行くなどといっても、まずはこのことが大切だ…。
 不愉快極まるみずほ銀行とのやりとりが頭をよぎる。「搭乗時間に遅れたのだから、チケットは無効になるだけだ」と強面に言う鬼のようなANA職員の顔が浮かんできた。とにかく予約機の出発時刻以内には行かなくては…と、羽田空港駅に着いてからは、圧痛の胸を押さえ押さえて、走りに走った。しかし、どこにもよき人はいるもの、案ずるより産むが易し、の嬉しい結果とはなった。
 飛行場について、ANAのカウンターに急いだ。いろいろなカウンターがあってどこに行けば適当なのかよく分からない。とりあえず空いている所に行って事情を説明すると、「もう、飛行機が出る時間だから、これには乗れません。*番カウンターに並んで処理してください」と何をどう処理するのか分からない、事務的ですげない返事。仕方なく*番カウンターに行ったが、そこはたくさんのチェックイン客が、10分や20分では順番が回ってこない、まさに蛇列をなして並んでいるところだった。一旦並びはしたが、これでは時間が無駄にどんどん経って、チケットの変更や払い戻しもしてもらえなくなるのではないか、とたちまちいらいらと不安も募ってきた時、近くを急ぎ足のANA制服嬢が通りかかった。救いを求めるような思いで私は彼女を呼び止め、先程と同じ説明をして、このまま並んでいて何とかなるのだろうかと訊いてみた。すると彼女は、「もう出発時刻ですから間に合いはしませんが、でも、出発時間内には到着されているのですよね」と何か含みのある言葉を残して、「しばらくお待ちください」と受付カウンターの中に入っていった。そして、すぐ立ち戻ってきて、実に親切な処理をしてくれた。
「ANAの便ではないのですが、16時台までお待ちにならなくても、2時間後に出発する共同運航便がございます。もし、それでよろしければ…」
 共同運航便という言葉は初めて聞いたが、乗れる便があるとは、もちろん渡りに船の話である。彼女は早速私たちをチェックインカウンターの別の場所に導き、たちまちすべての手続きを終えてくれた。
「出発は13時15分。ではお食事などして、遅れませぬように30分前までには*番搭乗口からお入りくださいませ」
 彼女は丁重にお辞儀をしてから、所用を抱えていたのか、また急ぎ足でそそくさと他の場所へ移っていった。「ドナ」で働いている人たちにも似て面差しが柔らかい。地獄で仏に会ったような,救われたという感慨があった。
 心穏やかな豊かな気分の旅行になった。長崎には、まだ十分明るいうちに着き、海岸線に沿って、潮風の香りに身を委ねながら、木々の緑と建物が美しく調和する小高い丘の風景を眺め歩いた。対馬では、日本の田舎でも失われつつある純朴な人情に心奪われながら、とりわけ日朝交流の古跡見物を楽しんだ。
 観光客は少なくないが、対馬ではほとんどが韓国の人たちで、東京から2泊3日の日程で来たと言うと、誰も皆、「遠いところからよくぞまぁ」と心からの歓迎の顔になる。対馬藩主宗家の墓所・万照院では島北部に住む老夫婦と出会って家に誘われ、レストランを探しあぐねて通行人に道を訊くと、その人はずっと見守っていたのか、私たちが再び迷った時、追いかけてきて店まで誘い(いざな)、観光みやげ店の若い売り子嬢は「野生生物保護センターのツシマヤマネコを見てきましたか」と問い、しかし「残念ながら私はまだ見に行ったことはありませんけど」と打ち明けて微笑(わら)い、「東京からお出でになったのですか、一度行ってみたいなぁ」と純朴な気持ちを隠さない。
 こうして、旅を満喫して対馬から長崎、羽田と同じ空路を戻り……、羽田の飛行場から地下を通ってモノレール駅に渡ろうとした時、通路脇に陣取ったANA制服の2人の女性から声をかけられた。
「ANAカードはお持ちですか。ANAマイレージには入会されていますか」。
 路上はおろか、電話による様々な勧誘にも乗ったことは一度もない。しかし、この時ばかりは別だった。一も二もなくそれに応じて申込書の説明を受け、それを家まで持ち帰った。
 帰宅して、テレビをつけた途端、びっくりするようなみずほ銀行のコマーシャルが目に飛び込んできた。初めて見るものだった。たくさんの女子行員達がこちらを向いて、「みずほは変わります。お客様の力になるために―未来へ お客様とともに、ワンウエイ ミズホ」。
 まさしく、驚き、桃の木、山椒の木。よくもまぁ、このようなコマ―シャルを…。「みずほ」に関わるものはすべて解約しようと、この時、決めた。(完)

街の止まり木・原宿竹下通り「ドナ」―拝啓、ワンウエイ・みずほ銀行殿(4)

 たかが40坪程の我が家の庭。だが、ビワ・桃・梨・ぶどう・無花果・リンゴ・柿・ミカン…といつか増殖して今や何でもありの「家庭果樹園」である。雨上がりの日など、雀・ひよどり、時にはカラスまでやってきて、小虫を拾い、葉水をすすり、時には丹精込めた果実をついばみ、しばし飛び跳ねては去っていく。彼らにとって我が家の庭は、いわば縄張り地域内でのしばし憩いの止まり木屋形なのだろう。
 大きくても小さくても,豪華でも質素でも、生きとし生けるものにとって、およそ止まり木なるものは無くてはかなわぬものである。止まり木でしばし憩って、人はそれぞれ、様々な形で明日への活力を取り戻す。
 少し前まで、私のそれは、夜の街のバーであり、喫茶室であり、クラブであった。が、加齢してはいつか遠のき、それは普通の飲食店へと次第に所を変えていった。東京の田舎・八王子から都心に出かけた時、東京駅の「寿司岩」、新宿駅の「おだむすび」、「つな八」、どこも客を心から歓待する店員さんばかり。そしてあとの一つが、2階から賑やかな竹下通りを見晴らす、原宿・竹下通りのパスタ店「ドナ」である。
  3年ほど前、N響から原宿駅までの帰路、初めて通った竹下通り、たまたま入った「ドナ」での生ビールの旨さを思い出して、1ヶ月後にもう一度寄ってみた。同じ味わいだった。見た目も美麗な微粒でクリーミーな泡立ち、それがゆっくりと飲み終わるまでビールの風味を逃さない。ビールを注いだ店長さんを呼んでみると、長身で細身の今流イケメン、物腰も柔らかく,何とも好青年である。聞けば、サントリーの生樽名人の称号をもらっているとのこと。さもありなん,さもありなん。妻と二人、ここがすっかり気に入り、それから今日まで、N響の帰りにはいつも立ち寄っている。
 トップ(店長)の人柄はそのまま従業者に反映する。長く通っていると、誰が専任、誰が臨時か分かってくるが、ここではそんな違いに関わりなく、誰も客への応対は穏やかで温かく、思いやりがこもっている。私はそんな店員さんたちに「こんな店長さんの許で働いているとき、ビールのつぎ方を習っておかなければ、損をする」と言ったりしたが、誰も「大きなお世話」といった顔もせず、店長不在の折など、「今日は私が入れましたが、お味はどうだったでしょうか」とまじめな顔で訊いてくる。
 ある日、店長は不在だった。が、一口含んで驚いた。店長不在の時にこれほどクリーミーな泡立ちで風味のあるビールを出されたことがない。思わず持ち上げたグラスの縁(ふち)を唇に当てたまま、ゴクリとのどを通した後の余韻を楽しみ、そしてゆっくりともう一口―。その日の給仕は、小柄で愛くるしいアルバイトの女子学生のIさんだったが、いつから見ていたのか、彼女がそっと近寄ってきて、少し不安げに問うてきた。
「今日のお味はどうだったでしょうか」。 そして、当日のビールはまさしく彼女が注いだものだった。
 その日以降、ドナに行って彼女が居ると、健康のため控えていたにも拘わらず、私は必ず(彼女の)ビールを追加注文し、竹下通りを賑やかに行き交う若者達を二階の窓から心楽しく眺め下ろしながら、時に減らず口をたたいて彼女と話を交わす束の間の楽しみを味わった。ワイン党の妻もいつか、グラスビールを注文するようになっていた。
 そのIさんの大学卒業が間近になって、これが別れの時となる日、店長が気を利かせたのか、お勘定の帳場は最初、彼女一人だった。卒業後の就職先(日本郵便)の話を聞いたり、いろいろ名残を惜しんで店を出ようした時、タイミングを見計らったように、調理場の方から、少し年長の女店員が小走りに駈けてきた。しばらく見なかったが、以前はよく給仕されたものだった。
「ご無沙汰しています。出勤の時間が掛け違ってしばらくお会いしてませんでしたが、Iさんが居なくなっても後は私どもがきちんと接待させて頂きます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
 明るく、自然で、歓待の心がにじみ出ている。ドアを出る時、振り返ると、調理場の窓越しに、店長のNさんがこちらを向いて辞儀をしている様子が見えた。
 原宿・竹下通りのドナ。ここには、おいしいビールとおいしいパスタ、そして温かい心が溢れている。(つづく)

江戸東京博物館―拝啓、ワンウエイ・みずほ銀行殿(3)

 ファインバーグ・コレクション展「江戸絵画の奇跡」を鑑賞がてら、八王子から両国まで、江戸東京博物館に二日続けて行ってきた。何故二日も続けて行ったのか? もちろん、一日では十分な鑑賞ができず心残りがあったからだ。が、もしかして、そこで働く若い女性達の応対が何とも嬉しかったから…?。
 65歳以上は割引料金ということは知らなかった。いかにも無念、受付で言ってみた。「立派な後期高齢者です。喜寿を迎えています。この顔パスではいけませんか?」。
 受付嬢はうふっと微笑って、
「分かりました。でもお顔の色つやからはとてもそんなには見えませんが…」
かつて長野の栂池スキー場や倉敷の大原美術館でも同じようなことがあったことを思い出し、何か浮き浮きと入館した。その気分は帰る頃にもまだ続いて、土産店で解説書や絵はがきの他、買わなくてもよいものまで買い求め、代金支払いの時、浮いた気分で手許が乱れ、財布から銅貨をいくつかカウンター床下に落としてしまった。「あっ、大変」とカウンター嬢が私より先に床下をのぞいて硬貨を拾い集める。
「これで、全部でしょうか?」
「うーん、500円玉がもう一つあったような…」
 心配そうな彼女。もう一度2人で這いつくばって探してみる。が、紙くず一つ落ちていないようだ。後でもう一度探してみます、という彼女の声を背に受けながら、私は他の商品を見に店内を移動し、あれこれ探索の末、また新しい品物を選び、先程のカウンターからいくらか離れた別のカウンターに並んだ。その時、
「ありました!」
 と若い弾んだ声を上げて小走りに駆け寄ってくる女性がいた。先程のカウンター嬢だった。見れば、頭の上まで挙げた彼女の右手の指先には、500円硬貨が周囲の明かりを集めてまぶしいばかりに銀光を放っていた。
 翌日また、江戸東京博物館を訪れた際、そっとその土産店にも足を運び、密かに彼女を見つけて、私は頭を下げた。(つづく)

代々木・HNKホール, 電車の中で(若者の謙譲心)―拝啓、ワンウエイ・みずほ銀行殿(2)

代々木・HNKホール
 月に一度、代々木のHNKホールにN響オーケストラを聴きに行く。その休憩時間に、妻はワインを1グラス、私は冷水のボトルを1本求めてのどを潤すのが常なのだが、ある時あまりの乾きに、売店の売り子嬢に、思わず言ってしまった。
「ボトルがもっと冷えているといいんですが」。
 私の後にはまだたくさんのお客が並んでいた。「これしかないんです」と逃れてもいいところなのに,彼女はすかさず「あ、そうですよね。冷蔵庫のものに取り替えます」と言って、いったん渡してくれたボトルをカウンター上の冷却ボックスに戻して瞬時に後に走り、一段と冷えたボトルを持ってきてくれた。

電車の中で(若者の謙譲心)
 つい先頃まで、電車に乗るのが怖かった。何故って,座るところがなくてつり革にぶら下がると、たちまち、若い男性、時には妙齢の若い女性からも席を譲られてしまうからである。申し訳なくて、照れくさくて、だから、若い人たちにはなるべく離れるようにして、入り口付近などにも、よく体を委ねたりしていた。
 それにしても、不思議である、つい何年か前までは、こちらがどんなに疲弊していても、優先席に座している若者達から席など譲ってもらった記憶はさらさら無く、「今時の若者ってやつは」と憤慨していたものであった。それがいつの間にか、こちらが気を遣うほど様変わりしている。何故だろう? 思えばしかし、理由は実に簡単だった。それは、私がいたわってやらねばならないと感じさせるほどの、いつわりのない老齢者になったからである。
 自分で言うのもおこがましいが、私には長い間、実年齢よりもずっと若く見させる〝若さ〟があった。それが3年前、心臓の病が顕在化し、以後、急速に心身が衰え、今や頭も白くて薄く、そしてやつれさえ目立ち、すっかり年並みの高齢者になった。偽りのない、己の姿である。
 過日、某新聞のコラム欄で、ある新聞記者が、例によって例の如く、「昨今の若者は…」と嘆いていた。が、よくよく思えば、それは明らかに間違いである。今も昔も、若者達は、高齢者の実態に合わせ、見事にそれに対応している。妙な謙譲は無礼に当たるとして元気な老人には特に区別せず、だが疲れた老人にはいたわりの心を持った謙譲の精神で接しているのだ。
 まだ席を譲ってもらわなくても済むやに判断される老人は、心して喜び、席を譲られる老人は、改めて若者の謙譲心に感謝し、それに身を委せればよい。思い返してからの昨今の私は、臆することなく若者たちからの好意を受け、また、そうした好意が見られないときには、壮健に見られているのだなぁ、とそれはそれなりの元気をもらうのである。
 若者達から、席を譲られるたび、身も心も癒やされる。新宿まで出かけた昨日が1回、今日は電車に乗る前のバスで1回、席を譲られた。譲られるたび、若者万歳! 未来の日本をよろしく、と心で叫ぶ。幸せな感情がふつふつと湧き上がり、日本の将来を確信する時である。(つづく)

拝啓、ワンウエイ・みずほ銀行殿―いじめ・パワハラ時代の源になるなかれ、こんな対応、無礼ではありませんか

 いやはや、驚き、桃の木、山椒の木である。今時、こんな人たち、いや、こんな組織?って、あるのかなぁ、と。
 過日、といっても一年以上も前、さる病院内でクレジットカードとキャッシュカードを詰め込んだ財布を無くしたと思い込み、いくつもの銀行、カード会社に大慌てに電話連絡、あげく住居地を管轄する警察にも駆け込むなど、大騒ぎをした。が、その日のうちに思い違いだったことが分かり、今度もまた大慌てに各銀行、カード会社に電話連絡したが、各銀行・カード各会社から、即座にカード発見届けの提出書類が送られてきて、署名捺印してそれを返送、あとは変わりなくそのまま各種カードが使えて、たちまち一件落着した(と思い込んでいた)。ところがその後一年経つうちに、なにやらある銀行(みずほ銀行)のカードだけが使いものにならず、都度にATMで「このカードは使用できません」と表示され、現金が下ろせないことが分かった。出かけた際に金子が不足し,帰りの交通費を調達するのに弱り果てたこともあった。そこで過日、確定申告のため八王子税務署に行くついでに、発行元のみずほ銀行八王子支店に赴いたのだが、それが即ち、驚き、桃の木、山椒の木なのであった。
 現金のおろしついでに仔細を伝えてカードを窓口嬢に渡したところ、何のことはない、カードは「紛失届があったので、使用停止処分になっている」という。ここまではよい。当銀行が他銀行とは異なり、カード発見通知の書類を送ってこなかったのか、あるいは私がその発見通知の書類を送り返さなかったのか、なにか事故や支障があって、カードが使用停止処分のままになっていたと思えば済むことである。が、以下のいきさつには全く恐れ入るほかはない。感情・評価を交えず事実のみ記すと、次の如くである。
「では、カードを使用できるように変更してください」
「分かりました。でも、すぐにはできません、お客様がすべて終わりになるまでお待ちください」
「税務署に行かなければならないので、そんなに長く待てません。」
「こちらも忙しいので、来店の皆様への対応がすべて終わるまでは、どうしようもありません」
「では、カード発見届けというような書類があると思いますが、それをください。のちほど、郵送します」
「その書類はありますが、ご本人が来店して提出することになっているので、お渡ししても意味がありません。だからお渡しいたしません」
「え?!」
 来店客が多いせいで殺気立っているようにも感じられたので、ここはいったん引き下がり、帰宅してから適応な部署に電話で問い合わせることにした。しかし、殺気だっているのではないかという善意の憶測は全く外れ、それどころか、そして次には、心の底からびっくり仰天したのである。
 翌日、みずほ銀行八王子支店に電話を入れ、応対に出た〝お客様係〟Y嬢に前日のいきさつを話し、改めて、カード発見通知の書類を送ってくれるよう、丁重に依頼した。ところがである。この担当者曰く、当行ではカード紛失・発見に関する取り扱いは、窓口嬢が説明した通りであり、従って「カード発見通知書はもちろん送れない、身分を証明するものをもって来店した上で手続きされたい」とのことである。
 私は、水を向けてみた。
「老齢で体調も悪く、家での仕事も重なっていて、外出は難しいのですが…」
「それなら、代理人を立てて、その人を寄越してください」
「代理人が居なかったら、どうするのですか?」
「自分できてください」
「え? どうしてもこちらから行かなくてはならないのですか」
「そういうことです」
 私は、切り札を出すことにした。
「でも、他の銀行やクレジット会社ではみんなカード発見通知の書類を送ってくれて、それを返送するだけで済んでいますが…」
 しかし、ものの見事に当てが外れた。
「他のところのことは知りません。これは,私どもの規則です」
 こうなってはもう、引き下がるより他に術はない。でもちょっと待て。今一度、今度はちょっぴり底意地を持って、言ってみた。
「こちら、八王子支店まで出かけることはほんとに難しい。そちらから我が家にやってきて手続きをしてくれることはできませんか。ほんとに、出かけることは難しいのです」
 相手はきっと張り詰めた調子で応えた。
「そんなこと、できません。こちら忙しくてお客さまのところなど、訪ねる時間なんて全くありません」
 こうなると、こちらも段々怒りも顕わになり、底意地もますます悪くなる。
「そうですか。何年か前、投資信託を売りに来たときは、課長さんが女性社員を連れて訪ねてきたけど、まあいいか。それでは、その投資信託の毎月配当金もカードがなくては近くのATMでも下ろせないので、他の銀行に振り込んでもらうようにしたいのですが、その手続きはどうしたらよいですか」
 相手は一瞬考え込む風情を感じさせたが、すぐに毅然として言ってきた。
「そんなことはできません。配当金はすべて当行の預金通帳に振り込む規則になっています!」
 ああ、何をか言わんや。この相手、この銀行? まるで、こちらの望むことは何でもかでも一切拒むことを喜びとしているやにも見える。呆れもし、怒りもし、こうなっては怒声となって、最後の締めをするしかない。
「それでは、何が何でもそちらに行かなくてはいけないと言うことだね」
 突然変容したこちらの剣幕に押されたのか、相手がひるんで、返事がない。今度は、思わず怒声に満ちた言葉になった。
「返事をしなさい!、ハイといいなさい!」
「……」
「返事をしなさい!」
まだ、返事がない。
「そういうやり方が正しいというなら、きちんと返事をしなさい!」
一瞬間を置いてから、「はい」と応えるか細い声が届いた。
 その後、半年が経った。が、みずほ銀行八王子支店からは、もちろん、何の連絡も無く、外出時に携帯するキャッシュカードは、コンビニその他、どこのATMでも手数料無料の新生銀行のそれに替えた。

 他の銀行やカード発行会社と同じようにはできないという、即ち,銀行に赴かない限りカード使用の手続きはできないというこの銀行の有り様、老齢で病苦を抱える私にとっては、とりわけ意地悪な対応である。が、よくよく辺りを見回してみれば、それは格別珍しい対応でもない。昨今の世の中、およそいじめ、意地悪など、パワハラ行為に満ちあふれているからである。パワハラとは、大上段に振りかぶって言えば、「教育・指導・医療、あるいは行政・営利・サービスなど、あらゆる人間関係のさまざまな関係性のなかで、優位な立場に立つ側が物理的・心理的・経済的、そのほか様々な側面で相手を害する行為」、要するに、相手を困らせ、弱らせ、いたぶる行為であるが、今や、こうした小さなパワハラから大きな組織体のなかで行われる「退職追い落としパワハラ」まで、あちらでもこちらでも多種多様、まさに平成パワハラ時代である。こうした世相が子どもの世界にも浸透し、陰湿ないじめによる被害者の自死事件も珍しくなくなり、社会人の適応・精神障害も増え続けている。力弱い者は、怒りを発散する術さえ持てず、屈辱のなかで、世を嘆き、恨み、ひたすらじっと堪えるほかはない…。政府は、アベノミクスで世の中変わった、明るくなったと調子よく景気回復をぶち上げているが、実は暗きにくらい陰湿な世界はなお厳然と存在している。折しも、TBSの最近のテレビドラマ「半沢直樹」、やられたら倍返し十倍倍返しでやり返す、という痛快なテーマが視聴者の絶大な共感と支持を得て大ヒット。この現象こそ、この世の中に、向けどころのない鬱積した怒りや怨念を抱え込む限りない数のパワハラ被害者がいることを、痛いほど如実に示すものである。

さて、評論家ぶった話は措いて、このような不快な体験をすると、人様からの善意や好意がことさらに嬉しく感じられるようになるからまことに不思議、以前なら軽く受け流してきた、誰でも経験するであろうような他者からの何気ない様々な心遣いが、深く心に沁み入り、人間っていいなぁ、世の中っていいなぁ、としみじみ心温まる気持ちに浸らせてくれる。悪い奴よりよい人の方が、実は圧倒的に多いのである。  ―つづく―

追記:この不快な体験あればこそ、おかげで、人間の麗しい“善性”を見直すこともできました。このテーマ(「拝啓、ワンウエイ・みずほ銀行殿」)であと何回か続きますが、ぜひ最後まで読んで頂きたいものです。一気にお読みくださる方はこちらへどうぞ。

体罰教育、思いつくまま―体罰教育を生む土壌―

 さる地方新聞社が、特集記事で体罰関連の記事を書くため、取材に伺いたいと電話してきた。何故私かと問えば、TBSの「サンデーモーニング」で私が語っているのを見たからだという。来宅は断り、代わりに取材項目を決めて送ってもらい、それをメールで回答することにした。時間の節約、内容の正確も得られる利点がある。一晩かけて作成、そしてメールしたが、3日待っても返事が来ない。無礼な話だが、マスコミというもの、自分たちの都合で動くところ。使えればよし、使えなければ挨拶も無しに没にするだけ。それもよかろう。が、多忙極めるときにせっかく書いたものなので、こちらはそのまま,没というわけにも行かない。本ブログの前回、いずれ体罰論をまとめてみたいと公言してあること、思いだし、ちょっとまだまだ思いつきだけのものだが、関心ある方々へお見せしてみたい。なお、これは本当のことだけれど、本年中に、これまで書いた教育関連のエッセイをまとめて「教育問題、二言・三言」(仮題:「彩光文庫」)を出す予定。そこに、きちんとした体罰論を載せたいと思っている。ちょっと先の話ですが、関心のある方、ご連絡くだされば、贈呈いたします。


体罰教育、思いつくまま

① 体罰の歴史的背景
 よく、日本軍隊での残酷なしごきや暴力が安易に取り上げられたりするが、軽々単純に論じられる問題ではない。戦後教育との関連で、身近な問題に絞って主な要因を挙げると、
イ)指導者側の願望と体質・資質。
 どんな指導者も、指導者として名を上げたい,と願望する。とりわけ、スポーツ礼賛の時代では、(とりわけ、闘争的、格闘的要素の高い競技などの)スポーツ関連指導者にはそれが強い。しかし、彼らのなかには、自己の被訓練体験も含めて、体罰教育に対する信奉者が少なくない。このような人達が、諸々の事情と絡み合うとき(指導が思うように行かない、言うことに反発される、自己の境遇に不満がある…等)、体罰指導を選択させることになる。これは心理学で言うフラストレーション行動で、結果がよかろうと悪かろうと、異常に固着した指導行動(体罰行動)となる。付言すると、この落とし穴にはまりやすいのは、人格的に未熟で、さまざまに自信のないパーソナリティである。
ロ)学校側の願望
 スポーツに限らないが、どこの学校(とりわけ、首脳陣)にも、学校の名を上げたいという願望がある。とりわけ名門と言われる学校や私立校ともなれば、それは根強い。生徒を集める大広告にもなる。そのためには何をしても、と躍起になる。一方、東大に入れたい、一流にしたい、チャンピオンを作りたい…は国民的大望でもある。経済大国になるのと併行してますます過激になる競争主義、名誉主義。ある種の学校では、体罰指導だろうと何だろうと、卓越した成果を上げて学校の名を上げてくれてこその指導者だと、暗黙裏に体罰容認の思想が生まれる。ここも付言すると、営利主義の強い学校にその傾向が強く現れる。
ハ)学校と指導者の目的(いわば営利目的)の一致,合体。
 東京オリンピック以来、体罰を含む猛烈なしごきで成果を上げた例は、おそらく枚挙にいとまがない。それを見聞きした、体質的に親近な指導者が体罰に走ることは容易だろう。もし、学校首脳部が体罰容認の文化を持っていたなら、いとも簡単に体罰指導が常態化する。この場合、それは、学校と指導者の営利的目的が一致しているのである。即ち、スポーツ部が名を上げることによって、学校には志望生徒が増えて繁盛し、指導者には斯界における名声が高まり、爾後の立ち位置が有利になっていくことである。体罰指導の結果が、学校・指導者の両者にとって、いわば、爾後の諸々の営業的活動を有利に導くという幻想が働き、近年?、異常に高まっている。
ニ)保護者達の容認文化
 30数年前、当時小学生だった娘が参加したこともあって、東京都小学校の女子ミニバスケット決勝大会を観戦中、驚愕する出来事があった(『教師の権威と指導力』)。試合で負けたチームの女性監督が全選手を並べ、全員に平手打ち、なかの1人が監督に反抗したのか、特別に強烈な一発を食らい、会場壁の羽目板まで飛ばされた。しかし、観客も役員も誰一人注意する者もなく、訊いて回っても、よくあること、と問題視する者も居なかった。戦慄すべきは、こうした体罰文化を、選手の親たち、学校その他の関係者が、さまざまな思惑や理屈で容認してきたという事実が、ついに死者が出るほどまでに昨今の子ども達を追い込んできたと言うことである。ただ、この要因分析は、なかなか難しい。
*結
あれこれの事情で(とりわけ、体罰指導による成功的な事例に後押しされ)戦後の民主教育の裏道で体罰指導が次第に一般化し、戦後の民主教育の裏道で、いや、今や日の当たる大道の中で増幅し、特殊な世界(学校経営者、スポーツ関連指導者ら)では、いつか許容される強力なひとつの文化形態となってしまった。もし、学校の名が高まるなら、指導者としての評価が高まるなら、体罰もまたよし、否、積極的に行うべし-。

② 体罰をやめられない理由、体罰が横行する要因
おおかたは①の説明のなかにあると思われるが、各論的に、ほかに敢えて挙げれば、
<1次的、人格的要因>
イ)未熟な人格。特に、指導上で生じるフラストレーションに耐えることが難しい人。フラストレーション耐性の低格と言います。一般に次のような性格特徴を持っています。
ロ)攻撃的性情を身に潜めている人。
ハ)権威主義的な人。物事を、とりわけ人間関係を上下の関係性のなかで見る人。
ニ)自信のない人。指導する内容だけでなく、一般に多様なコンプレックスがあり、自尊心に欠ける人。
ホ)代償性行動の特徴ある人。とりわけ、スポーツをやることによって、学業そのほか諸々のコンプレックスを解消しようとしてきた人。
 こうした特徴を併せ持つ人は、生徒が理解しない、言うことをきかない等の場面では、他の指導法を考えるより先に、手が出て暴力が出て(即ち体罰教師)となりやすい。この場合、すでに指導ではなく、自分の緊張解消のための単なる「八つ当たり的,発散的な攻撃行動」というのが最もふさわしいが、これを自覚することはなかなか難しい。体罰が生徒の死を呼ぶまでに至っている昨今の事態からすれば、今や、すべてのスポーツ指導者達は、真剣に自己洞察をなして、自らの指導者適性を内省しなければならないと言える。
<2次的、環境的要因>
イ)傍から加わる成果主義の圧力。個々の学校の内部要因によってかなりの相違があるとは思われる。他者評価の圧力と言い換えてもよい。
ロ)成果を上げたい、あるいは上げなければならないといった自己圧力。これが自己のもともとのコンプレックスの解消と関わっている場合には深刻な事態を生じる。自己評価の圧力といってもよい。これらの圧力は、「周囲」および「自己のパーソナリティ」との相関関係のなかで、要因としての重みが変化する。
 ③ 体罰は指導たり得るか。
学習・指導の動機付けとして、罰は賞と並んで2大技法の1つ、そのもっとも極端な形が体罰である(勿論、動機付けの技法として、そのほか専門的・技巧的な方法がいろいろある。今の教師は、一体教師になるために何を学んできたのかと思うほど、おおかたはほとんどそれを知っていない)。昨今の人間観から言えば決して好ましからざるものではあっても、相手次第で大きな効果もあり、それ故に教育指導の実際場面での有益な教育指導法として、ある意味、ますます盛んになってきたものであろう。が、この問題は、教育に携わる人以外を対象に語ることは、なかなか難しく、また様々に誤解を呼んで危険である。このたびはコメントしないことにしたい。ただ、昨今では、体罰を容認しない、あるいは体罰教育が全く効果を生まない生徒が増え続けており、体罰教育の善し悪しは別にして、それ(体罰教育)自体は時代錯誤の指導法になりつつある。
 ④ 体罰教育は容認されるか。
現代の教育理念、規則・法律上の禁止規定から言えば、相手次第で効果があるからといって容認されるはずはない。体罰は犯罪行為と心得、体罰を伴うことのない、あらゆる有効な指導法を模索するのが教育である。
 ⑤ どうすれば体罰をなくせるか。
 この問題に関して、「how to」ものは存在しない。学校・教師・保護者の根本的な意識改革と反省が求められる。
イ) 指導者はなべて、教育の原点に立ち戻り、教育とは何かを真剣に問い直すこと。
 例えば、私は「平和的人格の育成」を第一としている。さすれば、被教育者を平和的人格にするはずもない暴力的行為を指導法となし得るわけがない。
ロ)指導者はなべて、己が教育者にふさわしいか否か、天(神仏)に向かって問い直すこと(手がかりは②の観点)。
ハ)学校内(とりわけ教育・指導現場)が常に保護者の視線が入るような透明性をもって開かれること。即ち、保護者が自由に構内を視察できるようにすること。
ニ)スポーツ指導者に対する「保護者の評価」(大学における、教師に対する授業評価と同じようなもの)を定期的に行う。
ホ)   


   (つづく)

麻薬的体罰教育から脱しよう!

 教育・指導の世界における体罰、常に古くて新しい話題である。このたび、オリンピック代表者を含む女子柔道選手らの憤懣やる方のない声が明るみに出て、にわかにマスコミ・世間がかまびすしい。関連する内容がありそうとて、ネット上で私の『教師の権威と指導力』に触れたマスコミ記者が、私の意見を聞きたいと、カメラマン同伴で訪ねてきた。いつか年も越え、このせっかくのブログ欄ともご無沙汰が長くなっている。書いてみたいことは山ほどあっても、30年前に出した『ケースワークと権威』なる翻訳英書の再販に向けて必死の改訂作業が難航し、ここ数ヶ月、何もかも放り捨ててそれに打ち込んでいる最中、とても時間を取れる状況ではなかったが、興味深いテーマでもあり、否それどころか、「カラー・ピラミッド・テスト」の研究と並んで、私の最も関心を寄せる、即ち「権威」の問題とも大いに関連する話題だとも思い、応じたものである。
 テレビでは1分に満たないほどの利用に過ぎないだろう。しかし、記者にも一家言あって、それは単なるコメント取材に留まらず、意見の交換、議論といった方向での話し合いになり、いつか2時間近く経過して、教職を引退後久しい身には、ゼミナール的緊張感も漂う楽しく実りのある時間となった。面談を終えた後、「体罰」問題に関して、様々に整理されている自分に気づき、この欄の話題ともすべく、そのうちの一部を上記テーマで、早速、一文啓上する次第である。

麻薬的体罰教育から脱しよう!
 教育と指導の方法は、大別すれば、親和と友好に基づく友愛的指導と、体罰を極とするスパルタ教育とに分けられよう。しかし、およそ、教育とか指導というものは、それを受ける側が、指導者を、指導者に足る人物、即ち、教育指導する能力・資格(知識・技能、そして人格)、言い換えれば「権威」を認めてこそ成り立つものである。そこで、指導者は「権威」ある人物として振舞い、教育・指導を行う。その指導の方法は、現代社会の倫理観のなかでは一般に、初め友愛的関係である。しかし、誰もが知るように、友愛的接触が必ずしも成果を上げるとは限らない。相手次第で、時には、甘え、自己中心、努力不足、忍耐不足の生徒を作り、指導は失敗する。これはひとがよく目にし、口にすることでもある。一定期間に成果を上げることが期待され圧力となっている場合には、指導者は焦る。そこで、つい、上下の力関係のなかで、叱責の果てに手が出て口が出て、暴力が出て…、となる。いわゆる体罰である。こうなると、指導者は「権威」にあらずして単なる「権力」者にすぎなくなっている。このとき、もし指導者が、嘘かまことか柔道界のように、体罰的土壌や文化のなかで育てられ、身を立て名を上げてきた場合、それ(体罰)は最も魅惑的な指導手がかりとなり、指導者のやり方は、「友愛的指導」から体罰を極とする「スパルタ教育」へと変容する。幸か不幸か、たくさんの対象者のなかには、その指導者の被教育体験と全く同様にその体罰教育指導が大きな功を奏し、オリンピック代表者が出たり、有名大学入学者がでたりすることもある。となればまた、体罰教育やスパルタ教育がいかなる相手に有効でいかなる相手には不都合か、こうした問題は意識からはずし、それが現代の倫理観にもとるという気持も次第に薄れ、指導者は体罰教育一色に染まり込んでいく。ちょうど、麻薬患者がひとたび染まるとそこから抜け出ることが難しくなるの同じ、まさしく、体罰教育は、教育・指導者にとっては、麻薬常習者と同じように、苦悩の果ての一種の麻薬的中毒症状なのである。
 こう考えると、ひとたび成り立った体罰教育とそれを育て来たった集団文化的背景は、それを取り除くことは容易ではない。また、こうした問題を包括的かつ体系的に考察・分析することも容易ではない。その作業は、いずれ時と所を改めて行うとして、ここでは、今思いつく、体罰教育から脱却する為のヒントのみを記して取り敢えず終わっておこう。
①指導者は、たとえ教育効果を上げ得る相手がいる(または居た)としても、体罰教育は暴力容認文化の基をつくる悪徳であると、肝に銘じるべきである。およそ、人に対する教育・指導に関わる者は、なべて暴力を否定し、平和な国家、国民づくりに寄与し、究極の世界平和に貢献する役割・使命を負っている。その根本を忘却してはならない、ということである。
②この根本を原点に、体罰でも与えなければ効果を上げ得ないと思われる相手には、体罰教育以外の有効な指導方法を見いだすべく、研究に励むこと。これが専門職としての、教育・指導者の役割である。
③昨今の指導対象者は、たとえ格闘技の習得であっても、単に勝利とそれによってもたらされる名誉とを求めるのではなく、その技術や真髄を学び取ることに大きな目標を置いている。いわば、音楽や絵画など、芸術を志向することと同じ感覚でスポーツを愛好し、その粋を極めようと立ち向かっている。こうした多くの対象者に対し、体罰効果が入り込む余地はほとんどない。むしろその尊い動機を根底から奪い、いたずらに抵抗のみ生み出すことになる。
④なべて心ある指導者となり、指導対象者の人格・人権を尊び、友愛・親和的指導に徹して一定の業績を上げ、向後も、水面下では頻繁に起こり得るであろう体罰教育に勝る成果を上げて、体罰教育の出る杭を打たねばならない。ただし、これは、昨今の甘え根性なきにしもあらずの対象者を相手にしては、安易に体罰を与えて一定の成果を上げるよりも一層困難で辛抱強さを要する、まさに言うに易く行うに難い難行であることは知っておくべきである。
 少し持ち上げすぎになるかもしれぬが、女子サッカーなでしこジャパン、人間的にも素晴らしい資質を持った選手と監督の人間的格闘が生んだよき事例と思われる。
 以上の認識を持って、すべての教育・指導者が事に当たれば、体罰根絶の茨の道も少しずつ少しずつ切り開かれていくだろう。
 

獅子身中の虫

 獅子身中の虫とは……、安泰に見える組織にあぐらをかいてのほほんと安易に暮らす諸君を言う。
 NTTドコモから契約者の流出が止まらない。モバイルナンバーポータビリティ(MNP)の転出超過数の推移を見てみると、ここ半年間で毎月約9万件前後の契約が他社に流出しており、春商戦のピークとなった2012年3月には約14万件、4月には約10万件と、“大台”を突破してしまった。 執筆中・未完

たかがスポーツ、されどスポーツ② 稀勢の里に「大和男の子」を期待する

 大相撲秋場所、大関・日馬富士が07年夏場所の白鵬以来という連続優勝を遂げて横綱昇進を確実にした。日本人よりもさらにより日本人らしい「ヤマト魂」を持つ人物と思い、かくなる事を望んではいたが、その優勝インタビューには失望した。はやり言葉のような「お世話になった人たちへの感謝」といったような決まり文句よりも先に、まずは「この躰を与えてくれた先祖・両親に感謝したい」には感銘したが、次いで出てきた「今後も皆さんに、感動や勇気や希望を与える相撲を取っていきたい」という無自覚な決まり文句には、煮え湯を飲まされたような不快感を食らわされた。もしかすると、誰かが下ごしらえした決まり文句を棒読みしたのかもしれないが、これは己を謙虚に内から律して毫も動じない「ヤマト魂」とはあまりに違いすぎる。せっかくの優勝劇だったが、所詮「たかがスポーツ、されどスポーツ」と思うほかないように思われるのは、いささか残念である。
 それにしても、日本人力士たちの不甲斐なさには、たかがスポーツなれども、歯ぎしりする。そもそも、いつしか日馬富士に肩入れするようになったのは、「ヤマト魂」を忘れた感のある日本人有望力士たちのだらしなさにあるのだが、その最たる者は、稀勢の里だろう。今のままでは、彼はけっして横綱にはなれないだろうし、それどころか、大関陥落だってあり得ないことではけっしてない。その理由、
① 太りすぎている。食べ過ぎの上、稽古不足である。結果、技能不足に陥っている。
② 立合い前の血気盛んの未熟さ。気力や血気、いわばうわべの闘争心だけで相手を圧倒できると思う愚かさ。かえって躰が硬くなって、立合いに隙間も出来る。試合は、勝負を越えて自分の相撲を全うする全霊をかけた型でするもの。かつての横綱・貴乃花を思うべし。
③ 突き押しはたき、そして張り手もやめて、四つ相撲に徹すべし。体力で圧倒できる相手に突き押しで勝つのは誰にでも出来る。組んで押して、それで負ければ、やがて体力に勝る相手に優れる業も身につく。これも、体力絶倫の曙・武蔵丸に伍し、さらにこれを凌駕していった、かの貴乃花に学ぶべし。
④ 結論として、上滑りになって、心技体、せっかくの素質を活かす真のヤマト心が欠如している。

たかが角力、されど日本の伝統文化。真の大和男の子こそ見たいものだ。

「たかがスポーツされどスポーツ」。もって鑑とすべし「なでしこジャパン」を!

 真善美の極地をひたすら目指して邪念無く自らを追い込むのが、芸術やスポーツの真髄・極意、と思っている。過日、久しくマスコミの世界から遠ざかっているように見える永六輔氏が、ある若手音楽家とのテレビ対談の中で、これに近いことを語っていた。そこで氏は、ことさらその若い音楽家に向かって、人を感動させるとか勇気を与えるとか、邪念と傲慢に満ちた醜い気持ちを持ってはならない、まして、それを言葉にすることなかれ、と諭していた。
さて、ロンドンオリンピックが終わり、当然の如く、たくさんの「勝者」が出て「敗者」が出た。ここで勝者とは、期待と想定以上の結果を上げた者、敗者とは、期待・想定以下の結果に終わった者であるが、このうち勝者の弁が連日、テレビを通じて報道され、その中に「国民の皆さんに勇気や感動、元気を与えた」といった類の言葉が時々発せられ、これが何とも聴きづらい。いかに国民総声援の4年に一度のオリンピックとは言え、所詮はスポーツの祭典。そんなことぐらいで、人がその生き様に関わるほどの感動や力を与えられるものか。例えば、今なお震災後の逼迫する苦難な生活から抜け出ることが出来ない多くの方々に真に勇気や元気をもたらすものが何かと問えば、こんな金メダルや銀メダルの1つや2つでないことぐらいは、小さな子どもでも容易に分かる。オリンピックのメダル1つ取ったとて、それは「たかがスポーツ」の世界のことなのである。
とは言えしかし…。こうした中にあっても、読売新聞報道によると、
『栃木県の福田富一知事は16日、ロンドン五輪で銀メダルを獲得したサッカー女子「なでしこジャパン」メンバーで宇都宮市出身の安藤梢選手(30)と鮫島彩選手(25)に県スポーツ功労賞を授与した。安藤選手は「地元の声援から勇気や元気をもらったおかげでメダルが取れた」と話した。鮫島選手も「実家に友人が夜中に集まって応援してくれた。金メダルが欲しかったが県民の皆さんに恩返しができた」と笑顔を見せた。』とある。なんと謙虚でうるわしいこれらの言動。こうなれば話は別、こうした言葉を伝え聞いて人々は、まさしく感動、頑張ろうとの気持ちもかき立てられる。かくて、アスリートたちの活躍は、「たかがスポーツ」から「されどスポーツ」へとなり、人々を感動させ、勇気の源泉ともなる。
 思えば、なでしこジャパンの選手たち、まことにもってアスリートの鑑である。その真髄は、真に一致団結のもと死力を尽くして戦う姿の中のみならず、戦果を上げた試合後のメッセージの中にこそある。昨年、w杯優勝後の選手インタビューで丸山桂里奈選手が、「震災被災者の皆さんの復興に向かう姿に力を与えてもらった」と述べて人々を感銘させたが、その他の選手たちもみな謙虚で味わい深いコメントだった。かくして、なでしこジャパンはまさに国民と一体化したスポーツ軍団であり、この態様が続く限り、彼女たちが名実ともに世界一に輝く日がきっと来る。すべてのアスリート、もって鑑として欲しい。

政治家諸君、なでしこジャパンを見倣おう。1×11≠11ではなく、1×11=11+αであることを。

 監督以下、メンバー各人みな金メダルを標榜し、世間もまたそれを期待していた。そのなでしこジャパンが、オリンピック女子サッカー決勝で惜敗した。もちろん熱狂的フアンの一人、わたしもまた無念きわまりないが、世間がこの敗戦を称えこそすれ、非難する者とて居ようはずもないのが麗しい。
 昨年、このなでしこジャパンは、女子サッカーW杯で奇跡的な優勝を成し遂げ、一躍、時代のヒロインとなって、日本国中、いや、世界中に「一致団結力」の真髄を知らしめた。即ち、「1×11≠11」ではなく「1×11=11+α」であることを。その後、一致団結、団結力などの言葉が普遍化し、その結果、世間の厚遇に甘えていたアスリートたちだけでなく、「一致団結」の美徳を忘れていた様々な組織や集団が一体化の理念の許に覚醒し、東北大震災後の日本各地が活性化した。その功績は甚大で、まさに国民栄誉賞にふさわしい。
 此度のオリンピックでも、なでしこジャパンは、固い絆で結ばれ、一戦一戦総力を結集し、死力を尽くして勝ち抜き、実力では数枚上のアメリカチームを苦しめて銀メダルを獲得、改めて「団結力」の華を咲かせた。その他の日本選手、選手団はこのなでしこジャパンを元祖に「団結力」を誇り、例えば、卓球女子団体、フェンシングフルーレ団体、水泳男女メドレーリレー等々、個の力の総和以上の総合力を発揮して、軒並み成績を上げ、久方ぶりのメダルラッシュとは相成った。そうした中で、例こそ挙げないが、一致団結の精神の削がれた集団では、純粋の個人競技においても、多くが普段の力も発揮し得ない無残な結果に終わっている。
 翻って、政治の世界を見てみよう。なでしこジャパンに国民栄誉賞まで授与していながら、この世界、一体なでしこジャパンの業績から何を学んだというのだろう。今に始まったことではないが、民主党を柱に、消費税問題を絡めた政治家諸氏の相も変わらぬ右往左往。到底、国家の命運をゆだねる人たちではない。此度のオリンピックの成績において、団結力を失ったチームや個人が無残な結果に落ちた(あるいはまた誇らしい成績を挙げた)としても、言葉は悪いが、それは所詮、「たかがスポーツ、されどスポーツ」世界の有事にすぎない。私たち、とりわけ貧しく抑圧された弱者の人々にはほとんど関わりのないことである。しかし、政治と政治家の世界が、いつまでたっても「1×11=11+α」ではなく「1×11=11-α」であるなら、厳しい状態が続く内外の政治情勢からして、これは由々しき大事である。

大津市・中学生自死事件は人災。事件を生かす「学校内有事における事件処理体制」の確立を!

 大津市のいじめ被害者自死事件のニュースが連日、飛び交っている。何とも痛ましい。マスコミ・世間の批判に押され、この件に関して消極的だった警察がついには介入するに及んで、事態は急変。当初、責任回避的な態度だと批判され続けていた学校・教委、さらには行政側が次第に責任を認めるようになり、マスコミ・世間は溜飲を下げ、耳目は、加害者・学校の責任をも追及することに繋がる、自死生徒の遺族が市などに損害賠償を求めて起こした訴訟の行方に移りつつある。市側は和解の方向と報道されており、これはこれで大方の求める一つの解決である。がしかし、これはむなしくも、「いつか来た道」でもある。
 思えば、こうした解決の過程は何ともむなしい。これまで、似たような事件は過去にいくつも生じているが、都度に場当たり的に事後処理が施されるばかりで、問題の本質的解決はいっこうに得られていない。私たちが一様に望むことは、こうした事件から痛切に学んで学校・教師が本来の教育力を回復してくれることであるが、この最も大切な点が置き忘れられ、むしろ事件を契機に、世間から集中砲火を浴びた学校・教師がますます萎縮してかえってその教育力を奪われるという、悪循環論に陥るのが常である。それは数年前の福岡県筑前町で起きた、いじめを苦にした中二男子生徒の自死事件を思い出してもすぐ分かる。多くは言うまい。此度こそは、学校・教師が教育力の再生を勝ち得る方策を得なければならない。これこそが、学校・教師に頼り得ずして尊い命を自ら絶っていった子どもたちに対する弔いであり、また責務でもあろう。
 そのための方策は、まずは「学校内有事における事件処理体制」を確立することである。平成9年、当時大きな教育社会的問題として浮上した教師による体罰事件の解決を訴えて、友人の一人が朝日新聞の「論壇」に「体罰事件の処理に公正なシステムを」を投稿した。此度の事件も今、第三者からなる事件解明のための調査機関の設置が言い出されているやに聞くが、こうした意見を早くに世間に訴えた内容である。私はそれを一段進めて考察し、第三者を含めた調停組織を教育委員会内に設置することを提言、それを「教育機能を損ねない体罰事件処理を」と題して、同じく「論壇」に投稿した。要は、各種民事調停事件の随を取り入れ、これを置くことによって、「加害者」-「被害者」の単なる対立構造に終わらず、最終的には被害者側の思いが充分に検討されるよう保証され、また論議・検討の過程で学校・教師側は否応なく被害者の主張やさまざまな社会的視点を考慮せざるを得なくなって、教育のあり方そのものを自ら問い直すことになる。提言は、それを期待したものであった。
 しかし、爾後、学校や教育委員会内にそうした組織がつくられたという報告は一切無い。それから10年経って、上に挙げた福岡県筑前町の事件が起きた。私は「学校・教師はいじめ体質から脱け出よう-イジメ自殺事件に因んで-」を書いて、二つの新聞社に投稿したが、採用されなかった。そして、此度の事件である。
 大津市の中学生自死事件に警察が介入。学校・教委が原因分析をするたびに事実隠蔽・言い訳だと、ますます世間から攻撃される。警察の介入にも道理がある。しかし、その後の学校・教師側の対応を見ると、嫌々ねじ伏せられ、真の内省を得ることからはとても遠く、学校・教育界がますますその教育力を失う「いつか来た道」を繰り返しているにすぎない感がある。元々、常に一方的にその非を問われ攻撃される学校・教委に此度のような事件の冷静な解明・解決を求めることは無理である。生徒を被害者とする学校内有事においては、問題の正しい理解や納得のいく解決の道は、民事調停を模した、(学校・教師を含む)加害者側と代理人などを含む被害者側、それに中立の第三者を加えた、関係者平等参加の事後処理検討システムが無ければ得られようもない。その場でもし行き違って納得のいく和解が得られず、その後刑事・民事の司法手続きへ移っても、それまでに検討した諸々の問題点は、学校および保護者に対して大いなる内省をもたらし、後の両者の教育機能の向上にも繋がる。このようなシステム作りの契機になるべき重大な教育事故はたびたび生じてきたが、遺憾ながら統轄官庁の文科省がこのシステム作りに関した気配もまた、全くない。地震・津波による原発事故を人災というなら、此度の混乱は、これを怠ってきた関係者による容易ならざる人災である。
 文科省が駄目なら、各地教育委員会でもよい、どこでもよい。一刻も早く、かかる事件の再発を防ぐべく、事件を生かす「学校内有事における事件処理体制」を作るべきである。

真、善、美への還流

長く黒い霧に囲まれ続けながら、政界のドンたり続けている小沢一郎氏に対する「検察審査会」による政治資金問題についての強制起訴事件の東京地裁判決が出た。その“無罪”判決が、消費税問題を背景にした復党問題と絡んで大騒ぎ。結果が白だから復党よし、まだ最終審ではないから駄目、云々。と、与野党合わせて姦しい。今さらながらの、この醜い政争劇…。それにしても、一体、裁判結果なるものがどんな意味があるというのだろう。
 
 醜いものも多いが、美しいものもまた、この世の中にはたくさんある。とりわけ無垢なる子どもの世界には満ちあふれている。
 過日、散歩の帰り道、いつもの公園を通り抜けようとしたとき、母親に付き添われてブランコを漕いでいた3,4歳の男の児が、空中一番高いところから、大きな声で「こんにちわ」と言いながら手を振って来た。心楽しく、こちらもまた大きな声で「こんにちわ」と応じた。すると幼児が、またまた大きな声で、言うのである。私に向けて、「カウボーイみたい!」。“格好いい”と感嘆の声を上げ、脇の母親もまたうなずいている。短足胴長にして小太りの私はおよそスマートとはほど遠い体型であるが、編み目の入った中折れのフェルト帽をかぶり、縦縞のスポーツシャツとストライブの粋なズボンをつり革でつった当日のスタイルは、出がけに、近所の老婦人から、「格好いい」と世辞を言われて、ずっと胸を張って歩いていたものではあったが…。それにしても、純なるおさな児の、このなんたる正直な心の発露。この子が、いやいや、子どもというものが、どんなに邪念のない善なる心性を持っているものか、つくづく嬉しくなって、私は思わず、右手をピストルの構えに変え、「バン、バン」と空砲を撃って、手を打ち振る母子との別れの合図とはしたものである。
 一昨日、中央線東京行き特別快速電車の中で、うつらうつらとするうちに、前に立っていた人が下車して前が明るみ、ふっと意識が戻った。と、対面する側の席に、中学生とおぼしき少女が慎ましやかに座って、母親だろうか姉だろうか、隣に座るご婦人と時折会話を交わす姿が目に入った。見るともなしに見やるうち、なんということ、私はたちまち、その少女に魅入られた。身なり質素なズボン姿、少女はシートにもたせた背筋をまっすぐ伸ばし、おなかのあたりに両手を重ね、きちんと合わせた両足の上に視線を落として、ほとんど微動だにしない。動きを見せるのは、隣と話を合わせるときだけ、顔をすこし相手の方に傾げて、緩やかに静から動への揺らめきを見せるだけである。そして、身体全体に緊張感などどこにもない。この自然体、腰掛け座像のなんと美しいこと。それは、教えられた、あるいは型にはめられた所作ではなく、すくすく育った人性がそのまま具現化した、まさしく自然に培われた気品とでも言うべきか。どんなに美しい写真や動画の中のモデルたちも、到底及ぶところでは全くない。やがて少女は下車していったが、伸びやかな背筋で緩やかに歩む姿もまた、格別だった。まだ少女とは言え、得も言われぬ女人像を見て、余韻の中で、その一日、心和やかだった。
 まさしく、美しいものは無垢なる子どもの世界には満ちあふれている。我が身も含め、これがどうして汚れた道筋をたどるようになっていくのだろうか。

一年有余、愛読してきた「日経」朝刊連載小説「長谷川等伯」(作・安部龍太郎、画・西のぼる)が終わった。戦国時代末期、苦闘の末、狩野派との血みどろの戦いを経て、人間的にも成長しながら、新しい画流・長谷川派を確立した長谷川等伯の物語である。作者はその中で、これまた苦難の末に戦国武将との様々な確執を乗り越えて生き抜いた、権謀術策の公家・龍山公(近衛正久)を登場させ、苦悩する等伯を諭して曰く、「ええか、信春、俺ら政(まつりごと)にたずさわる者(もん)は、信念のために嘘をつく。時には人をだまし、陥れ、裏切ることもある。だが、それでええと思とる訳やない。そやし常しえの真、善、美を乞い求め、心の底から打ち震わしてくれるのを待っとるんや」と語らせている。けだし、名言である。作者は龍山公の口を借りて、迷える等伯の人と画業にそれ(真善美)を求める説教としながら、この小説の主題を語り、また、現下の世情や政情に大きな戒めを発しているのではなかろうか。

 「信念に基づく」という格好のよい言葉がある。が、その底にはたくさんの悪をも含め潜ませており、およそ人の行動基準とはなり得ないものである。裁判における判断もまた、しかり。それは所詮、様々な力や条件の力学的な妥協の結果に過ぎないからである。私たちが基づくものは、そのような悪しき物事との関わりを持たぬ純粋無垢なるものから発する真善美の世界でなくてはならぬ。誰もがみな無垢なるときに持っていた「真善美」の源流を汚さぬよう、あるいはまたそこに還流すべく、よくよく見れば様々なところに存在する真善美の世界に触発されながら、悔いなく毎日を生きたいものである。 

誰の命も大切に

 この頃、命の重さ、大切さを考えさせる大きな記事や出来事が相次いだ。
 13日、弁護士から最高裁判事に就いた大橋正治氏が記者会見で「一つ一つの事件を誠実に扱っていきたい」と抱負を述べた。げに、ごもっとも。だからこそ、このほど(2月20日)、まっとうな情理をもって人の世を慈しむ普通の人なら到底許し難く、国民誰もが死刑を逃れさせるわけにはいかないと考えた、あの残虐この上ない「光市母子殺害事件」の犯人の最終抗告審で上告棄却を決めた最高裁第一小法廷でも、一人の裁判官がなお「死刑回避の事情なしとしない」として死刑反対意見を述べている。人や組織が人の命に関わり預かるとき、幾重にも幾重にも、このように慎重かつ誠実に臨むのは、けだし当然である。
 ちょうど、これと相前後して、天皇陛下の心臓バイパス手術が、それこそ幾重にも幾重にも安全を配慮した組織的な医療計画の中で、成功裏に終わった。国民の一人として、真に喜ばしい。これは単に、患者が国民の多くが敬愛する天皇陛下であるからだけではなく、国民の「象徴」たる天皇に対する施術行為が、すべての国民にもかくあるべしとの最高の医療モデルを「象徴的」に示したことにもなるからでもある。このこと、ここで敢えて強調するのは、医療はなべて、国民すべてにかくあらねばならないはずなのに、実際の医療の現状は、その理念からあまりに遠く隔てているからである。
 畏れ多くも、陛下と全く同じ冠動脈の硬化があって、一昨年、陛下が術前に受けたものと全く同じ心臓カテーテル検査を、さる医療機関で受けた(1泊2日)。そこは、生体肝移植を受ける幾人もの重症患者に対し手術前に高額な「寄付金」の提供を行わせたということで一躍悪名を馳せた医療施設だが、近くの医院の紹介でやむなく行ったものであった……、が、まことにお粗末、驚きと怒りの連続だった。少し中味をあげてみると、
①予定時間が来ても、急用が入った、急患が入ったなどの理由で待たされること2時間、せわしなく検査開始。
②開始後まもなく、どんな処置をし忘れたのか、「あっ、忘れてた」というとっさに漏れた慌て声。検査台の上で、どんな医療ミスが起きるのか、死さえも思い浮かべるほどの不安に落ちた。
③検査終了後その若い担当医師曰く、冠動脈が一本完全に詰まっているから、すぐにでもステントを入れるカテーテル治療をしないと命が危ないと脅迫的態度。
④翌朝、検査後のCT検査等の結果、脳に血栓が飛んで,脳梗塞の発症が判明。少し口元が歪みかけている。このまま口元がゆがんだらどうするのかの質問に対し、「リハビリするよ」と何の惑いもない返事。
 結局、この若い医師にとって、こちらは腕を磨く格好の患者以外の何者でもなかったわけだが、さてこの問題はいずれきちんと文章上で精算するとして、一体、医師というもの、どうしてああも不遜でいられるのだろうか。たまたま、陛下のニュースの合間を縫うようにして、ゴルフを続けるために前立腺がんの手術を拒否し、昨年末に苦しみの中で亡くなったゴルフの杉原輝男氏の受診場面が放映されたが、これも驚きである。その医師の姿は写されなかったが、その横柄な態度には言葉もない。
「痛い?」と問うて、杉原氏がうなずき返すと、「ああ、そうだろうね」。テレビカメラが入っているというのに、この無礼で乱暴なもの言い方。丁寧語一つ使えないのか。こんな医療現場の有様だから、どうせ死期は誰にもくるからと、医者の不遜に身をゆだねることなく、死を迎える人も出るのだろう。その人柄についてはけっして好感を持ってはいなかったが、脚本家の故和田勉氏もその一人かもしれない。氏は、食道上皮がんと診断されても、手術や延命治療を行わず、苦しみの闘病生活の末を自然死で終えている。真似したくとも自分にはできないと、痛く感動させられた。元総理・田中角栄氏は脳梗塞で倒れ、政界を引いた。その角栄氏がリハビリ施設で「田中さーん」と呼ばれ、単なる無力の老人として余りに軽々無残な取り扱いを受ける様を見て、見舞いに訪れた娘の田中真紀子氏が激怒し、早速にも引き取り、困難なリハビリを自宅で行うに至った。これも感動の話である。
 達観して自然死を迎える、あるいは自らの力で、介護の環境を整える。そうありたいものである。が、誰もが皆、力強く、経済的にも恵まれているわけではない。特別な人しか、思うような人生の終末を迎えることができないのも事実である。冷ややかな医療現場に大きな不満を漏らしつつ、しかしあきらめの境地で次の世に旅立っていった友人の言葉が、昨日のことのように思い出される。「どんな医者や看護師でも、その世話になることなく死んでいくことは、結局できないんだよね」。
 此度の東日本大震災の最中に、人命救助に献身する医師・看護師の姿に感動もした。しかし、医療現場の底辺には、こうした切ないまでに悲しい無残な現実もまた、存在しているのである。遠くは娘に、近くは私に、命こそ奪われなかったが、生態実験的無謀医療を体験した身からは、思わず、誰の命も大切に、と声を漏らすのである。

なでしこジャパンに勝利の女神が。W杯女子サッカー決勝、「一致団結」と「連帯力」の大和撫子に勝利の女神が微笑む。

 いやぁ、それはそれで楽しんだけれど、延長戦も終了間近、最後に澤選手の値千金絶妙のゴールが見事決まるまでは、1―2の悪しき惜敗敗戦予想が当たるのではないかと、ハラハラドキドキの連続だった。しかし、勝利の女神は、最後まで望みを捨てずに堪え忍んだ大和撫子の大和魂に微笑んだ。試合終了後の選手インタビューはすべて感銘的だったが、とりわけ丸山桂里奈選手の「震災被災者の皆さんの復興に向かう姿に力を与えてもらった」には、思わず涙がこぼれた。「被災者に力を与える」とか「被災者を慰める」とかいった、聞くだに腹立たしい傲慢なスポーツ選手や芸能人や政治家たちの発言が渦巻く中で、ひときわうるわしいコメントである。アルバイトで生計を立てるなど、経済的にも苦しいと言われるなでしこジャパンのメンバーが苦難を乗り越えた末に述べるからこそ、此度の震災被災の方々を真に力づける重みある金言となる。
 試合の内容は、実力的に数段勝るアメリカチームに圧倒され、負けてはいた。しかし、勝利の女神は、一致団結心と連帯力と我欲を捨てた闘魂に対して栄冠をもたらせた。この勝利の女神は、きっと、震災から立ち直ろうと必死に戦っている方々へも、いつか微笑んでくれるに違いない。それに繋げるためにも、願わくば、なでしこジャパンの皆さんは、試合後の疲れを癒やす間もあらばこそ、被災地に足を運んで、勝利報告をしてしてほしい。これこそまさに、被災地・被災者の方々を真に力づけ、喜ばせる基になるだろう。そしてまたもう一つ、願わくば、「よく頑張った、一致団結の勝利だった」などと言う資格のない昨今の為政者政治家などを表敬訪問する愚を避けてほしいものである。

なでしこジャパン決勝戦予想:1-2で惜敗

こんな戯れをすることは、真剣勝負を行っている選手の皆さんには大変不遜なことであるが、準決勝の予想が見事にぴったり的中してしまった。おもしろがって周囲の幾人かが、では決勝戦は? ときた。試合は数日後なので少し早いが、さまざまな要因の上に立ち、またさまざまな意味合いの期待も込めて、上のように予想してみた。もちろん、これまでに見せ、準決勝で最高レベルに達した感のある「一致団結心」と巧みな「パスワーク」に基づく「連動性」が発揮できたら、(そしてアメリカチームに多少の乱れが生じたら)2-1、いやいや、3-1の勝利だってあり得るだろう。
チーム・なでしこジャパンには、今大会、もう十分過ぎるほど楽しませてもらった。これ以上望むのは、無い物ねだりをするようなもので勝手すぎる。が、欲を言えば、数段格上のアメリカチームとの最終戦では、勝ち負けなどにはこだわらず、メンバー全員、チームのために我欲を捨てきった崇高なる闘魂「大和魂」を見せてくれれば、というところである。

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プロフィール

宗内 敦(カラーピラミッド)

Author:宗内 敦(カラーピラミッド)
教育・文芸同人誌『琅』発行人
「書肆彩光」代表者
日本教育心理学会会員
日本ペンクラブ会員
”下記の著、拍手・コメントを頂戴した方に贈呈いたしたく。ご希望あれば、ご連絡下さい。”
 ☆『二言、三言、世迷い言』(書肆彩光 1012)
 

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